ミッシェル・フーコーの政治理論と権力論の系譜 第4回
2) 権力をどう変えるか
1) 権力は上からくるのか下からくるのか
権力は長い間上から降りてくるもの、あるいは中心からパワーが放射されるイメージで語られてきた。それは権力が神学的な起源をもっているためかもしれない。王権神授説は神から授かった権力で世俗の国王に下降しても、権力が一つの中心を持つ発想で継承された。主権者(国王)は領域内のすべての事項に最終決定権を持ち、領域外のだれからも指図されないものとされた。市民革命を経て人民が主権者となっても、主権のこうした絶対的な性格は継承された。中心は人民というがその実体は見えにくいものになった。人民主権は下からきているかのように見える。しかしルソーのいう「一般意思」という抽象的な中心を持ち、君主制と同じように絶対的である。この様に君主制であれ人民主権であれ、主権論は単一の権力中心を前提としているようである。そうした一元論的な権力を修正する議論を多元主義的論という。権力が複数の権力に分有されている点で自由な体制だといわれる。そのため多元論者は自由主義者と呼ばれる。中世では貴族主義(ノーブルオブリ―グ)、または近世では立憲主義である。こうした自由主義=多元主義=立憲主義は、権力中心に対する批判勢力として重要な意味を持ってきた。英国では20世紀初めのハロルド・ラスキラの政治的多元主義もまたそうである。自由主義者は主権を攻撃する根拠は特権に在った。規制緩和論で主権論の欺瞞性を雄弁に突いてくるが、自分たちの利益には口をつぐんでいる。自由主義の存立根拠は、ある名指し可能な権力中心(行政官僚)に対抗することにあるので、もし主権が分散し中心が見えないなら彼らの主張も根拠を失う。「権力は下からくる」というフーコ的な命題に関しては、自由主義者は沈黙または警戒する。しかし自由主義者は正統的マルクス主義のブルジョワ階級権力主体論は受け入れがたいのである。従来の権力観念が法的・制度的な観念と結びついてきたことに、フーコーは「未だに王の首を切り落としていないのだ」といって、出発点として国家の主権とか法の形態とか支配の相対的統一性を前提としてはならないと警告する。フーコーは権力の統一性が生まれるとしてもそれは「終末的形態」(結果)であって、権力はさまざまな場所に発生するとして、権力は戦略的状況(力関係)に与えられる名称であるという。フーコは権力の命題を5つ上げている。①権力は誰かが所有するのではなく、無数の点を出発点とする。②権力は経済的・知的・性的関係を外部から規定するのではなく、それらの関係の内部でそれらを生み出す。③権力は下からくる、二項的な支配関係を想定すべきではない。④権力は意図的であっても、被主体的である、全体をコントロールしている主体は存在しない。⑤権力のあるところ抵抗がある、つまり個別の権力に対する抵抗しかできない。 監獄に入れられた人間は常に権力者のまなざしにより監視され、規律を要求される。それを「規律権力」と呼ぶ。監視カメラに埋め尽くされた現代管理社会、学校、企業、軍隊、教会などがそれである。フーコーは「狂気の歴史」(1961年)で、西欧世界においては、かつて神霊によるものと考えられていた狂気が、なぜ精神病とみなされるようになったのかを研究する。彼が明らかにしようとするのは、西欧社会が伝統的に抑圧してきた狂気の創造的な力である。西欧では集団を管理する技術・施設テクノロジーが発達した。地域を囲い込んで外部と隔絶し、ペストなど疫病の管理、そしてそれが展開して「病気」として意識される狂気や犯罪にも適用された。いわば羊の群れの管理は、人々の心を管理する教会の使命であった。フーコー最後の著作は、「性の歴史」である。この一連の著作においてフーコーは、西洋社会の人間が自分たちを性的存在として理解するようになる諸段階を追究し、性的な自己概念を個人の道徳的・倫理的な生活に関係づけた。これをフーコーは「生―政治学」と呼んだ。具体的には国民全体の繁殖や出生率、健康、寿命などを管理する厚生省の役割を言う。キリスト教では性行動についての告白が重視された。性道徳や公衆衛生であるべき性の姿が説かれた。同性愛、離婚、婚外子、人口受精、ヒト遺伝子操作の倫理などは、権力に由来するものではないが、法的な制度と深く関係している。フーコーは社会内で作用している権力のかなりの部分が、主権の一元的決定に還元できないことを示そうとした。権力(主権)を動かして全体的な開放としての革命は不可能であり、それぞれの場所で作用している権力を、個別的に変えてゆく以外はないというのがフーコの主張である。フーコの理論では社会システムの権力拡大を重視することで、18世紀以来の西欧の絶対主義王政や産業革命後の国家主義の隆盛を説明することはできない。フーコーは社会集団の間の力関係から権力が発生する、すなわち権力は下からくるという、「主体なき権力論」である。マルクス主義は上部構造としての政治権力構造を、経済的社会階層的な生産関係の「下部構造」が規定する「経済決定論」を取る。
(つづく)
2) 権力をどう変えるか
1) 権力は上からくるのか下からくるのか
権力は長い間上から降りてくるもの、あるいは中心からパワーが放射されるイメージで語られてきた。それは権力が神学的な起源をもっているためかもしれない。王権神授説は神から授かった権力で世俗の国王に下降しても、権力が一つの中心を持つ発想で継承された。主権者(国王)は領域内のすべての事項に最終決定権を持ち、領域外のだれからも指図されないものとされた。市民革命を経て人民が主権者となっても、主権のこうした絶対的な性格は継承された。中心は人民というがその実体は見えにくいものになった。人民主権は下からきているかのように見える。しかしルソーのいう「一般意思」という抽象的な中心を持ち、君主制と同じように絶対的である。この様に君主制であれ人民主権であれ、主権論は単一の権力中心を前提としているようである。そうした一元論的な権力を修正する議論を多元主義的論という。権力が複数の権力に分有されている点で自由な体制だといわれる。そのため多元論者は自由主義者と呼ばれる。中世では貴族主義(ノーブルオブリ―グ)、または近世では立憲主義である。こうした自由主義=多元主義=立憲主義は、権力中心に対する批判勢力として重要な意味を持ってきた。英国では20世紀初めのハロルド・ラスキラの政治的多元主義もまたそうである。自由主義者は主権を攻撃する根拠は特権に在った。規制緩和論で主権論の欺瞞性を雄弁に突いてくるが、自分たちの利益には口をつぐんでいる。自由主義の存立根拠は、ある名指し可能な権力中心(行政官僚)に対抗することにあるので、もし主権が分散し中心が見えないなら彼らの主張も根拠を失う。「権力は下からくる」というフーコ的な命題に関しては、自由主義者は沈黙または警戒する。しかし自由主義者は正統的マルクス主義のブルジョワ階級権力主体論は受け入れがたいのである。従来の権力観念が法的・制度的な観念と結びついてきたことに、フーコーは「未だに王の首を切り落としていないのだ」といって、出発点として国家の主権とか法の形態とか支配の相対的統一性を前提としてはならないと警告する。フーコーは権力の統一性が生まれるとしてもそれは「終末的形態」(結果)であって、権力はさまざまな場所に発生するとして、権力は戦略的状況(力関係)に与えられる名称であるという。フーコは権力の命題を5つ上げている。①権力は誰かが所有するのではなく、無数の点を出発点とする。②権力は経済的・知的・性的関係を外部から規定するのではなく、それらの関係の内部でそれらを生み出す。③権力は下からくる、二項的な支配関係を想定すべきではない。④権力は意図的であっても、被主体的である、全体をコントロールしている主体は存在しない。⑤権力のあるところ抵抗がある、つまり個別の権力に対する抵抗しかできない。 監獄に入れられた人間は常に権力者のまなざしにより監視され、規律を要求される。それを「規律権力」と呼ぶ。監視カメラに埋め尽くされた現代管理社会、学校、企業、軍隊、教会などがそれである。フーコーは「狂気の歴史」(1961年)で、西欧世界においては、かつて神霊によるものと考えられていた狂気が、なぜ精神病とみなされるようになったのかを研究する。彼が明らかにしようとするのは、西欧社会が伝統的に抑圧してきた狂気の創造的な力である。西欧では集団を管理する技術・施設テクノロジーが発達した。地域を囲い込んで外部と隔絶し、ペストなど疫病の管理、そしてそれが展開して「病気」として意識される狂気や犯罪にも適用された。いわば羊の群れの管理は、人々の心を管理する教会の使命であった。フーコー最後の著作は、「性の歴史」である。この一連の著作においてフーコーは、西洋社会の人間が自分たちを性的存在として理解するようになる諸段階を追究し、性的な自己概念を個人の道徳的・倫理的な生活に関係づけた。これをフーコーは「生―政治学」と呼んだ。具体的には国民全体の繁殖や出生率、健康、寿命などを管理する厚生省の役割を言う。キリスト教では性行動についての告白が重視された。性道徳や公衆衛生であるべき性の姿が説かれた。同性愛、離婚、婚外子、人口受精、ヒト遺伝子操作の倫理などは、権力に由来するものではないが、法的な制度と深く関係している。フーコーは社会内で作用している権力のかなりの部分が、主権の一元的決定に還元できないことを示そうとした。権力(主権)を動かして全体的な開放としての革命は不可能であり、それぞれの場所で作用している権力を、個別的に変えてゆく以外はないというのがフーコの主張である。フーコの理論では社会システムの権力拡大を重視することで、18世紀以来の西欧の絶対主義王政や産業革命後の国家主義の隆盛を説明することはできない。フーコーは社会集団の間の力関係から権力が発生する、すなわち権力は下からくるという、「主体なき権力論」である。マルクス主義は上部構造としての政治権力構造を、経済的社会階層的な生産関係の「下部構造」が規定する「経済決定論」を取る。
(つづく)
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