ブログ 「ごまめの歯軋り」

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「文語訳 旧訳聖書 Ⅲ 諸書」

2020年06月16日 | 書評
ユリ苑

西欧哲学、文学、詩歌の原点となった智慧文学 五つの書

3) 「文語訳 旧訳聖書 Ⅲ 諸書」(岩波文庫2015年)   (その29)

2) 詩篇 (その21)

第100篇: (感謝の歌)
全地よエホバに向かって歓しき声をあげよ、欣喜をいだきてエホバに仕え、歌いつつ御前に来たれ。われらを造り給えるものはエホバにましませばわれらはその僕なり、牧に羊なり。エホバは恵みふかくその憐れみ限りなく、その真実万世におよぶべし。
第101篇: (ダビデの歌)
われ憐憫と審判をうたわん、エホバよなんじを讃めうたわん、われ心を聡くして全き道を守らん、なんじ何れのとき我にき給うや、われ直き心もて我が家の内を歩かん、われ眼前に賤しき事をおかず、われ叛くものの業を憎む。僻める心はわれより離れん悪しきものを知ることを好まず、隠かに友をそしるものはこれを殺さん。全き道を歩む者はわれに仕えん、われ朝な朝なこの国の悪しきものをことごとく滅ぼし、エホバの邑より不義を行なうものをことごとく絶ち除かん。
第102篇: (なやみたる者思いくずれてその嘆息をエホバの御前に注ぎいだせるときの祈祷)
エホバよわが祈りをききたまえ願わくはわが叫びの声の御前に至らんことを、わが窮苦の日御顔を覆い給うなかれ、なんじの耳をわれに傾けわが呼ぶ日にすみやかに我に答え給え。わが諸々の日は煙りのごとく消え、わが骨は焚き木のごとく焼かれるなり。わが嘆息の声によりてわが骨はわが肉につく、われ醒めて眠らずただ友なくして屋根に居る雀のごとくなれり。わが仇はへねもす我をそしる。われは糧を食らうごとく灰をくらい、わが飲料には涙をまじえたり。これは皆なんじの怒りと憤りとによりてなり、なんじ我をもたげて投げ捨て給えり。なんじ起ちてシオンを憐れみたまえ、そはシオンに恵みを施し給えるときなり。願わくはわが神よわがすべての日のなかばにて我を取り去り給う勿れ。汝の齢は永遠なり汝の僕の子等はながらえん、その末裔は堅く御前に立てられるべし。
第103篇: (ダビデの歌)
わが霊魂よエホバを誉め祀れ、わが内なる全てのものよその清き御名を誉め祀れ、わが霊魂よエホバを讃めまつれ、そのすべての恵みを忘れるな、エホバは汝がすべての不義を許し汝のすべての病をいやし、汝の命を滅びより贖いだし慈しみと憐れみをなんじに与え、汝の口を嘉物にて飽かしめ給う。エホバはすべて虐げられし者のために公義と審判を行い給う。エホバの道をモーセに知らしめ、おのれの作為をイスラエルの子等に知らしめ給う。エホバの己をおそるる者を憐れみ給うことは父がその子を憐れむがごとし。エホバの公義は子孫のまた子孫に至らん、その契約を守りその訓諭を心にとめて行う者ぞその人なる。その聖旨を行う僕らよ、エホバを誉め祀れ、我が霊魂よエホバを讃めまつれ。
第104篇: 我が霊魂よエホバを讃めまつれ。わが神エホバよなんじは至大にして尊貴と力とを持ちたまえり、なんじ光を衣のごとくまとい天を幕のごとく張り風を使いとして炎を僕となし給う。エホバは地を基いの上に置き永遠に動くことなからしめ給う。なんじ叱咤すれば水退き、なんじ雷の声を発すれば水たちまち去りぬ。自然と獣の営みはエホバの思召すところ。

(つづく)