ブログ 「ごまめの歯軋り」

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ガン免疫療法とは何か

2021年03月18日 | 書評
本庶 佑 著 「がん免疫療法とは何か」 第1回
岩波新書(2019年4月)


2018年12月10日、本庶 佑氏はジム・アリソン教授と共にノーベル生理医学賞を受賞した。授賞理由は二つの主な制御因子であるCTLA4とPD-1を阻害することによって免疫システムが再活性化し、それによって相当数のガン患者を治癒できることが分かったからであった。ガン免疫治療が可能なのは、身体のもつ「獲得免疫」という免疫システムの賜物です。この遺伝子の再構成を伴う獲得免疫は、ガン細胞の小さな変化をもとらえることがでるからです。この能力は約5億年前に脊椎動物が誕生したときに偶然(獲得し)進化し、連綿と受け継がれてきたものです。現在の治験では免疫治療効果がみられたのはまだ20-30%にすぎませんが、ペニシリンの発見に等しいという評価を受けた。本書はノーベル賞受賞を記念して、本庶氏がPD-1抗体による免疫療法について述べたものです。あわせて生命現象の本質、生命研究の歴史についてやさしく解説した啓蒙書になっています。

第1章 生物と免疫
生命の設計図といわれる遺伝子DNAはAGCTの4つの塩基の3つの並び方によってアミノ酸配列を規定したんぱく質構造を決めている。ヒトでは約2万個のたんぱく質の情報が保存されている。この遺伝子情報は個人の中では変わらず、細胞分裂とともに伝達されている。核酸DNAの遺伝子情報によってたんぱく質の構造が決まるという遺伝子情報の流れを「セントラルドグマ」と呼ぶ。DNAは親から子に、子孫に遺伝情報は受け継がれる。母親と父親の遺伝子が受精卵の中で混じりあうために、この遺伝子は片親の遺伝子と同じことにはならないし、兄弟の間でも父親と母親の遺伝子の混じり合いは少しずつ異なるので兄弟間の遺伝子は違うものである。もし遺伝子永遠に変化しないものであるなら生命の進化はない。遺伝情報は少しずつ変異を起こしながら変わり、あるとき大規模な変異が導入される場合がある。その変異の結果が環境によって選択され生物の進化が起きたというのが、ダーウインの進化論である。遺伝情報を持つ最小の単位は細胞である。細胞は、遺伝情報を包み込んだ核と様々な小器官からなる細胞質で構成される。生物の中では単細胞生物のほうが多細胞生物より圧倒的多い。体細胞生物は生殖細胞を作り受精によって子孫を増やす。受精を行い他の生物の遺伝子と混じり合うことは、生物の進化にとって大きな役割を果たした。多細胞生物の特徴は、複雑性、多様性、不確実性にあるといえる。生命体は非常に大きな環境の変化に耐えられる様々な自己制御系を有している。かつその制御はファジーである。種全体としては、多様な遺伝子型を持つ個体からなる方が、環境の変化に対して生存の機会を確保しやすい。このような自己防衛システムの仕組みの一つに免疫系がある。免疫細胞は、リンパ球、やマクロファージ、NK細胞(ナチュラルキラー細胞)や好中球、好塩基球が血液中を流れ防御刑を構築している。

免疫には自然免疫と獲得免疫とがある。自然免疫は鼠からヒトにおけるまで原理的に共通した仕組みで成り立つ。自然免疫の原理とは、細胞の膜上に、異種生物分子群に共通したパターンを認識する受容体が存在する。例えば受容体はリポポリサッカライドLPS構造を認識して異物(他の生物細胞)の存在を細胞内に伝える。その結果マクロファージなどの免疫細胞はサイトカインを分泌して活発にその貪食活性を上げ、獲得免疫系にも異物の侵入を伝達する。さらに受容体は細胞の中にも存在し、異物の核酸に結合し免疫細胞の活性化を行う。獲得免疫は感染を記憶できる免疫で、脊椎動物以降に進化した生物にだけ存在する。自然免疫と異なる点は、獲得免疫ではリンパ球という免疫細胞が存在し、それぞれのリンパ球が異物を細かく認識しそれぞれ異なる受容体をもち、非常の幅広い異物の侵入を阻止することである。獲得免疫の大きな特徴は抗体(抗原と反応する免疫系が作るたんぱく質)の産生である。19世紀末ベーリングと北里柴三郎はワクチン(疑似抗原)を投与するときにそれに対して抗体ができることを発見した。1977年利根川進は。多様な抗原に特異的に結合できる抗体産生の謎を解き明かした。リンパ球では抗体の遺伝子がリンパ球ごとに分化の過程で自由自在に再構成されるという発見であった。さらに2000年に本庶らは、ワクチンの抗体記憶を司るAIDという遺伝子を発見した。利根川らが発見した分化の過程で起きる抗体遺伝子の再構築では、RAG-1,RAG-2という遺伝子再編集酵素が働き、成熟したリンパ球が抗原に出会ったとき、AIDが体細胞突然変異とクラススイッチという2種類の遺伝子再構成を行う。体細胞突然変異とは抗体の抗原結合部位の遺伝子配列にランダムな点突然変異を導入し、それぞれの変異を持つ多数のリンパ球の中から、抗原への結合能力が高まる抗体を産生するリンパ球を選び取ることである。クラススイッチとは抗体の種類を切り替えるしくみである。抗体には抗原認識部位とは別に構造的に軸となる部分がある。侵入者を防ぐために分泌されるIgA、侵入者を捕食するIgGなど、様々な抗体の種類を供給する。抗原に対する抗体記憶が残りワクチンが効果を発揮するのである。この2つの抗体機能をAIDが担い、AIDによって抗原記憶がリンパ球の遺伝子に刻み込まれる。こうした遺伝子再構成は抗体を産生するBリンパ球細胞と、抗体を助け感染細胞を直接殺すTリンパ球細胞において起こることが分かった。獲得免疫の特徴は自然免疫の識別能に比べて極めて特異性が高い。

識別能がけた違いに高く、かつ遺伝子変異がほぼランダムにおこなわれると、自己と非自己の区別がうまくゆくかどうかが問題となる。バーネットはクローン(同一の遺伝子を持つ細胞系列)の選択で起こるだろうと予測した。T細胞では胸腺の中で骨髄幹細胞から分化する過程で自己抗原に反応するT細胞は殺され、血中には残らないことが分かった。抗体を産生するB細胞はT細胞との協調で抗体産生を行うから、T細胞における自己反応性細胞を排除すればそれで問題はなくなる。特異性があまりにも厳格であることと、自己には反応しないことが望ましい。これを受容体の構造だけで一義的に規定することには問題がある。だからT細胞受容体にはオールorナッシングではなく一定の幅をもって異物を認識する仕組みである。リンパ球は抗原が結合するだけで別に何もしない。ただ結合したという信号が細胞の中に伝えられ、細胞内分子がリン酸化を起こして細胞内の情報伝達系によって遺伝子の発現誘導を起こすのである。他の細胞の免疫反応を動員して免疫反応が成立する。抗原認識後相対的反応閾値の制御に係わる分子として、いわゆるアクセルとブレーキの両方が存在する。ブレーキとしてCTLA-4、PD-1、アクセルとしてCD-28,ICOSという分子が存在する。ガン免疫療法の道はアクセルを操作する試みは長く行われたが成功しなかった。今日最も有力な制御はブレーキの弱体化である。免疫系細胞間の情報伝達にはケモカイン、サイトカインという伝達物質を使う。サイトカインは活性化や抑制化のシグナルとして使われる。リンパ球が抗原刺激によって増殖するスピードはすさまじいと言われている。T細胞は8時間で1回分裂する。このためPD-1抗体により免疫系のブレーキ阻害によってリンパ球が急激の増殖する結果、神経伝達物質の前駆体であるトリプトファンやチロシンが不足し不安という神経症状が現れる報告もある。脳と免疫系の相互作用はステロイドホルモンによる免疫系の機能低下、腸管免疫系などが知られている。アルツハイマー病などにも関係し、全身の炎症反応の過剰、免疫系の老化の制御などこれからの課題も多い。


がん免疫療法とはなにか

2021年03月18日 | 書評
本庶 佑 著 「がん免疫療法とは何か」 第2回
岩波新書(2019年4月)


第2章 PD-1抗体でがんは治る
本書の題名からすると、この第2章が本書の中心である。第3章は生命の一般論(全体像)で、第4章は生命医学研究のことで、第5章は日本の医療のインフラに関することである。

① 革新的ガン免疫療法の誕生                                 米国のニクソン大統領は20世紀後半の国家プロジェクトとしてアポロ計画に続いてガン征圧をかかげ、膨大な国家予算を投入したが、ガンについての理解は深まったが、ガンの治療に関しては見るべきものはなかった。ガンの新規治療法(とくに抗がん剤)としては、2001年に承認された白血病に対する「イマニチブ」が注目された以外には、希望を持たせる成果はなかった。化学物質である抗がん剤の原理は、がん細胞の特定分子に結合しがんの増殖を防ぐというのが一般的である。利き方はさまざまで、半年から1年ガンは縮小するが、例外なく抗がん剤治療ではガンの転移と再発が起きる。ガン治療は、化学的抗がん剤以外に、外科的切除、放射線治療がある。これら三大治療法とは異なる、自分の免疫力で治す治療法の考えは100年前から試みてきたが究極的には成功していない。ガンは非自己細胞であるから識別可能であり免疫力で殺すことは可能である。免疫がガンを監視している状態から、ガンの力が勝って免疫系が無力化される状態を「免疫寛容に陥る」という。従来のガン免疫療法の主流はガン特異免疫細胞の活性化を目指してきました。ところが成績が悪い。その原因としてガン細胞は免疫細胞のブレーキ系を目いっぱい踏み込んで「免疫寛容」状態(免疫無力化)にしているようです。そのブレーキを外すことが重要なのではと発想を変えたことが、PD-1抗体治療法の発見につながった。免疫系のブレーキ役の理解と発見が遅かった。1987年CTLA-4が発見され、1992年に筆者らがPD-1を発見した。1995年PD-1遺伝子ノックアウトマウス実験でPD-1が確かにブレーキであることを証明した。免疫系は活発に働きガン細胞を攻撃するのである。
       
この状況を改善するためには、PD-1抗体やPD-L1抗体でPD-1やPD-L1をブロッキングし、T細胞の免疫システムを正常に戻すことが有効です。PD-1/PD-L1抗体は、肺がん、腎臓がん、胃がん、大腸がん、子宮がん、白血病、脳腫瘍に有効であることが分かっています。ガン細胞は正常細胞の100-1000倍の速さで遺伝子に変異を蓄積する。したがってがん細胞の抗原も変化してゆく。だから一つの抗原をめがけた従来の免疫ワクチン療法では化学療法と同じ結果となり、無力になる。これに対して実はブレーキ役を破壊することで、すべての免疫系のリンパ球(キラーT細胞リンパ球)を動員することができる。リンパ球の認識部位である受容体はほぼ無限に近い多様性を持っている。こうした認識の多様性が免疫の大きな特色である。PD-1抗体やPD-L1抗体はニボルマブ(オプジーボ)、ペムブロリズマブ、アベルマブ、アテゾリズマブ、デュルバルマブが2019年時点で保険医薬として承認されている。PD-1抗体免疫療法の特徴は、 ①特定のがんだけに効くのではなくすべてのがんに効くだろう、②効果が長期に持続する、③副作用が少ないことである。自己免疫疾患にならないかどうか今後の課題である。PD-1抗体免疫療法の臨床研究は2006年よりアメリカで、2009年より日本で開始され、肺がん、悪性黒色腫メラノーマ、腎臓がん、卵巣がんに対して18-28%に効果がみられた。2014年PD-1抗体であるニボルマブと化学抗がん剤であるダカルバジンを二重盲検試験が行われた報告では、17か月経った時点ではPD-1抗体であるニボルマブ投与で70%の生存率が得られ、化学抗がん剤であるダカルバジン投与での生存率は20%であった。ホジキンリンパ腫という血液ガンでの報告では23全例で20%の腫瘍の縮小があった。この治療の問題点は奏功のある患者とそうでない患者群に分かれることである。2002年に、本庶氏と小野薬品の特許が世界中で成立した。世界の大手薬品企業も参入し、10年以内にはPD-1抗体免疫療法がガン治療の第1選択肢になるのではないかといわれている。参考までにこのPD-1抗体免疫療法の原理の図を下に示します。

(つづく)