ブログ 「ごまめの歯軋り」

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世界史の構造

2021年03月08日 | 書評
京都市下京区松原通り壬生川東入る  「浄土宗 長円寺」

柄谷行人著 「世界史の構造」 岩波現代文庫(2015年)

第三部 近代世界システム (その7)

第3章 ネーション
① ネーションの形成
交換様式Cが支配的である資本制社会構成体は、ここにおいて資本=国家=ネーションという形を取る事になる。ネーションと国家は異質なものが結合する前に、資本=国家の結合が先行している。それが絶対王権であった。絶対王権は、交換様式Bが支配的であった社会構成体が交換様式Cの中で変形した形態である。ネーションがあらわれるのは、絶対王権が市民革命によって倒された後の事である。ネーションは資本=国家によって形成されたものであるが、同時に資本=国家の欠陥を埋めるために出現した。ネーションの基盤は血縁的・地域的・言語的共同体である。ネーションの契機は主権国家であり、産業資本主義である。                             
A 主権国家のレベル
通常ネーションは、市民革命において現れる。イギリスでは名誉革命1688年において人民主権が確立されたとき、ネーション=国家が形成された。ネーション(国民)とは国家の主権者である。アジア的専制国家では王朝の変遷はあったが、専制体制が倒されて人民が主権者になることはなかった。封建的勢力、部族・民族を統合する絶対王権の力がないと主権者になることはできない。一般に部族共同体がネーションの基盤になると考えられるが、部族間の絶え間ない抗争、他国の介入を抑える力こそが絶対王権なのである。絶対王権の独裁者が倒されて、主権者としての人民が出現したのである。

B 産業資本主義のレベル
ネーションを交換様式C(産業資本主義)より見ると、職業的な流動性と急速に変化する不安定なキャリアー、知らない同士で頻繁で精密なコミュニケーション力を労働商品に求めるのである。後発的な資本主義国家が最初に行う政策は徴兵制と義務教育であった。それはナショナリズムを育成することを労働者に求めること同じである。 

② 共同体の代補
しかしネーションはたんに国家・資本が作ったものではない。歴史的にみると、ネーションは市民革命によって絶対的主権者が倒され、個々人が自由と平等を獲得したときに成立したのである。そして個々人の間に連帯が必要である。フランス革命の「自由・平等・博愛」というスローガンが唱えられたように、ネーションに必要なのはこのような「感情」である。民族的共同体・言語的共同体・経済的共同体では表せない、感情という形でしか意識されない「交換」をみるのである。ネーションという概念はマルクス主義者の不得意とする問題であった。彼らに取ってネーションとはイデオロギーでしかなかった。アンダーソンはこれを「想像の共同体」ととらえた。ネーションはむしろ啓蒙主義の結果とみた。ネーションとは宗教に代わって個々人に不死性・永遠性を与え、その存在意味をあたえるものであった。ナショナリズムは宗教に代わって想像力のある応答をしたという。「民族は宗教である」とはなだ・いなだ氏の言葉である。その宗教とは農業共同体の世界観である。普遍宗教はその農業共同体の宗教を取り戻したのである。プロテスタントは個人的な宗教として、絶対王権の啓蒙主義以降の宗教であった。資本・国家による共同体の解体はそれまで持っていた永遠性の消滅であった。だからネーションを共同体の代補であるとアンダーソンは考えた。共同体の衰退の中で想像的に回復されるネーションが宗教的形態をとったのであろう。ヘーゲルの考えは、資本=国家=ネーションこそが理想的国家であるという。 
     
③ 想像力の地位
18世紀後半の産業資本主義国家の出現とともに、アンダーソンが言う「想像された共同体」が形成されただけでなく、想像力そのものが意味を持つことを哲学的文脈で問題となった。想像力は感性と悟性を媒介する地位におかれた。カントは想像力を完成と知性を媒介するもの、あるいは知性を先取り創造的能力といった。ネーションの感情が形成されるのと、哲学的に想像の地位が高まるのは同時期であった。アダム・スミスは「道徳感情論」において、共感=同情樋相手の身になって考える「シンパシー」という想像力を大事にした。スミスは自分と相手の利己心を認め、利己心を追及することが全体の社会の福祉に貢献するという楽観論を述べた。スミスは国民経済学を倫理学体系の中で考えたのである。スミスは「厚生経済学」の先駆者であった。

(つづく)