ブログ 「ごまめの歯軋り」

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世界史の構造

2021年03月05日 | 書評
京都市下京区祇園  「建仁寺 山門と放生池」

柄谷行人著 「世界史の構造」 岩波現代文庫(2015年)

第三部 近代世界システム (その4)

第2章 産業資本

① 商人資本と産業資本
資本主義経営や貨幣は古代から存在していた。商品交換様式Cがドミナントであるような社会構成体は、産業資本主義とともに現れた。そのカギは封建制のヨーロッパの世界=経済にあった。そこでは中央集権的な国家がなく、各地に自立的な自由都市が交易をおこなっていた。交易や市場の発展は、かならずしも商品交換様式Cが支配することではなかった。産業資本主義が商人資本主義とは異なる特徴があったからである。アダム・スミスやマックス・ウェーバーは、商人資本では生産性向上による利益追求の努力、付加価値の創造からくる剰余価値に結びつかなかった点に着目した。商人資本では異なる価値体系(時間的・距離的)の間での差額を得る。

② 労働力商品
マルクスは産業資本における剰余価値が、たんなる流通過程でもなく、たんなる生産過程でもないところから得られると考えた。商人資本の価値増幅過程は、産業資本と同じで、貨幣M→商品C→貨幣M’=M+ΔMすなわちΔMが剰余価値である。産業資本が商人資本と違う点はこのCにある。つまり労働力という商品にある。産業資本の労働者は、自分の労働力を自由に売ることであり、またそれ以外に売るものは持たない。産業資本主義経済において、労働者の消費はそれによって労働力を征さん及び再生産するものである。労働者の個人的消費は資本家にとって不可欠の生産手段である労働力の再生産をするものである。こうして産業資本は、労働者に賃金を払って働かせ、彼らに作らせた商品を買わせる、そこに生じる差額(剰余生産)によって増殖するのである。所謂「民需」市場を付帯しているのである。自己創設(生命の自律)のオートポイエーシス的なシステムを形成した。労働力の商品化は、社会的な個人の自由を実現すると同時に、新たな拘束服従に縛られ、解雇の恐怖の下に置かれる。貨幣(生活の資)を得るために働くということは賃労働というありかたを厳しいものに変えた。

③ 産業資本の自己増殖
マルクスは「資本論」第1巻では資本一般を論じたが、第3巻で複数の個別資本から考察した。資本を資本一般または総資本として見なければならないことがある。労働者の消費とは(買い戻す 労働力再生産)は総資本で見なければ意味をなさない。資本の自己増殖は、資本が雇用した労働者に生産させた物を労働者自身が生活のために買いもどすことから発生するということになる。剰余価値を考えるためには総資本という観点が不可欠である。マルクスは個々の産業資本については、労働者の賃金をできるだけ抑えたいと望んでいる。自分の資本の商品にとって、ほかの資本家の労働者の消費をできるだけ多くしたいと考えている。これは幻想にすぎない。そんなうまい話は期待できない。総体としての資本家と労働者の関係が本質的な関係である。1930年代の大不況で国家=総資本は、個別企業なら取りそうにもない政策をとった。ケインズ主義あるいはフォーディズムがそれである。国家が公共投資によって需要を創り出すこと、企業が賃金を上げることによって、生産と雇用を安定させることが図られた。だがこれは資本主義が修正されたわけではない。資本の危機に際して国家が前面に出てきたということである。総資本は総労働に対して不当搾取や不等価交換によっては剰余価値の蓄積はなし得ない。剰余価値は労働者が作り出した労働力の価値と商品価値との差額にある。スミスやリカードは、資本が企てた「協業と分業」体制に秘密があるので。その成果は資本家のものであるという見解であった。リカード左派はそれこそ剰余価値であり、本来労働者のものであるのに資本側が不当に奪ったという意見であった。マルクスもリカード左派の見解を受け継ぎ、労働強化や生産性向上によってもたらされる剰余価値を分析した。商品価値はそれを生産するのに必要な社会的労働時間で決まる。一方労働力の価値は労働力の生産・再生産に必要なコストであり、生活物資を中心とした商品価値によって規定される。労働力の価値は全商品の関係体系の中で決まる。産業資本はこのような価値体系を差異化することによって、その等価交換から差額を得るのである、企業が自国の商品体系から海外に生産を移すのはそのためである。マルクスは資本が労働力賃金を低く抑えるために、常に流入するプロレタリアートの「産業予備軍」を形成する必要があるという。

(つづく)