ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 杉山伸也著 「グローバル経済史入門」 岩波新書(2014年11月)

2016年03月18日 | 書評
18世紀から20世紀の経済史におけるグローバルな物・金・人・情報の移動 第10回

第3部 資本主義と社会主義の時代ー20世紀 (その1)

第1次世界大戦と第2次世界大戦の間に、「パクス・ブリタニカ」から「パクス・アメリカーナ」に移行した。2つの世界大戦間は1929年10月の世界大恐慌を境に明確に違った様相を示した。前半は国際協調に基づく軍縮や金本位制の再建によって、ヨーロッパの国際秩序の再構築を目指した時期であった。それは「ヴェルサイユ体制(パリ講和会議)」、「ワシントン体制(海軍軍縮会議)」と呼ばれた。それに対して1930年以降は経済不況の長期化とブロック経済化で主要国間の対立が激化した時期であった。第1次世界大戦後の主要な経済的課題は、ヨーロッパの経済復興とドイツ賠償金問題、金本位制への復帰による安定した国際経済システムの再建であった。アメリカは欧州連合国の戦時債権の40%の債権を保有し債権国に転換した。世界の金準備の約40%を占める経済大国に躍り出た。1922年ジェノア国際経済会議で金本位制に復帰すると決められ、英国、フランス、イタリアが新平価で復帰した。こうして再建された金本位制は、ポンドとドルの二つの機軸通貨ち、ロンドンとニューヨークの二つの金融センターを持つため、流動性は不安定で紳士協定に過ぎないと言われた。1930年代は脱グローバリゼーションの時代で、ナショナリズムがリベラリズムを圧倒した。世界経済の混乱の原因はイギリスの後退とアメリカの指導力の欠如(不干渉モンロー主義)であった。アメリカは世界最大の工業国と農業国となったが、貿易政策は基本的に高率関税による国内市場優先の保護貿易政策を取っていた。1920年代のアメリカは、住宅、自動車、家電製品をはじめとする耐久消費財の大量生産技術と大量消費のアメリカ式生活様式が普及した。大量の資金がニュヨーク市場に流入し、国内株式投資に向けられた。1929年10月「ブラックサーズディ」で吊り上がった株価が暴落した。一連のアメリカの政策の失敗と保護貿易主義は、世界的規模での不況の長期化と雇用問題をもたらした。ヨーロッパでは金融危機が連鎖的に起こり、1931年イギリスの金本位制は崩壊した。1933年ロンドン国際通貨経済会議が67か国を集めて協議したが、金本位制の再建・通貨の安定は失敗に終わり、ブロック経済以外の選択肢はなくなった。同年ルーズベルト大統領は金本位制を停止し「ミューディール政策」を実施した。1932年をピークとして世界の失業率が高まり、ドイツは45%、イギリスは22%、アメリカは27%となった。主要国における世界恐慌からの回復が、結果的に戦争による軍需関連産業の発展による経済の軍事化という道しか残されていなかったのは不幸なことである。1917年ロシアでレーニンがボルシェビキ革命を成功させ、ソ連が生まれた。レーニンはネップ(新経済体制)を採用し、産業の国有化と計画経済を主導した。鉄鋼や電力など重工業の経済計画によって、10年間のGDP平均成長率は4.6%ととなり、アメリカに次ぐ工業国となった。ソ連は1934年に国際連盟の参加し次第に発言力を増していった。この時期欧州では国境を越えたや国籍企業が急速に拡大した。消費市場型(食品、繊維、事務機)と原料資源型(石油、鉱物、ゴム)の分野で多国籍企業が企業統合を行い巨大化した。これには高率関税を回避するために輸出型企業から現地生産型の転換したからである。世界の巨大企業の例は煩雑になるので省略する。次に日本経済について見てゆこう。第1次世界大戦前の日本の国家財政は破たん寸前で、金本位制の維持も難しく、国際収支の危機に直面していた。第1次世界大戦は欧州が戦場であったので、日本は「大正の天祐」という輸出の急増と輸入の減少になった。そして債務国から一時的にも債権国になった。しかし戦後不況、1923年関東大震災、1927年金融恐慌後の不況が続いて、原敬内閣の高橋是清蔵相は金本位制への復帰を見送った。1930年浜口雄幸内閣の井上準之助蔵相は金本位制に復帰したが、もはや遅すぎた。金が日本から流出するだけのことであった。1931年にイギリスが金本位制の停止を行い、日本は満州事変に突入した。同年犬養毅内閣になって高橋蔵相は金輸出禁止措置をとった。高橋蔵相の財政政策は、軍需産業を中心とする軍事費の拡大によって不況脱出を図るもので、赤字国債発行で軍事費は40%膨張した。赤字国債発行に歯止めがかからなくなり、高橋財政は中国進出とセットになったフアッシズムの道を切り開いたが、自身が2.26事件で暗殺されるという皮肉な結果となった。満州事変後日本への非難が高まり、国際連盟脱退と諸外国との通商条約破棄が続き、アジア域内での貿易、対米貿易に傾き、次第に円ブロック経済の拡大と強化が不可避となった。

(つづく)


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