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この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

死者を鞭打つ。

2023-07-13 22:09:44 | 戯言
 タレントのりゅうちぇるが東京都内にある事務所で自殺しました。
 享年27歳だそうです。
 ネットでは彼の早すぎる死を悼む声が多く聞かれます。
 彼は(彼女?)多くの人に愛されていたんだな、と思います。

 こんな時にこんなことを言うのもなんですが、自分は彼が嫌いでした。
 なぜ彼が嫌いだったのか?
 それは彼がジェンダーレスだったからです。
 というのはどうでもいいことです。
 彼がジェンダーレスだろうが、女装癖があろうが、性転換をしようが、そんなことは自分にとってどうでもいいことです。
 興味がない、と言ってもいいです。
 ついでに言っておくとぺこと結婚し、子どもが生まれた後に離婚、その後カミングアウトしたこともどうでもいいことです。
 パートナーであるぺこがそれで納得したのであれば、他人がとやかく言うことじゃない、と思います。

 じゃあなぜ彼のことが嫌いなのか?
 それはやっぱりあれですね、飲み会の場で彼の女性マネージャーを気に入った大物司会者に「どうぞどうぞ(気に入ったのなら持ち帰って下さい)」と言った件ですね(こちら)。

 芸能界ではよくあることなのかもしれません。
 女性マネージャーもそういったセクハラには慣れているのかもしれません。
 りゅうちぇる自身その場を和ませようとジョークを言っただけなのかもしれません。

 でも、ダメですね。
 どういった理由があったとしても、自分のマネージャーを大物司会者に差し出す卑屈さ、そしてそのことを笑い話にする下卑た感性、ゴメンなさい、どうしても受け入れられません。
 控えめに言って人間のクズだと思いました。

 まぁでも彼の死を悼んでいる多くの人はこのことが気にならないんでしょうね。
 自分にはそのことが信じられないのですが、なるほど、世の中はそういうものか、とも思います。

 そんなわけで自分は彼の死を悼む気にはなれません。
 でもこれだけ多くの人に愛され、その死を惜しまれている彼ですから、一人ぐらい死を悼む気になれない人間がいたとしてもたぶん気にしないでしょう。
 
 間違ったことを言ったつもりはないですし、考えを改めることもおそらくはないと思いますが、死者を鞭打つのはあまり気持ちの良いものではないですね。
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どう生きるかと聞かれても。

2023-07-12 21:37:04 | 戯言
 宮崎駿監督の最新作『君たちはどう生きるか』が今週の金曜日、7月14日に公開されます。
 この映画、宮崎駿監督の最新作にして引退作(?)なのですが、それ以上に話題になっているのが一切の宣伝がないことです。
 事前にストーリーが明かされないだけでなく、予告編もなく、テレビスポットも、新聞広告も、さらには公式サイトすらありません。
 聞いたところによるとパンフレットすらないそうで、ここまで徹底すると「よくやるな!」と感心してしまいます。

 まったく事前情報なしにこの映画を観に行く人って何で観に行くんでしょうね?
 やっぱり巨匠宮崎駿作品だからでしょうか。
 宮崎駿の作品なら面白いに違いない、そう思って観に行くんでしょうね、きっと。

 かくいう自分も公開2日目の15日に観に行く予定です。
 それなら宮崎駿作品だから面白いに違いないと思っているかというと全然そんなことはありません。

 自分はテレビアニメでは宮崎駿が演出を務めた『未来少年コナン』が一番好きです。
 これ以上面白いテレビアニメは存在しないと思っています。
 そして一番好きな劇場アニメはやはり宮崎駿監督の『ルパン三世 カリオストロの城』です。
 『カリオストロの城』は何度見ても面白いと思います。

 じゃあ宮崎駿の作品なら何でも面白いかというとそんなことはなく、ジブリ作品で言えば、『もののけ姫』以降の作品を面白いと思ったことはありません(世間的に評判の良い『紅の豚』も大して面白いとは思いません)。
 『崖の上のポニョ』なんてなぜこの作品が大ヒットしたのか、自分にはまったくの謎です。
 
 そこまでジブリ作品をボロクソに言うのであれば、『君たちはどう生きるか』も観に行かなければいいではないかと言われる方もいるかもしれませんが、実際自分もそう思わないでもないのですが、それでも期待してしまうんですよね。
 もしかしたら『未来少年コナン』や『カリオストロの城』のような作品を劇場で観れるかもしれない、と。
 そんなことはあり得ないだろうな、とは思うのですが…。

 どう生きるのか、と聞かれたら、そうですね、自分の言葉には責任を持って生きていたいです。
 引退すると言いながら一度ならずそれを撤回する、いや、撤回すらしないで何も言わずに復帰する、そんな生き方はしたくありません。

 宮崎駿監督の最新作にして引退作『君たちはどう生きるか』は今週の金曜日、7月14日に公開です。
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ただいま考え中。

2023-06-23 20:20:24 | 戯言
 幸いにして、というべきでしょうか、今の自分にはこれといって悩みはありません。
 まぁ時々?ちょくちょく?自分なんて生きてる意味ないよなとか、この世界なんて滅んでしまえばいいのにと思ったりすることはありますが、それは悩みとはまた別のものですよね(病んでるな!)。

 ただ、悩みはないのですが、いろいろ考えていることはあります。
 直近だと、明日の大阪出張でお土産は何を買おうかな、ってことです。

 自分は旅行をする際、事前に調べられることは可能な限り調べる主義です。
 お土産も例外ではありません。
 明日は旅行ではなく、出張なのですが、お土産は買って帰るつもりです。
 しかし、さすがは大阪、お土産に何を買って帰ったらよいのか、調べれば調べるほどわからなくなります。
 定番はりくろーおじさんの「焼きたてチーズケーキ」や「堂島ロール」なんでしょうけれど、ある程度日持ちするものを買いたいんですよね。
 そうなると「半熟カステロ ふわんとろん」あたりでしょうかねぇ。
 新大阪駅で買える、お薦めのお土産があれば教えて下さい。

 次に急いで決めなければならないのは、11月に行くとしたら、渡辺美里と今井美樹のコンサート、どっちだろうってことです。
 アーティストとして好きなのは断然渡辺美里です。
 ただ渡辺美里のコンサートってこれまで4、5回行っていて、今年の3月にも行ったばかりです。
 それに対して今井美樹のコンサートはこれまで一度も行ったことがありません。
 今井美樹の生歌って一度聴いてみたかったんですよね。
 自分はこれまでテレビの歌番組を見てきて、この人は歌が上手いなと思ったアーティストが二人だけいるのですが、そのうちの一人が今井美樹なんです。
 一番好きなアーティストのコンサートに行くか、それとも一番歌が上手いと思ったアーティストのコンサートに行くか、それともいっそどちらのコンサートにも行くか。
 そう、切り詰めればどちらのコンサートにも行けないことはないのです。
 だからこそ余計に悩ましいというか…。

 三番目は昨日の記事にも書いたネットオークションです。
 非常に気になるオークションではあるのですが、今回は残念ながらオークションの締め切り時刻には自宅にいません。
 競馬で例えると、ゴール前の鞭の叩き合いには参加できないのです。
 であればいっそのこと大逃げを打ってやろうかと思い、個人的な限度額までベットしようかと考えています。
 さて、いくらまでゲットするか、思案のしどころです。

 あとはお盆休みに佐世保に行くかどうか、です。
 自分は長い間、七ツ釜鍾乳洞の洞窟探検をしてみたかったんですよね。
 しかし、ここ二、三年はコロナの感染を憂慮して、受付をしていませんでした。
 受付を再開したのはつい先日で、よし、今年のお盆休みは洞窟探検だ、と喜び勇んで宿の予約をしました。
 しかし翌日、洞窟探検を申し込んだら、お盆休みの期間中はやっていないと断られました。
 これで佐世保に洞窟探検以外何も魅力的な観光スポットがないか、もしくはお盆休みに他にやることがあれば、お盆休みに佐世保にいくことはないのですが、どちらもそういうこともなくて…。
 さて、どうしよっかな。

 とりあえず今はネットオークションか。
 いくらまでベットするかな…。
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嫌悪感を持つこと自体は自由だけれど…。

2023-06-15 22:23:49 | 戯言
 日本共産党の申し入れにより軒並み水着撮影会が中止になったことが問題になっているそうです(こちら)。
 聞いたところによると申し入れをした共産党員は女性だそうですが、たぶんその女性は自分の息子がベッドの下にエロ本を隠し持っていても怒り狂うに違いないです。笑。
 公営のプールで撮影会をしたところで過剰なものにはなりえないと思いますが、彼女にとっては過剰であろうがなかろうが、撮影会自体がハレンチで許しがたいものだったのでしょう。
 撮影会に嫌悪感を抱くこと自体は自由だと思いますが、だからといって中止に追い込むというのは許されないことだと思います。
 表現の自由にも抵触しますしね。

 さて、今述べたことは当初は記事にするつもりはなかったのです。
 なぜかというと自分の考えが世間一般のそれと大差がないと思ったからです。
 気が変わったのは次のネットニュースを読んだからです(こちら)。
 米ラッパーの「イェ」ことカニエ・ウェスト氏の誕生日パーティで、いわゆる「女体盛り」をして、国内外から「女性差別」や「女性蔑視」などと批判されているそうです。
 正直、え?って思いました。
 アメリカ映画でよく独身卒業パーティでヌードダンサーを呼ぶ、というシチュエーションを目にします。
 そういった映画がバッシングされているという話は聞かないので、そのようなパーティでヌードダンサーを呼ぶことはアメリカ社会ではある程度市民権を得たことなのだと思っていました。
 パーティで呼んだヌードダンサーの身体に料理を盛ったとしてもそれで「女性差別」だとは思いません。
 それともヌードダンサーを呼ぶことまではオッケーであるが、その身体に料理を盛ったら「女性差別」になるんでしょうか。
 もしくはパーティでヌードダンサーを呼ぶことが市民権を得ているという自分の認識が間違っているのか。

 いずれにせよ、ウェスト氏が自身の誕生パーティで「女体盛り」をしたとしてもそれで誰かに迷惑をかけるわけではありません。
 迷惑をかけないのであれば、自身の誕生パーティでどのように羽目を外そうが当人の自由ではないでしょうか。

 もちろん「女体盛り」という行為に嫌悪感を持つこと自体は自由です。
 でもだからといって、それで非難したり、止めさせたりするのは、それこそ撮影会を中止に追い込んだ共産党員と何ら変わりません。
 私たちは、嫌悪したり、不快に思ったりといった感情的な理由だけで、誰かの行動を制限したり、中止に追い込んだりする権利は持っていないのだということを忘れてはいけません。
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たまには時事ネタでも。

2023-06-09 20:43:52 | 戯言
 当ブログではあまり時事ネタを取り上げることはありません。
 まぁ別に「絶対に取り上げないぞ!」と決めてるわけではないんですけどね。
 まず、自分の考えが世間一般のそれとほぼ同じ場合は、あえてそのことを公表したいとは思わないのです。
 その必要も感じられないですから。
 逆に自分の考えが少数派だな、と思ったら、記事にするようにしています。
 例えば(時事ネタとは言えないかもしれませんが)自殺に関する考察文は、たぶん自分の考えは人とは違うだろうな、と思って書きました。

 今日は全仏オープンでの加藤未唯選手が失格になった件について思うことを述べます。

 まず、故意ではないにせよ、そこに人がいないことを確認せずにボールを打ったのですから、当然非があります。
 当たったのが背中あたり(頭?)だったので大したことはありませんでしたが、仮に目に当たっていたら?
 彼女に当初下された『警告』という裁定は妥当だったと思います。

 次にボールガールについて。
 ボールが当たった彼女が泣きだしたこと、そしてしばらく泣き止まなかったことを責めている人たちがいますが、それはおかしい。
 なぜ彼女が泣いたのか、それは彼女に聞かなければわからないことですが、球をよけきれなかったことが恥ずかしかったのかもしれないし、試合を中断させたことを申し訳なかったと思ったのかもしれない、突然注目を浴びたことに戸惑っているのかもしれません。
 ともかく、彼女を責めるのはお門違いというものです。

 そして今回の件でヒールになっているチェコ選手について。
 確かにスポーツマンシップにのっとった行為とは言えないと思いますが、ルールに反したことをやっているわけではないので、そこまで責められる謂れはないと思います。

 一番問題なのは一度下した裁定を一方の選手のクレームであっさりと覆した審判だと思います。
 もし加藤選手のやったことが本当に危険なことだったのであれば、最初から『失格』にするべきですし、一度下した裁定を覆して『失格』にするのであれば、両方のチームの言い分を聞かなければフェアではないです。
 フェアではない審判など、スポーツに必要ないと思います。

 さて、この記事を書くことにしたのは、上述したようなことを言いたかったからではありません。
 今回の件で端を発し、ボールキッズ不要論が浮上しているのです(こちら)。
 ボールを拾う係り自体が不要だとは思わないので、要は子どもではなく、大人がやれ、ってことなんでしょうね。
 そう主張している人たちにまず聞きたいのは、ボールが当たったのが子どもではなく、大人だったとして、その大人が泣くことは絶対にないという保証はどこにあるんですか?
 可能性として低いということは認めます。
 でも仮に当たったのが大人で、その大人が泣きだしたとしたら?
 いっそのこと、選手にボールを拾わせますか?
 そうすればボールキッズに、いや大人もするのであればボールパーソンというべきでしょうか、ボールが当たるなどといったアクシデントは100%防げますしね。
 本当にボールキッズにボールが当たることを100%防ぎたいのであれば、選手にボールを拾わせるべきでしょう。

 理由はまだあります。
 全仏大会のボールキッズはボランティアなのだそうです。
 いわゆる名誉職であり、全仏大会のボールキッズに憧れる子どもたちも決して少なくはないでしょう。
 その子たちの夢を奪うべきではない、と自分は考えます。

 しかし一番の理由は、今回の件に端を発し、ボールキッズ制度が廃止されれば、当該のボールガールが深く傷つくであろうことは容易に想像出来るからです。
 そんな残酷なことはあって欲しくありません。

 たまに時事ネタを取り上げると必要以上に長々としたものになっちゅいますね。
 疲れました。。。
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増殖するフォレストアドベンチャー。そして…。

2023-06-08 21:10:00 | 戯言
 ゴールデンウイークに島根の益田市にある巨大迷路《ランズボローメイズ匹見》へ遊びに行きました。
 面白かったですよ。
 この巨大迷路が地元にあったら、毎年行くと思います。
 島根は遠すぎるのでもう一度行く機会があるかどうかわかりませんが…。

 《ランズボローメイズ匹見》を始めとした巨大迷路は昭和の時代には全国に100ヶ所以上あったのだとか。
 でも今も残っている巨大迷路は数えるほどしかないそうです。
 数えるほどしか残っていない巨大迷路が現在いくつあるのか?
 それがよくわからないんです。
 特に「ランズボローメイズ」がいくつ残っているのかがいくら調べてもよくわかりませんでした。
 最盛期には栗東や神戸など全国に10ヶ所近くあったようなのですが、現存するのは匹見の他に木曽だけのようです。
 3ヶ所目が現存しているのかはいくら調べてもはっきりとはしなかったなぁ。

 ともかく最盛期には巨大迷路は全国に100ヶ所以上あり、今は数えるほどしか残っていない、、、何となく【フォレストアドベンチャー】の未来を見るようだと思いましたよ。
 フォレストアドベンチャー、行ったことはありますか?
 フォレストアドベンチャーというのは自然共生型のアウトドアパークのことです。
 10メートルの高さの木の上で行うアスレチックのようなものと考えてもらったら間違いないと思います。

 このフォレストアドベンチャーが気がつくといつの間にか増えているんですよね。
 自分が5年前に初めて【フォレストアドベンチャー美里】で遊んだ時、フォレストアドベンチャーは九州には4か所しかありませんでした。
 それが現在は9ヶ所もありますからね。
 倍増ですよ。
 九州北部のフォレストアドベンチャー6ヶ所に行ったことのある、大のフォレストアドベンチャー好きと言っていい自分でさえもこれはさすがに増えすぎなのではないか、と思わずにはいられません。

 加えて同業他社も増えているようなんです。
 具体名を出すと【ボウケンノモリ】ですね(単に「フォレストアドベンチャーを訳しただけ、のような気がしないでもない)。
 ボウケンノモリ、公式サイトを見る限りでは、フォレストアドベンチャーとの差異は見い出せません。
 でも経営会社は違うようです。
 
 フォレストアドベンチャーであれ、ボウケンノモリであれ、アウトドアパークが増えるのは基本的に歓迎なのですが、あまりに乱立すると人々に飽きられるのでは?と余計な心配をしてしまいます。
 巨大迷路のことを調べた後ではなおさらです(巨大迷路のブームが過ぎ去ったのは一言で言えば巨大迷路が乱立して、人々に飽きられてしまったから)。

 とりあえず今週末、映画を観た後で【ボウケンノモリ ささぐり】に行ってみようかと思っています。
 どれほど乱立しても問題ないと思えるぐらい集客力のある施設なら良いですが。
 ちなみに自分は九州北部の6ヶ所のフォレストアドベンチャーに行ったことがありますが、同じフォレストアドペンチャーに二度行ったことはありません。

 フォレストアドベンチャー、どこまで増殖するんでしょうね?
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生きていれば、きっといいことがある、というけれど…。

2023-05-26 20:34:41 | 戯言
 一昨日の記事で、自殺をしてはいけないのは残された人が悲しむからだ、と考えるのは間違っているというようなことを書きました。
 間違ったことを書いたとは思っていません。
 ただ、いつも以上に共感を得られないことを書いてしまったな、とは思います。
 残された人が悲しむから自殺をしてはいけない、と考える方が理解しやすいですよね。
 でも自分は空気を読むことが苦手なので、ついつい自分が正しいと思うことを得意になって論じてしまうのです。

 というわけで、ついでだからもう一つ共感を得られないことを書きましょうか。
 よく「生きていれば、きっといいことがある」っていうじゃないですか。
 自分はそう言っている人に対して何を根拠にそう言っているんですか?と聞いてみたくなることがあります。
 神様でもないのにどうして「いいことがある」と請け負えるのでしょうか。

 自分がもしビルの屋上から飛び降りようとしている人を見つけても、軽々しく「生きてさえいれば、きっといいことがありますよ」などと安請け合いはしません。
 もしその人が自分の言葉を信じ、頑張って一年生きてみたとして、何もいいことがなかったら?
 一年前に死んでおけばよかった、とその人が思ったとしたら?
 その時はどう責任を取ればいいんですか?
 責任なんて取る必要はない?
 その場しのぎの適当な言葉で目の前の死を回避させればそれでよい?
 自分はそうは思えません。

 何だか重いことを書いてしまいました。汗。
 自分は何も目の前の死を回避させることが悪いことだと言っているのではありません。
 それに「生きていれば、きっといいことがある」ということが間違っていると言っているのでもないです。
 自分が間違っていると思うのは、あくまで自分の言葉に責任を持とうとしないことです。

 ビルから飛び降りようとしている人が自分にとって大切な人であれば、自分も躊躇なく、「生きてさえいれば、きっといいことがあります」と言います。
 また自分の心に他人の人生にかかわることが出来るだけの余裕があれば、「生きていればいいことがある」と言います(それがないから言いません)。
 ともかく、「生きていればいいことがある」と言っておきながら、その場限りで「後のことは知らん!」とどこかに行ってしまうのは無責任だと言っているのです。

 ここまで書けば自分が何を言いたいのか、わかりますね?
 誰か自分に「生きていればいいことがある」と言ってください。
 よろしくお願いします(誰も言わないだろ。。。)。
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なぜ自殺をしてはいけないの?

2023-05-24 21:30:23 | 戯言
 歌舞伎俳優の市川猿之助氏が、自宅で意識がもうろうとした状態で見つかり、その後、同じ自宅で倒れていた両親の死亡が確認されました。
 この事件に関しては真相がまだよくわかっていないのでコメントは差し控えたいと思いますが、有名人が自殺すると、多くの人が「自殺はしてはいけない」という旨の主張をするのを見受けられます。

 「自殺をしてはいけない」と主張する人に聞きたいです。
 なぜ自殺をしてはいけないの?
 この質問すると怒り出す人もいます。
 なぜ自殺をしてはいけないの、だって?
 なぜもへったくれもない、自殺はしてはいけないからいけないんだ、禅問答のような答えを返されることもあります。
 そのような答えを返す人は、申し訳ないんだけど、あぁ、この人はあまり自殺について深く考えたことがないんだな、と思います。

 自殺をしてはいけないのは残された人が悲しむからだ、と言う人もいます。
 個人的にはこの答えが一番腹立たしいですね。
 残された人が悲しむから自殺をしてはいけないというなら、誰も悲しむ人がいない人間は死んでも構わないと言っているようなものではないですか。
 天涯孤独で友だちがいない人間は生きる価値がない?
 そんなことを言っているつもりはないというんでしょうが、自分にはそう聞こえるのです。
 本当に自殺がしてはいけないことなら、悲しむ人がいようといまいとしてはいけないんじゃないでしょうか。

 自分は別に自殺を奨励するつもりはないですし、「自殺をしてはいけない」と主張すること自体が間違っているというつもりはありません。
 ただ、「自殺をしてはいけない」と主張するのであれば、自身の中に「なぜ自殺をしてはいけないのか?」という問いに対して、自分なりの答えをちゃんと持っておくべきだ、と言っているのです。

 おそらくですが、自分はこの文章を目にする誰よりも、「死」について、「自殺」について、考えています(まぁ比べられることではないですが)。
 そしてとりあえず出した答えは「死ってよくわからんな!」ってことです。
 なので自分は誰かが死のうとしていてもそれを止めようという気にはなりません。
 ただ、教えてもらいたいことはあります。

 よく、死にたい人が「死んで楽になりたい」っていうじゃないですか。
 この考えがよくわからないんですよね。
 なぜ死んだこともないのに死んだら楽になると思っているのか。

 死にたい人ってたぶん人生が思う通りにならないから死にたいのだと思いますが、なぜ生きている間思う通りにならないのに、それが死んだ途端思い通りになると思うのか、それがわからないんですよね。
 普通生きている間思い通りにならないのであれば、それは死後も同じなんじゃないですかね。
 死に対して希望を見出している人には申し訳ないですが、自分はそう思うのです。

 もし自分が今死んで、来世で横浜流星のようなイケメンか、もしくは浜辺美波のような美少女に生まれ変わることが確定しているのであれば、ソッコーで死にます。
 喜んで死にます。
 ヒャッホーと歓声を上げながら死にます。
 でもそんな美味しい話があるとはとても思えません。
 元本保証、金利10%の儲け話があるとは思えないのと同様、死後の世界が自分の思い通りになるなんてことがあるとは思えないのです。

 なので死にたいという人には、なぜ死に対して希望を見出すことが出来るのか、なぜ死後自分の思い通りになると思っているのか、その理由、もしくは根拠を教えて欲しいのです。
 それが納得出来るものであれば、自分もソッコーで死にますが、誰か教えてくれないですかね?
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スカイダイバーより一言。

2023-05-23 20:55:18 | 戯言
 5月4日に兵庫の《コウノトリ但馬空港》で人生で初めてのスカイダイビングをしました。
 そのことを機あれば、ヤクルトのおばちゃんから運送屋のおっちゃんまで、誰彼構わず話しています。
 だいたい、へぇ、そうなんですか、と軽く流されることが多いのですが、「怖くなかったですか?」とか、「人生観、変わりました?」と聞かれることがあります。

 まず、怖くなかったかどうかですが、怖いか、怖くなかったかで言えば、当然怖かったです。
 ただ、自分の人生における恐怖体験のランキングでは、今回のスカイダイビングはベスト5にもランクインしません。

 ベスト5にランクインする恐怖体験はどんなものかと言うと、例えば、岡山に旅行に行った際、最終日に岡山で一番高いところにある温泉に入りに行ったんですよね。
 温泉から上がって、もう岡山では特に行くところもなかったので、その日車中泊をする予定だった広島の駐車場の住所をカーナビに入力しました。
 そしたらとんでもない山越えのルートを指示されちゃって…。
 道幅が車一台分しかないんですよ。
 しかもガードレールもない。
 わずかでもハンドルを切り損ねたら崖下に真っ逆さまです。
 もし対向車が来たら、、、想像するだけで体が震えました。
 その道を通っていたのはたぶん、10分か、15分ぐらいだと思うんですが、あの時は本当に怖かったです。
 あの時の恐怖体験がベスト3ぐらいかな。
 それに比べたら、スカイダイビングは安全装備もバッチシだし、すぐ後ろにはインストラクターもいるし、怖いことは怖いけれど、耐えられないほどではないな、って感じでした。

 あと人生観ですが、はっきり言います。
 まったく、全然、変わっていません。
 むしろ、スカイダイビングをしたぐらいで人生観が変わる人っているの?って思いますね。
 そんなことで人生観が一々変わっていたら、その方が生きることが大変そうですけれど。

 スリルももちろんありましたが、ぶっちゃけ体験料が5万円のスカイダイビングよりも、翌日鳥取でやった3千円のラフティングの方がはるかにスリルがあって面白かったです。

 恐怖体験としてはベスト5にランクインすることもなく、人生観も変わらず、スリルと面白さではラフティング以下のスカイダイビングをしたことを自分は後悔しているかというとそんなことはありません。
 スカイダイビング、やって本当によかったと思っています。

 人生って何が起きるのかわからないじゃないですか。
 何気なく入力した住所でとんでもない山越えのルートを行かされることもある。
 トラブルやアクシデントが起きた時、重要なのはどれだけ平常心が保てるかだと思います。
 そして平常心が保てているかどうかって、日常ではわからないことなんですよ。
 ある種の極限状態でなければ、それはわからない。

 スカイダイビングをしている最中にパニックにならなかったからといって、何かしらのトラブルやアクシデントが起きた際に平常心が保てるとは必ずしも限らないのですが、でもその方が可能性としては高いと思うんですよね。
 まぁ山越えの道を進んでいる間、半泣きだった自分に平常心があったかどうかは定かではないですが。笑。
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世知辛い世の中だなぁ。。。

2023-05-09 22:03:39 | 戯言
 現在「兵庫、島根、鳥取旅行記」絶賛更新中ですが(誰に絶賛されてるんだ。。。)、今日は更新を一時停止して、別のことに着いて書きたいと思います。

 『ちはやふる』などで知られる漫画家の末次由紀氏が5/7に投稿したツイートが現在論争を巻き起こしているのだそうです(こちら)。
 問題のツイートがどんな内容だったかというと「家族6人で『ドラえもん』の映画を観に行った際、5席しか取れず、間3席別の方を挟んで1席取ることになった。間に座った3名に1席ズレてもらえないかと頼んだところ快諾してもらえた。そのズレてくれた相手がシャ乱Qのつんくだった」というものです。
 正直、ふ~ん、で終わるようなエピソードだと思うのですが、これがもうビックリするぐらい炎上しています。
 以下ミクシィのニュースのコメント欄より抜粋。

>チケット買う時に「この席がいい」と思ったからそこの席を選んだのに、それを家族全員分横並びで取れなかったからって「移動して」なんて言うのはちょっと自分勝手じゃないか…
>断固断る。家族一列で席取りたいなら、早めに予約するなり対策立てろよ。無能に譲る席など無い。
>これって、飛行機で『子供が窓の外を見たいと言っているので、席を交換してくれませんか?』と言ってくる親と同レベルなのでは……。

 まず自分が予約した席は死んでも譲りたくないと思っている人の多さにビックリです。
 そんなに強いこだわりを持って映画館の席を選んでいるの?
 選んだ席でなければ、もし1席でもズレてしまったら、映画の見やすさが全然違うの?

 いやいや、そんなわけないでしょ。
 仮にベストの席があったとしても、そこから前後左右に1席ズレたぐらいで映画の見やすさは変わりはしないよ。
 人間の目はそこまで精密には出来てないから。

 飛行機の席交換とも今回のケースは明確に違うと思うけどなぁ。
 飛行機の場合、窓側の席に座って、外の景色を観たいと思う人もいるかもしれない。
 その人にとって席を交換することは明らかに不利益が生じるよね。
 
 でも映画館の場合は?
 席を一つズレることでどんな不利益が生じるというの?
 別に生じないでしょう。
 だったら席を譲ってあげてもいいんじゃないかなぁ。

 自分は見ず知らずの相手であっても、自分に何かしら不利益が生じるのでない限り、その人が喜ぶことをしてあげたいと思うけれど。
 そう思うことの方が異常なのかな。

 何だか末次氏のことを全面的に擁護しているようだけど、そんなことはなくて、芸能人がプライヴェートでどんな映画を観に行っているか、それを偶然知りえたとしても、そのことを公けにするべきではないよね。
 もしかしたら、人に知られたくないことなのかもしれないし。

 ともかく、自分は映画館で親子連れに1席ズレてもらえないかと頼まれても断らないつもりです。
 といっても、自分は映画館では端の方の席に座ることが多いし、そもそも親子連れで観に行くような映画を観ることはありませんが。笑。
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