ブログ 「ごまめの歯軋り」

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世界史の構造

2021年03月09日 | 書評
京都市東山区  「建仁寺 勅使門」

柄谷行人著 「世界史の構造」 岩波現代文庫(2015年)

第三部 近代世界システム (その8)

第3章 ネーション

④ 道徳感情と美学
フランス革命の友愛は、スミスの共感、同類灌頂と呼んだものと同じである。この「友愛」はキリスト教的な観念と異なり、労働者のアソシエーションの表現であった。そしてネーションに受け継がれていった。だが友愛はいつもナショナリズムとつながる傾向がある。初期社会主義のサン・シモン主義者は国家による産業の発展と社会問題の解決を図るものである。それもナショナリズムに帰着した。共感や友愛についてさらに突っ込んだ吟味がドイツで、哲学的な議論でなされた。ドイツの「道徳感情」という問題は、感情に道徳的あるいは知的能力があるかどうかが議論された。感性・感情はいつも下位に置かれた。知性によって克服すべき情念に他ならないとされた。18世紀になって感情には知的能力や道徳的判断が可能であるばかりか理性を越えた能力を秘めるという議論が出てきた。美学は感性論(エステチック)と呼ばれる。カントも感性論盧いう意味で用いた。カントの考えは、道徳法則は理性的なものであり、感情論や感性には存在しない。感性と理性は想像力によって綜合される。したがって感性と理性は想像的にしか綜合できないことを意味する。(カント「純粋理性批判」)

⑤ 国家の美学化
カントは感性と悟性の二元論を肯定したわけではない。感性と悟性の分裂は、見かけはそう見えても実際よく見るとそうではないことを認識することである。その分裂を「想像力」で乗り越えようとするとき、文学作品となる。ネーションもそういう意味で想像的な共同体である。ネーションにおいては、現実の資本主義経済がもたらす格差や不平等・不自由が、創造的に補填され解消されている。ネーションにおいては支配の装置である国家とは異なる、互酬的な共同体が想像されている。ネーションは国家や資本に対して批判を含んでいるが、同時に国家や資本がもたらす矛盾を想像的に解決することで、国家=資本の破綻を防いでいる。それは資本主義経済と国家がネーションによって結ばれている図式となる。感性と悟性が想像によって結ばれている構造と同じである。これを「ボロメオの環」と呼んだ。国家はホッブスやロックのような社会契約論で見られた国家とは異なる、いわば感情に立脚したネーションとなる。ネーションの核心は言語にあるとフィフテは考えた。地縁・血縁・政治ではなく言語がネーションだという論である。国家が国境で分かたれるように、ネーションは内なる国境を持っている。内的国境としての言語において、すでに理性的なものが感性化=美学化されている。日本人の「万葉集」の美学は理性を越えているのと同じである。どんなに矛盾がっても憲法九条が日本人ネーションの骨肉化(信条化)されているのと同じである。ところがフィフテには言語がどのようにして作られたかの視点が欠如している。ナショナルな言語は、帝国の文字言語(昔の日本人にとって中国の漢字がそれにあたり、戦後は英語)の翻訳から出来上がったのである。 感性と悟性の統合から出発するドイツのロマン派の哲学がヘーゲルによって完成された。ヘーゲルの「法の哲学」は資本制経済と国家とネーションがどのように連関しているかを最初に示した。そのような統合は「理性的な国家」すなわちネーション=国家において実現される。家族・共同体を越えた市民社会をさらに超えて実現される高次の次元は、すなわちネーションにおいて現れる。ヘーゲルが資本=国家=ネーションというボロメオの環を構造的に把握したからである。しかしヘーゲルはこうした環が想像的でしかないことを忘れていた。 

⑥ ネーション=ステートと帝国主義
ネーションは絶対王権と同様に西ヨーロッパに最初に出現した。そしてネーション=ステートは自ら拡大することによって、他の地域にネーション=ステートを生み出した。ナポレオンのユーロッパ支配がフランス革命を伝えたが、現実にはフランスが支配した地域からネーション=ステート(国民国家)が生まれた。国民国家は帝国と違って、多数の民族や国家を支配する原理を持っていない。国民国家が他の国民国家を支配するとき帝国主義となる。帝国の原理はローマに見られるが、近くはオスマントルコに見られる。オスマントルコは20世紀まで世界帝国として存在したが、住民をイスラム化しようとはしなかった。帝国主義は国民国家と同様に成員・他民族に同質化を強要する。オスマントルコは西欧諸国によって解体され、多数の民族国家が生まれた。西欧諸国家は諸民族を帝国から解放して独立させ、経済的に支配しようとした。それは帝国ではなく帝国主義である。帝国主義は帝国の原理はなく、国民国家が他の国民国家を支配することである。世界帝国の場合、征服は服従・貢納と安堵の交換に帰結する。つまり世界帝国は交換様式Bに基づく社会構成体である。広域国家である帝国は、征服された民族や国家の内部には干渉しない。故に同質化を強要することは無い。一方国民国家の拡大としての帝国主義は、各地に国民国家を続出する結果になる。それは帝国主義の交換様式Cに基づく支配であるからだ。帝国主義は旧来の他国社会構成体を根本から変容させる。資本主義的市場経済が部族的・農業的共同体を解体するからだ。 帝国主義的支配への反乱はナショナリズムとなる。こうして意図せず国民国家を創り出すのである。問題は世界帝国の中核である。これらは経済的軍事的に大国であり、植民地化されなかったが19世紀後半には近代帝国主義列強によって浸食された。中国の清朝は自ら近代国家に組み替えようとしたが、多数の部族・国家を含むためうまくゆかなかった。この時帝国の規模を維持しつつ中央集権的な工業経済化を推し進めるイデオロギーはマルクス主義以外にはなかった。ロシアや中国における社会主義革命は、この国家論的意味において旧来の世界帝国の存続を可能にした。

(つづく)