ブログ 「ごまめの歯軋り」

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世界史の構造

2021年03月11日 | 書評
京都市下京区堀川通七條  「興正寺 御影堂と阿弥陀堂」

柄谷行人著 「世界史の構造」 岩波現代文庫(2015年)

第三部 近代世界システム (その10)

第4章 アソシエーション(社会主義論)

④ 労働組合と協同組合
労働者による資本への闘争は生産過程に見出さなければならないという見解はマルクス主義には強固に残っている。プルードンが流通過程を、マルクスが生産過程を強調したのはそのためである。プルードンが流通革命を重視したのは当時のフランスには産業資本による工場生産、産業労働者がほとんどいなかったためである。彼が考えたのは職人や小生産者たちの協同組合的な生産であり、そのための金融システムであった。産業資本の発達したイギリスでは産業労働者の闘争は生産過程において組織された。それは労働組合による闘争であった。イギリスにおける社会主義運動は、生産過程に焦点を当てた古典経済学、リカード社会主義理論に基づいた。不払い労働としての剰余価値は労働者にも分配されるべきとリカード社会主義者は説いた。労働者が団結し、賃金闘争、労働時間の短縮労働条件の改善闘争であるチャーチスト運動は1848年に頂点に達し、総資本は賃金を上げ福祉を向上させることは、個別資本にとって損失であるが、それは消費を拡大し資本の蓄積を増加させるという変化を受容した。これによって労働者階級は中産階級的な消費者になり、労働運動は非政治的になった。社会主義運動もミルに代表される社会民主主義的ないしは改良主義的なものになった。それはドイツでも19世紀末になって起こった。マルクスが資本論を書いたのもそのような時期であった。マルクスは産業資本を流通過程から考え、産業資本の特質は労働力商品を持つことにあるとした。産業資本の蓄積は労働者を消費者にしなければ成立しない。マルクスは資本主義に対する対抗運動を改め、イギリスのリカード左派の共同組合運動に関心を示した。労働組合は資本が労働者を結合させて働かせた剰余を取り戻す闘争である。協同組合は労働者自身が労働を連合するものである。ここでは利潤は労働者に分配される。もはや資本制生産ではなく、労働力商品は存在しない。前者は資本の中での闘争であり、後者は資本の外に出る闘争である。協同組合運動はロバート・オーウェンが創始した。オーウェン派の労働者はまず流通過程から始めた。ロッチデール原則に基づく消費協同組合が続々設立された。共同組合製造工場も併設された。労働組合運動は資本主義的資本蓄積の一環で労働力の価値を確保し高める運動でしかない。それに対して協同組合運動には労働力商品の揚棄、資本制に揚棄が含まれている。マルクス主義者は一般に消費者共同組合に対して冷淡か軽視してきた。あまりに非力で小規模で利潤を追求する競争で大資本に勝てる訳がないとみられた。労働者のアソシエートされた生産はどんなにうまくいっても、資本が労働力を結合した生産にかなわないのである。マルクスが共同組合の限界を知りながら、共同組合に社会主義の鍵を見つめていたのではなかろうか。マルクスはラッサールの「国家社会主義」は絶対受け入れなかった。国家による生産者共同組合を痛烈に批判した。国家によって協同組合を育成するのではなく、協同組合のアソシエーションが国家にとってかわるべきだとマルクスは「ゴータ綱領」で述べた。

⑤ 株式会社と国有化
マルクスは共同組合生産に社会主義の鍵を見たが、その限界に気が付いていた。大規模生産、大資本に対抗できないことであった。そこでマルクスは株式会社に注目した。株式会社では資本と経営の分離が生じる。株主は出資をして配当を受け取り経営の議決権を持つが、自らは生産手段は所有しない。株主は企業の損失について無限責任を持たないし、株を売って貨幣資本に転化できる。マルクスは「株式会社は共産主義に飛び移るために最も完成された形態」であると考えた。資本家には利潤率の確保という至上命令があり、資本の蓄積(自己増殖)ができないかぎり資本たり得ない。経営者は株主とは別で、資本の持ち主は企業(法人)である。だから経営者は監督労働をおこなうホワイトカラー賃労働者であるとみなせる。経営者と労働者が、株主の支配から離れて自立しアソシエーションを形成できる可能性もありうるとみた。マルクスは、株式会社における法人所有を労働者の共同占有に変えることを主張した。それに対してラッサールの国家の下での協同組合は産業の国有化である。国有化と資本主義は背反するものではない。国営化は民間でできない規模の大資本を可能とする。巨大企業が崩壊の危機にある時、国営化は有力な回避策であった。後発資本主義国では巨大な資本蓄積が必要物は最初国営企業としてスタートし、やがて民営化された。そういう意味で株式会社は国営企業より発達した形態である。マルクスの協同組合論はその後無視された。エンゲルスは巨大な株式会社を国営化すれば社会主義はすぐに実現できると考えたが、それでは社会主義とは計画的資本主義経済に等しい。レーニンにいたって社会主義=国営化という路線は確固たる方針となった。農業の国営化、集団農場化はむしろアジア的専制国家の農業共同体に逆戻りすることであった。国有化と国家統制および全国民の国家公務員化によって国家官僚は絶大な力をも持つようになり、スターリンというモンスターを生んだ。

⑥ 世界同時革命
マルクスが国家権力の掌握を社会主義実現の必須の事項と見たのは、一時的に資本主義=国家権力を停止して、階級社会を廃棄すれば国家は自然消滅すると考えたからだ。パリ・コンミューン蜂起はプロイセン軍によって2か月で粉砕され、革命運動は窒息した。コンミューンは一国一都市の革命で、すぐに外の国家によって干渉や妨害に出会うことは自明であった。社会主義革命は一国ではなしえない、それは世界同時革命としてのみ可能であるとマルクスは「ドイツ・イデオロギー」に述べた。国家はその内部からだけでは揚棄できないことを身にしみて悟った。先進国の「世界同時革命」が後進国の革命の前提条件であった。国家は世界システムの中に存在する。つまり他国との関係において存在するのである。1848年の革命は世界同時革命の様相を帯びていたが失敗した。その後第1インターナショナルができ、1871年のパリ・コンミューンに期待した。

(つづく)