ブログ 「ごまめの歯軋り」

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岩国市新市長 市財政補助金と引き換えの基地移転容認でこの事態は予測される 

2008年02月12日 | 時事問題
asahi.com 2008年02月11日18時06分
岸田沖縄担当相「強い憤り」 米海兵隊暴行事件
 沖縄県の女子中学生に乱暴したとして在沖米海兵隊員が婦女暴行の疑いで逮捕されたことを受け、岸田沖縄・北方担当相は11日、東京都内で記者団に対し、「あってはならない事件が発生したということで、強い憤りを感じている」と語った。

asahi.com 2008年02月10日23時12分
岩国市長選 米軍機容認の福田氏初当選 反対の前職破る
在日米軍の再編に伴う厚木基地(神奈川県)から岩国基地(山口県)への空母艦載機部隊移転の是非が争点となった山口県岩国市の出直し市長選が10日投開票され、移転容認派が擁立した前自民党衆院議員の新顔福田良彦氏(37)が接戦の末、移転に反対する前市長、井原勝介氏(57)を破り、初当選した。これで05年秋以降膠着(こうちゃく)していた移転計画が進むのは確実で、当初の国の予定通り14年までに完了する可能性が高まった。当日有権者数は12万1717人、投票率は76.26%(前回65.09%)。

人口五万の岩国市長殺すに刃物はいらぬ  補助金の紐を締めればいい
防衛省と総務省の連携宜しく、岩国市長を葬って、云うことを聞く基地移転賛成派の新市長を持ってきた。人口五万の地方市の財政では自立できるところはない。最初から国の補助金で成り立ってきた。新市長も基地移転賛成ではなく、ほかに生きる手立てがあれば、基地は要らないはずである。まるで赤子の手をひねるように、岩国市長の首を据え代えた自治官僚の悪党ぶりは、未来永劫に記憶されるだろう。アジア最大の航空母艦基地岩国が沖縄になる日も近いのか。沖縄の人々の苦しみを本州人が味わう事になるということか。
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読書ノート 猪瀬直樹著 「空気と戦争」 文春新書

2008年02月12日 | 書評
日本敗北予測の擬似内閣の結論が、御前会議で開戦論の空気に破れた理由 (最終回)

3:御前会議開戦決定まで
 9月6日天皇臨席の「御前会議」が開かれた。そして日米開戦やむなしとする「帝国国策遂行要領」が承認された。「御前会議」では天皇は発言しない。「君臨すれど統治せず」なのだ。この天皇の無責任は上から下まで一貫して官僚の無責任体制の源になってきた。この会議では主戦派である陸軍省と統帥部(大本営参謀本部)が、和平派の近衛文麿と海軍出身の豊田貞次郎外相を押し切ったのである。10月近衛文麿は「戦争には自信がない。自信があるひとでおやりなさい」といって辞任した。そして10月17日東条英機に組閣の命が下る。天皇は開戦の御前会議の結果を再検討するようという意向で東条に命を下した。そして11月5日の「御前会議」は開戦の方針は変らなかったが、対米交渉の12月初頭までの成果を期待するとの一項も11月26日の「ハルノート」で進退極まった。鈴木貞一規格院総裁は御前会議で問題だらけの石油バランスシートを説明し、何とかつじつまを合わせた。そして真珠湾攻撃となって日米は開戦した。

 海軍と陸軍の敵は米国ではなく互いが当面の敵であった。海軍からいわすれば「陸軍が中国から撤退すれば日米開戦は防げる」といい、陸軍は「アメリカと実際に戦争をするのは海軍なのだ。陸軍は自分の腹は痛まないから勝手なことを言っている。最終的な判断は海軍がすべきで、海軍ははっきり出来ないとは言わなかった」とお互いの開戦の責任を擦り付けている。山本五十六連合艦隊司令官も「1年なら存分に勝ってみせる」と無責任なことを言う。こういった無責任な意思決定の本質を「空気」といい、天皇を頂点とする国体での忠勇ぶりを自慢したいがために、同胞300万人の戦死に到ったのである。一昔海軍は和平派で理性派、陸軍は主戦派で国粋主義者つまり無謀とみなす論があったが、冷静に見てみると海軍も山本五十六に見るようにかっこいいことばかり言って戦争に反対という立場は明確にせず、その上海軍の戦争方式が空母中心の空軍に変わっていたのを知らないで、飛行機の大量生産を行わず、日露戦争の日本海海戦の奇跡的勝利に埋没して「戦艦大和」という無用の長物を作って、南海の藻屑になるという愚行を犯している。海軍理知派という図式はかならずしも当らない。
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読書ノート 菅谷明子著 「メディア・リテラシー」 岩波新書

2008年02月12日 | 書評
英国、カナダ、アメリカの教育現場でメディア・リテラシーがどう教えられているのか (最終回)

第四章:デジタル時代のマルチメディアリテラシー
英国BBCが指摘したように、映画を理解する鍵は制作プロセスにおいてどのような選択がなされているかを知ることであり、出来上がった作品を批判するだけでは映像を理解したことにはならない。英国メディアセンタが制作した「ピクチャパワー」はスクリーンで映像編集と効果音楽が出来る学習ソフトCDROMである。また英国BFIが2000年の報告書「エディットプレイ」(編集)では動画リテラシーを習得すべきであるという提言をしている。ここでいうリテラシーとはかなり技術的な意味合いで使われている。簡単な操作でこれだけ受ける印象が異なってくるぞということをいうのである。事実の白黒が変るわけではないが、同情的になるか反発をするか正しいと思うかなどの印象を替えるのは容易である。それほど映像は恐ろしいが、現実的には毎日そんな作られた映像に曝されているのである。デジタルテクノロジーの登場はメディアリテラシーを学習する上で既存の枠組みに加えて、時代に対応した新しいリテラシーの獲得を迫るのである。インターネットでは確かに屑のような情報が氾濫しているが、ウエブリテラシーを必要とする。まずはホームページの目的を理解しよう。著者はどんな人物か(偏った意見、右翼)を別途調査しよう。URLより情報タイプ(Govなら政府系)を確認する。多様な情報源にあたることなどである。特に人種差別サイト、怪しいサイト(日本では2チャンネル)には近づかないこと。そしてパソコンの個人情報保護やセキュリティーには十分な対策を講じておくこと。迷惑メールにも十分な対応をしておくこと。サイバー攻撃にも注意すること。などなどのウエブ上必要最低限の身構えをしたうえで、マルチメディアを制作しよう。そこでリテラシーを学んでゆくのである。ホームページやブログを作って自ら情報を発信しよう。世界とつながろう。パソコン上での写真の合成/編集やカメラ映像の修正は容易である。カメラマンが写真を撮る時点で被写体、角度、明るさ、ぼかしのテクニックを駆使して選択した末に自分のイメージを焼き付けるのである。写真はもともと真実を写していない。すべからく製作者のイメージがなせる技である。
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文芸散歩 戦乱に明け暮れた南北朝から戦国時代、豊かな日本文化が興った室町期 (最終回)

2008年02月12日 | 書評
5)卜部兼好著 「徒然草」 校注:西尾実・安良岡康作 岩波文庫

 卜部兼好著 「徒然草」はこの文藝散歩コーナーで既に取り上げて全段をコメントした。この乱世の文芸という切り口にはなくてはならぬ世相を対象にした随筆集であるので、要点だけを採録した。文藝散歩コーナーで卜部兼好著 「徒然草」を読まれた方は飛ばしていただいて結構です。この要点に興味をもたれた方は本文を読んでください。

 なぜ「吉田兼好」と書かずに「卜部兼好」と書いたかということは、作者の卜部家の系図を紐解かなくてはならない。兼好の生年は1283年前後で、没年は1352年以降の数年間で70歳前後で亡くなったと思われる。卜部家は代々神祇官として朝廷に仕えた家柄である。卜部家が吉田姓となるのは室町時代になってからで「吉田兼好」というのは江戸時代に捏造された俗称である。兼好の父兼顕と兄権雄は太政官のほか神祇官として宮中の卜筮を司る宮司の職にあった。兼好は後二条天皇(1301-1308)のころ朝廷に仕え蔵人を経て左兵衛佐に至った。この頃二条為世の門下にはいって和歌を学んだ。さて徒然草の序に「徒然なるままに、日くらし、硯にむかいて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」とある。これは反語であって決して「することもない生活の無聊を紛らわすために書いた取るに足らない文章」という意味ではない。そこには積極的な題材の選択があり思索的論証と自分の文章を確立しようとする強い意欲がある。一日一日の制作経験の叙述である。

 兼好法師と呼ばれているわけは、当然兼好は出家しているのであるが、「沙弥」どまりの在家の僧である。文学に関係する人には「能因法師」、「道因法師」、「素性法師」、「西行法師」、「明浄(藤原定家)」、「釈阿(藤原俊成)」、「寂然(藤原頼業)」、「蓮胤(鴨長明)」などの著名な文藝人がいる。権力者でも「浄海(平清盛)」、「道崇(北条時頼)」、「恵源(足利直義)」、「道義(足利義満)」、女性では「浄如(俊成の女)」、「承如法(式子内親王)」、「真如覚(建礼門院)」などがいた。兼好は1313年官職を辞して小野荘(京都市山科区)に遁世者になった。兼好は二条派の四天王といわれた歌人として勅撰「続千載集」、「続後拾遺集」、「風雅集」、「新千載集」、「新拾遺集」、私撰では「続現葉集」、「藤葉集」に入集している。また面白いことに北朝時代高師直の恋文の代書をしており、かくして兼好は歌人、古典学者、能書家、有職故事家として世に認められた。徒然草は仁和寺を舞台にしている関係で、仁和寺の南双ヶ丘の麓に兼好の墓のある寺が現存している。

 徒然草という文章はどのような意義と価値を持つのであろうか。校注者の安良岡康作氏は三点の特徴を挙げている。一つは徒然草の書かれた時期を二期にわけ一部は30歳代の1319年ごろ、二部は40歳代の1330年から1331年に書かれ第32段が分かれ目になり無常観の捉え方が詠嘆的・感傷的から実相的・諦観的境地に変化することを挙げられている。ここに兼好の発展的な変化を見ることである。第二に兼好には「世俗」、「仏道」、「遁世」の三つの世界が存在し、兼好はこの世界を自由に出入りして変幻自在な現状観察と自分の思想を自在に述べている。文章の目は随筆と論評の中間に位置し、生活の閑暇境、心身の安静感を獲得する道を追い求めている。第三に徒然草は当時の貴族階級・公家階級に向って書かれており、僧侶や武家は嘲笑の対象に過ぎない。
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自作漢詩 「帰途遇雨」

2008年02月12日 | 漢詩・自由詩

帰舟客路雨蒙     帰舟客路 雨蒙蒙

豈料乱鴉西復     豈に料らんや乱鴉 西復た東

白髪夢回詩句裡     白髪夢回る 詩句の裡

紅楼又緑酒杯      紅楼又緑なり 酒杯の中

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(赤い字は韻:一東  七言絶句平起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)
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