ブログ 「ごまめの歯軋り」

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鈴木宗男事件 国策捜査と小泉元首相の罠

2008年02月27日 | 時事問題
asahi.com 2008年02月26日13時44分
鈴木議員、世論にらみ「国策捜査」批判
 26日の控訴審判決は「行政の公正に対する社会一般の信頼を著しく害している」と衆院議員・鈴木宗男被告(60)を厳しく非難し、「実刑」とした一審の判断を支持した。しかし、東京地検特捜部に逮捕されたころの疑惑報道に比べ、メディアへの登場の仕方も変わり、国政復帰も果たした。世論は鈴木議員を受け入れているのか、一時的な現象か。検察批判を続ける鈴木議員の問いかけは最高裁でも続く。
鈴木議員は、自分を逮捕した検察に対して「国策捜査だ」と批判し続けている。鈴木議員への捜査の中で起訴され、有罪判決を受けた佐藤優・外務省元主任分析官=上告中=が検察批判を重ねた「国家の罠(わな)」(新潮社)がベストセラーになり、検察に対する社会の見方も変わってきたと感じるという。

国策捜査とは 佐藤優「国家の罠」より
 鈴木宗男氏をめぐる疑惑の前哨戦は田中真紀子外相と外務省との鞘当から始まった。2001年4月小泉政権が成立して田中真紀子氏を外務大臣として送り込んできた時、既に伏線が引かれていたのである。本書は佐藤優氏が512日の拘留から解かれた2003年10月より岩波書店や新潮社が強く著者を促して1年半を費して生まれた。鈴木宗男疑惑については国会で社民党党首が「疑惑の総合商社」という迷文句で新聞紙上をにぎわせた事件であった。佐藤氏はこの疑惑に宗男側近として巻き込まれ、2002年5月逮捕され、佐藤ルートの公判は2002年9月に開始された。そして2年5ヵ月後つまり2005年2月17日第一審判決が出た。懲役2年6ヶ月、執行猶予4年の刑であったが即日控訴された。私も含めてこの事件の全容はいかにも訳が分らなかった。費用の振り替え先が当を得ていないという「背任罪」と北方四島向けジーゼル発電機援助の発注をめぐって三井物産が落札できるように計らったという「偽計業務妨害」というのが告訴内容であった。例えば20万円以下のパソコンを買うのに研究費や事務費で処理するようなことである。税務上は本来は備品費で購入し減価償却しなければいけない。それが背任罪になるとは官僚も思っても見なかったことであろう。膨大な機密費を持つ外務省で外国人を招待したり、日本人を学会に出席させるための費用は普通は簡単に捻出できたはずである。なぜこんなことが罪になるのかさっぱり分からなかった。そこに「邪悪な意図」をかぎつける検察官の鼻がどうかしている。まさに作文の世界であった

 では鈴木宗男氏の場合の時代のけじめとは何なのだろうか。それは小泉内閣が内政においてはケインズ型公平分配路線(公共工事と福祉)からハイエク型傾斜分配型路線(新自由主義モデル、格差拡大)に転じたことである。族議員として鈴木宗男はもう古い議員なのだ。鈴木宗男氏は「政治権力を金に替える腐敗政治家」として断罪された。国民的人気(ポピュリズム)を権力基盤とする小泉政権では「地方を大切にすると経済が弱体化する」とか「公平分配をやめて格差をつける傾斜分配に転換することが国策だ」とは公言できない。そこで「鈴木宗男型腐敗汚職政治と断絶する」というスローガンなら国民全体の喝采を受けるとみたようだ。橋本龍三郎氏への日本歯科医師会の政治献金事件も格好の腐敗政治として宣伝され橋本氏と野中氏の政治的生命を絶った。

読書ノート  飯尾潤著 「日本の統治構造」 中公新書

2008年02月27日 | 書評
官僚内閣制から議院内閣制へ 第5回

1:官僚内閣制と省庁代表性 (4)
 「政官財三位一体的支配構造」という言葉はかならずしも適切ではない。統治構造は一枚岩的構造ではない。日本の支配者は誰かという議論は別にして日本政治構造を多元構造と規定する考えが米国の多元主義から由来した。日本政治では政治活動の舞台があくまで省庁の縦割りを軸に設定されている。日本官僚制の特質は1つに人事における自律性である。国家公務員法といえど有名無実な法で慣行が全てを支配している。一人動かすにも大きな連鎖人事が必要なのだ。誰も手をつけられない領域と信じられている。予算や組織運営でも省庁の自律性は確保される。公共事業費の省庁間比率は全く変動しない。予算は「漸変主義」で前年度確保が前提である。政策面でも「権限争議」が激しい。まさに割拠制の「省庁連邦国家日本」である。政策形成は所轄課長や課長補佐が審議会や業界や族議員と検討を繰り返し積み上げ式に稟議書で正式の意思決定へ持ってゆく。予算は対面交渉で総務課へ提出し、会計課がバランスをとる。9月からは各省庁の概略予算は財務省と交渉に入る。局長級の官僚が課長級の主計官と交渉するが、内容や詳細数値の検討は稀で概要項目のみの検討である。12月に政府予算として公表され翌年から復活折衝にはいり、3月までに議会の承認を得るのである。日本の予算編成の特徴は、イギリスなどの諸外国に見られるような分野別割り振りを決めてから内部をつめるのではなく、予算積み上げの過程で調整を行うので変化の乏しい調整である。まさに言いなりの各省独立王国の予算要求で国家が破綻しても誰も責任を取らない官僚王国である。

 中央政府の各省庁は地方政府(自治体)に政策実施委託している。機関委託業務や補助金配分を通じて中央政府が指示する関係は地方自治体の三割自治と呼ばれてきた。1990年以降「地方分割一括法」が地方と国は対等であると規定したほか、改革知事の出現で地方分権が急速に進みつつある。戦後の中央と地方関係は高度の融合的体制であった。何処までの範囲でどちらに責任があるかも不明であった。地方の警察、税務署、土木部、総務課などの長は国の若手官僚の研修の場に過ぎず人事権も支配されていた。知事までが国の官僚が選挙で転進する場合が殆どである。国の省庁のみならず公社公団という特殊法人などさまざまな機関が地方に食い込んでいる。この関係を「政策ネットワーク」というらしい。「政策コミュニティ」という利害団体の運命共同体も構成されている。サラリーマンの税金は自分では申告しない。源泉徴収制度により会社が税務署の役割を担っているからである。すべて税務署にオンラインでつながっているので筒抜けで、商店主のような節税対策はとれない。日本の国家が深く社会に浸透しているということは、逆に言えば国は末端の部分から社会の浸透を許しているということも出来る。業界・学界・住民との審議会の多さと役割の強さは国と社会の相互浸透とも言えるのである。官僚内閣制は省庁という仕切られた多元主義で生命力を得ているが欠点や制約も多い。

読書ノート  木下英治著 「福田vs小沢 大連立の乱」 徳間文庫

2008年02月27日 | 書評
ねじれ国会 安倍首相辞任を受けた2007年秋の政治状況 第5回

福田内閣発足  2007年9月23日 (2)
 9月26日福田内閣が成立した。閣僚は殆ど改造安倍内閣を継承し13名の閣僚は再任された。官房長官には町村、外相に高村、防衛相に石破、財務相に額賀、文部相に渡海らが任命された。一方党人事は幹事長に伊吹、政調会長に谷垣、総務会長に二階、選挙対策委員長に古賀の四役も決まった。福田の公約はある意味では民主党のスローガンと同じである。あえて対立点は避けて共通点だけで民主党と交渉しようとするのが「失点のない内閣」といわれる所以である。こうして福田内閣は過渡期を乗り切る運命を担わされた。同時に2008年に予定される次の衆議院選挙を視野に入れた対応が自民党の最大課題である。古賀を選挙対策委員長、菅を副委員長にして候補者選びが始動した。武部は小泉チルドレンの教育係りとして次期選挙での待遇が問題となっている。郵政選挙の刺客と当選復帰組との調整なども問題である。

 次回の衆議院総選挙では2/3の議席を取ることは不可能であろう。政策課題も重要である。党内若手の改革続行組による「プロジェクトJ」では財政再建の問題は避けて通れない。地方票を理由にして今自民党では公共事業のばら撒きが復活している。「道路特定財源の一般財源化」も暗礁に乗り上げたままである。与謝野が主催する「財政改革研究会」では消費税の値上げを「2009年と2010年の2段階で消費税を現行の5%から10から15%に引き上げ」を考えているようだ。2008年度は福田が公約したように消費税は値上げしないようだ。

 2007年10月1日より日本郵政公社が民営化して、JPグループ5社となった。国民新党は民主党と会派を組むために「郵政民営化見直し法案」を申し入れている。小泉政権はアメリカの金融制度改革プランにしたがって、329兆円の資産を持つ日本郵政公社を解体した。ところが連合は郵政民営化に賛成したので民社党の態度は煮え切らない。「郵政民営化凍結法案」が廃案になった8月から国民新党は民主党に共闘凍結で脅しをかけたので、10月23日民主党の小沢代表と国民新党の綿貫代表は参議院で統一会派を結成することで合意した。全国特定郵便局長会(大樹)の票は侮れない。

文芸散歩  「今昔物語 」 福永武彦訳 ちくま文庫

2008年02月27日 | 書評
平安末期の説話文学の宝庫 さあー都大路へタイムスリップ  第15回


六十一話 「高陽川の狐が滝口をだます話」
 仁和寺の東に高陽川が流れていた。暗くなるとこの川に近くで女の童に化けた狐が人をだますという。蔵人に仕える警備の武士で年少の滝口がその狸をつかまえようとある夕刻馬に乗って高陽川に来た。かわいい女の童が馬のお尻に乗せてくれと云うので、乗せてやって捕まえたが一度はうまくだまされて逃げられた。今度はしっかり捕まえて松明で狐の毛を焼くと、二度とこの狐は人前には現れなくなったと云う話。


六十二話 「産女の出る川を深夜に渡る話」
 源の頼光が美濃の守に赴任していた時、川の渡し場に産女が現れて赤ん坊を抱かせるという噂があったので、頼光の四天王といわれた平の季武がこれを退治しに出かけた。三人の武士が物陰でこの様子を見ていたが、産女が季武に赤ん坊を渡して抱かせたが、季武は赤ん坊をしっかり自分の懐に入れて馬を走らせ館に戻った。そして懐から赤ん坊を取り出そうとすると、なんと木の葉があるだけであったと云う話。狐のいたずらだろうが、勇敢な侍を褒め称えている。


六十三話 「鈴鹿山の古堂で肝を試す話」
 近江へ行く三人の男が鈴鹿山の古堂にさしかかった。鬼がいると云う噂で誰も近づかない古堂であったが、三人は肝っ玉を自慢する男達で鬼を試してやろうと古堂に入った。一人の男が途中で死人を見たので担いでくるといって出て行った。もう一人の男が先回りをして死体を谷底に転がし、自分が死体の代わりになって寝転んだ。それと知らぬ男はそれを担いでお堂に帰ったと云う話。留守番をした男も肝っ玉が大きいが、死体を担いだ男より、死体に化けたほうが肝っ玉が大きいかという。


六十四話 「山道で常陸歌を歌って死ぬ話」
 歌のうまい近衛の舎人が使いで陸奥の国から常陸の国に越える焼山にを通った時、淋しい心を慰めるため二、三度常陸の歌を歌った。すると山奥で面白やと手を叩く声がした。この男はその夜宿屋で死んだと云う話。山の神がうれしくてその旅人を呼びこんだのであろうか。



自作漢詩 「梅花発」

2008年02月27日 | 漢詩・自由詩


芳梅馥郁百花     芳梅馥郁と 百花の魁

破蕾今朝紅白     蕾を破って今朝 紅白開く

北樹凌寒残蝋去     北樹寒を凌いで 残蝋去り

南園暖律早春      南園暖律 早春来る

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(赤い字は韻:十灰  七言絶句平起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)