ブログ 「ごまめの歯軋り」

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「文語訳 旧訳聖書 Ⅲ 諸書」

2020年06月14日 | 書評
蛍袋

西欧哲学、文学、詩歌の原点となった智慧文学 五つの書

3) 「文語訳 旧訳聖書 Ⅲ 諸書」(岩波文庫2015年)   (その27)

2) 詩篇 (その19)

第90篇: (神の人モーセの祈祷)
主よなんじは古より世々われらの住処にてましませり。山いまだ生りいでず汝いまだ地と世界をつくり給わざりし永遠よりとこしえまでなんじは神なり。なんじ人を塵にかへらしめて宣はく、千年経ってもダメな人類を大水で流し給う。(ノアの箱舟神話より)我らのもろもろの日は汝の怒りによって過ぎ去り、すべて年の過ぎるは一息のごとし。我らが年をふる日は80歳になろうとも、されどその誇るところは只勤労と悲しみとのみ、その去り行くこと速やかにして我らもまた飛び去れり。(芭蕉「奥の細道」序文に似ている名文)願わくはわれらに己が日を数うることを教えて智慧の心を得しめ給え。
第91篇: 至上者のもとなる隠れたところに住まう人は全能者の蔭に宿らん。われエホバのことを述べてエホバはわが避所わが城わがよりたのむ神なりといわん、そは神なんじを悪人の罠と毒をながす疫病より助けい出し給うべければなり。なんじその翼の下に隠れん、その真実は楯なり。禍害はなんじに近づくことなからん、悪者の報いからもなんじを守り給えり。
第92篇: (安息日に用いる歌なり讃美なり)
いと高き者よエホバに感謝し聖名を褒め称えるは善きかな、あしたに汝の慈しみをあらわし夜は汝の真実をあらわすに十絃のなりものと筝とを用いるは善きかな。衆庶は栄えるともついにはとこしえに滅びん。されどエホバはとこしえに高きところにましませり。義しきものは棕櫚の樹のように栄えレバノンの香柏のごとくそだつべし。彼らは年老いてなお実を結び豊かに潤い緑の色みちて、エホバの直きことを示すべし。エホバはわが巌なりエホバには不義なし。
第93篇: エホバは統べ治めたまう、エホバは能力を友とし帯となしたまへり。されば世界は堅く立ちて動かさるることなし。なんじの証しはいと高く、エホバよ清きは汝の家にとこしえまで相応しきなり。
第94篇: エホバよ仇をかえすは汝にあり、ねがわくは光を放ちたまえ。世を裁く者よ願わくは立ちて高ぶる者にその受くべき報いをなし給え。彼らはみだりに言を言い出して誇りてものいう、彼らは寡婦と旅人との命を失い孤児を殺す。民の中の無知よ、なんじら悟れ愚かなる者よ何れのときにか智たらん。エホバその民を棄て給わず、審判は正しきにかえり心の直き者はみなその後に従わん。律法をもて悪事を行う者は汝には縁の亡き者なり。彼らは相語らいて義人の霊魂を攻め罪なき者を罪に定める。神はかれらの邪悪をその身に負わしめ、彼らを滅ぼし給う。

(つづく)