ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

景気後退感 

2008年02月09日 | 時事問題
asahi.com 2008年02月09日06時06分
街の景況感、急冷却 下げ幅最大4.8ポイント 内閣府
 内閣府が8日に結果を発表した飲食店店主やタクシー運転手らに景況感を聞く「景気ウオッチャー調査」によると、景気の現状をどう判断するかの指数が、1月は前月よりも4.8ポイント落ちて31.8となった。10カ月連続の下落で、下落幅は現在の調査形式になった01年8月以来最大。水準は米同時多発テロの影響が残っていた01年12月以来、6年1カ月ぶりの低さだ。相次ぐ値上げが「街角景況感」を急速に冷やしているようだ。

asahi.com 2008年02月09日07時45分
ダウ反落、半月ぶり安値 景気後退を懸念
週末8日の米株式相場は、根強いリセッション(景気後退)懸念に押され、優良株で構成するダウ工業株30種平均が反落、前日終値比64.87ドル安の1万2182.13ドルと半月ぶりの安値で引けた。一方、ハイテク株中心のナスダック総合指数は続伸し、11.82ポイント高の2304.85で終了した。

米国経済の後退局面
米国の住宅バブルは崩壊し、2006年以降住宅価格は下落した。一切が砂上の楼閣となった。この事態を起した責任の一端は、ローン債権を仕組み債権として販売する金融商品に格付け会社がトリプルAと云う太鼓判を押して、世界の金融機関、年金基金、ファンドに売りまくったことにもある。

読書ノート  猪瀬直樹著 「空気と戦争」  文春新書

2008年02月09日 | 書評
シュミレーション内閣の日本敗北論が、御前会議で開戦論の空気に破れた理由  第一回

本書は2006年10月から翌年1月まで東京工業大学学部学生を対象とした講座「日本の近代」を元に原稿を起こしている。目から鱗の名講義という評判が生まれたようだ。「時代に流されずに生きるとは、論理とデータで考え同調圧力に屈せず、周りの空気とは無縁のオンリーワンになることだ」というメッセージを東工大の若者に送ったようだ。本書のテーマは戦前は天皇・軍部独裁制、戦後は平和・民主主義という断絶した捉え方ではなく、むしろ戦前と戦後派日常性という点で連続しているという視点である。実質的に日本を動かしてきたのは、明治時代に形作られた天皇の僕「官僚」である。天皇主権でもなく主権在民でもなく官僚主権(官僚内閣制)が続いているのである。官僚制だけではない、お上任せの享楽的な庶民の日常性にも連続性があった。いまだに日本国民は思想的・政治的に自立していないのである。自我の確立は明治の福沢諭吉の願望に反して西欧なみには程遠い。

読書ノート 菅谷明子著 「メディア・リテラシー」 岩波新書

2008年02月09日 | 書評
英国、カナダ、アメリカの教育現場でメディア・リテラシーがどう教えられているのか 第2回

第一章:イギリスに根付くメディア教育
イギリスでは国語の授業が確実に変わってきている。自分がどんな文化の中にいるかを知ることが国語であり、メデイァを学ぶことはその理解を深めるという姿勢である。活字だけでなく、テレビ番組などの映像の読解が求められる。情報の批判的思考を育成する土壌が国語の授業に備わっている。メディアを理解鈴には現代の政冶・社会・文化を理解することは困難であるとして、メデイア教育は現代の読み書きの基本であるとされる。映画が戦略的であることはナチスのベルリンオリンピック「民族の祭典」でも明らかである。1985年マスターマン教授は「メデイアを教える」で分析的アプローチを主張した。メディアが送り出す情報や娯楽は誰かが何らかの目的で作ったものであり、誰がどんな目的で、どんな情報源を元に内容を構成したかに注目して読み込んでゆけば、メディアにどんな価値観が隠されているかが分るというっものだ。1980年代より教育の民主化がすすみ、大衆メディア(テレビ映画)抜きには教育が語れなくなったのでメディア教育が起こったのである。メディア教育のリーダーとなったのは英国映画協会(BFI)である。BFIはメディア教育に熱心に取り組み、動画教育をカリキュラムに入れた。1988年全国カリキュラム制定を期にメディア教育が制度化された。イギリス放送BBCはニュースが政治的に成りやすい事情があるので、物事が決められてゆくプロセスを学ぶ必要性からニュース制作にかかわるような教育を主張した。メデイア教育に欠かせないのが、優れた教員養成と教材になる。「ニュースパック」、「公告パック」といった教材を使って実践的な教員のトレーニングを行ってきたが、BFIの調査では国語の授業に取り入れているのはまだ23%に留まっており、やはり教員訓練不足が大きい。重要な発見は、映像は我々が活字(小説、詩など)からイメージする物を誰かが代わりにやってしまうものだから解釈が限られるのである。イメージの映像化は決定的な印象を人に与えるだけに、恐ろしくもあり重要な作業である。しかし学校現場では映像文化が国語に取り入れられることは少なく、労働者子弟が通う公立学校では大衆メディアの授業は行われているが、エリートの子弟が通う有名私立学校でいまだに書き言葉が主流である。イギリスではメディア教育の目的が、メディアを理解し、それによって文化を育むといった視点から捉えられている。イギリスで映画がテキストに選ばれるのはBFIの影響である。

文芸散歩 戦乱に明け暮れた南北朝から戦国時代、豊かな日本文化が興った室町期

2008年02月09日 | 書評
4)水上勉著  「一休文藝私抄」 中公文庫  第5回

「骸骨」
一休64歳の作である。ひらがなを主とした口語体で書かれた庶民向けの仏教説話である。内容は3000字にも足りないくらいの散文と道歌の書である。この前年に一休は田辺の薪村の大応国師の旧跡妙勝寺に入り、国師の像を作った。墨斎「年譜」によると、養叟が堺にいった後大徳寺を継いだ春浦宗熙が大徳寺を「紫衣勅許」の官寺にしたことに、一休はえらく腹を立て道端で春浦宗熙を面罵して騒動となったようだ。この比から大徳寺養叟派への執拗な攻撃が開始されたようだ。と云うことを念頭において一休の「骸骨」と云う書のあらましを読む。初めに初心者に座禅を勧め、諸々のことは虚空から生じ虚空へ帰る事、そして一切が仏である事を悟れという。それから一人の僧侶がぶらりと日暮れ時を三昧原をうろついていると、僧の前に骸骨が出てくる。(このあたりの語り口が謡曲に似ていると水上氏は云う。)骸骨はあばら骨を鳴らしながら踊って云う。一切の物は空しい。空しいから本文のところへ戻れと云う。更に明け方まで骸骨と遊んでいると、我心も消え楽しくなって骸骨と会話が出来るようになってくるのである。更に骸骨は云う。人は定めなき身である。人の命は何時なくなるか悲しんでいても仕方ない。そして骸骨が禅寺批判を開始する。骸骨に大徳寺批判をさせる趣向は面白い。このごろは寺を出る僧が多くなった。寺の坊主は智識なく、座禅もしなく、工夫も怠って、茶道具や絵をたしなんで、遊蕩三昧の俗人が衣を着ているに過ぎない。「ただいま、かしつきもてあそぶ皮の下に、この骸骨を包みて持ちたりと思いて、この念を能く考深すべし」という。そして20数句の説教臭の強いうまいとはいえない道歌(和歌)をならべてある。これで「骸骨」と云う書は出来上がっている。一体、一休の文藝は説教癖が強くて、死を説く文章はうまいが、死を間近に見据えて生きてゆく存命の悲しさとうれしさはあまり得意ではないようだ。

自作漢詩 「人生一夢」

2008年02月09日 | 漢詩・自由詩

一白孤鴎繞夢     一白の孤鴎 夢を繞って飛ぶ

寒沙碧水午風     寒沙碧水 午風微なり

悠悠自適有衣食     悠悠自適 衣食有り

功業盛衰無是     功業盛衰 是非も無し

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(赤い字は韻:五微 七言絶句仄起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)