ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 宮崎勇・本庄真・田谷禎三著 「日本経済図説」 第4版(岩波新書 2013)

2014年09月30日 | 書評
激変する国際・社会環境の中で日本経済を読む 第7回

6) 金融・資本市場
① 日本の貯蓄

投資の資金は貯蓄からくるので、日本の高度経済成長の重要な要一因は日本国民の旺盛な貯蓄意欲にあったといえる。1955年ごろ戦後復興が軌道に乗り貯蓄は次第に上昇し、70年代に貯蓄率(可処分所得から消費を引いた)は10%となり、高度成長期に25%を超えるときもあった。80年代後半から90年代は10-15%で推移した。ところが90年代後半のデフレによる賃金低下を受けて、2000年以降日本の貯蓄率は低下を続け、先進国のなかでは低貯蓄(1-2%)を特徴とする国に変わった(アメリカは約5%)。ドイツは10%を超える堅実な貯蓄国である。貯蓄率は人口構成、社会保障水準、消費性向、景気などによって左右される。日本の最近の貯蓄率の低下は、若い人の貯蓄と負債が平衡していることと、貯蓄を多く持っている中高年齢者層の減少にあるようだ。貯蓄は景気が悪いデフレ期にはかえって景気の悪化に拍車をかけ(デフレスパイラル)、景気が過熱気味の時はむしろ貯蓄を推奨すべきである。しかし長期的に見れば貯蓄率が高いほど投資に回す金が増え、成長率は高い。
② 金融機関
資金の融通と仲介を行うのが金融機関である。日銀を別格とすれば、金融機関は財政投融資を行う政府系と民間系とに分かれる。むろんここでは民間の金融機関だけを考える。預金を取り扱う機関は、都市銀行、地方銀行、ゆうちょ銀行、信託銀行、信用金庫、信用組合、労働金庫、JAバンクがある。1990-2004年に預金取り扱い金融機関はバブル崩壊によって発生した約100兆円の不良債権を処理してきた。その過程での吸収合併で金融機関の数は減少した(都市銀行は4グループに集約された)。ほかの金融機関として生命保険、損害保険、証券、証券投資信託委託、投資顧問会社がある。このほか貸金業者として手形割引業、クレジットカード、信販、質屋なども含まれる。
③ 間接金融
郵便局や銀行が家計部門から預貯金を集め、これを企業に貸し付けることを間接金融方式という。預金者は貸付け先を指定するのではなく金融機関が貸付先を決定する。預金金利は低い。間接金融方式は1970年代後半まで続いて高度経済成長を金融面から支えた。郵便貯金は政府の政策金融の財源になり、銀行貯金は財閥系の銀行資金として系列企業融資の財源となって銀行の企業支配の時代を築いた。これら都市銀行は日銀からの借り入れが多く、金融政策のかじ取りは公定歩合操作、日銀貸付規制、窓口規制を中心に効果が高かった。90年代後半には間接金融の借り入れが減少してきたが、これは企業の直接金融が増えたわけではなく、非金融企業の資金需要が減退してきたためである。
④ 直接金融
企業の内部資金調達力が強まり、また証券市場から調達することが容易になると、直接金融の比率が高まる。直接金融が盛んになった背景には、①企業の自己資金を充実させてきたこと(利益の内部留保)、②国債発行が債券市場の発達を促した、③家計部門で国債購入のほか株式・債券も購入するようになった、④海外投資家が日本の株を買うようになった ことがあげられる。非金融法人の資金調達は、1990年代に借入金を返済し、2000年代に入ってから直接金融(証券発行)が間接金融(借入)を上回った。
⑤ 公的金融機関の改革
国は特殊な金融機関(郵便貯金)を設置し、政策的に必要とする部門(道路建設)に資金を融通することを、財政投融資という。そのほかの財政投融資財源には保険金、国民年金、厚生年金の積立金など、公的な金融機関とは公庫、銀行、公団である。財政投融資は公共的なものであるが、中長期的には採算ベースに乗るものである。投資対象には高速道路、住宅建設、宅地整備、工業団地造成、中小企業融資などである。高度経済成長も終わりインフラ整備も一段落し、民間部門も力をつけてくると、公共部門の合理化が要請されるようになった。2000年代に財政投融資システムの見直しが行われ、①財源を金融市場から直接調達する、②郵政公社が民営化され、郵便貯金や簡保の財務省運用部委託義務がなくなり、自主運用されることになった、③国内向け融資機関は日本政策投資銀行と日本政策金融公庫の2つに集約された ことで財政投融資システムの民営化とスリム化改革が行われた。
⑥ 証券市場
国債、社債、株式など有価証券の発行と取引の場と環境を証券市場と呼ぶ。有価証券は銀行借り入れより長期的で自己責任の強い性格を持ち、国債は政府の責任で発行される。これらの有価証券を国民が買うことで、国民の資産運用あるいは中長期の貯蓄手段として機能する。個人金融資産における有価証券の割合は1980年代末には20%を超えるくらいとなったが、金融危機などによって株式市場の低迷があり、2013年現在は14.5%となっている。2013年の国債・財融債の保有高は807兆円で、最大保有者は年金・保険・日銀である。株式の保有高は378兆円で、保有者は海外30%、個人家計が20%、非金融法人が20%ほどである。年金・保険関係も20%ほどである。証券市場は銀行や企業の新規株の発行市場と、投資家の間で自由に売買を行う流通市場がある。株式の価格は短期的には為替・金利・物価などによって決まるが、個々の企業の株価は期待値で決定される。従って証券市場が健全に発展するには、価格形成に関する情報が的確かつ公平に提供されることと、市場参加が自由平等であることが必要である。粉飾決算など不当な行為を排除するルールが不可欠である。
⑦ 日本銀行
日銀は55%が政府出資で、1998年の日銀法改正によって政策委員会が意思決定者となり、総裁・副総裁・6人の審議委員は国会の承認による。金融政策以外の日銀の基本的業務は、①発券銀行(紙幣発行)、②銀行の銀行(預金・銀行への貸付)、③政府の銀行(国庫金・国債業務)である。しかし高インフレをもたらしかねない日本銀行による政府の信用供与は原則禁止されている。そのほか経済・金融調査、外国の中央銀行・国際機関との連携を行っている。
⑧ 金融政策
金融政策は政策員会で議論され決定される。日銀法は「物価の安定を図ることを通じて国民生活の健全な発展に資する」ことを定めている。物価が安定していてはじめて経済主体は安心して経済活動が行えるからである。日銀は有価証券を売買することで短期市場金利(無担保コール翌日物レート)の高低を誘導する。それによって中長期金利、貸出、外国為替レート、資産価格の変化を誘導する。日米欧の先進国諸国では近年、短期金利はほとんどゼロに近いので、将来金利を引き上げないことを約束する(時間軸政策)も広く行われる。多くの中央銀行では国債の金融資産を大量に買うことで金融緩和の効果を強めることができる。こうして日銀のバランスシートの規模は拡大してきた。日銀のバランスシート規模のGDP比率2012年に40%に拡大し、アメリカ・イギリス・欧州中銀はほぼ25%程度である。
⑨ 金融の自由化と規制
従来の金融政策は、①預金者保護、②金融機関の経営不安防止、③政府日銀の金融活動や金融機関に対する介入規制が強かった。しかし変動相場制移行以後は日本の金融自由化は急速に進んだ。民間企業が自己資金力をつけてきたこと、国債発行額が増えたこと、個人資産が金利が有利な金融商品をもとめてきたこと、外国の金融機関が日本市場参入が強まったことで規制緩和・金融自由化の動きが活発になった。金融自由化は預金金利の自由化からはじまり、銀行と証券との垣根がなくなったことである。しかし1990年のバブル崩壊や2007年金融危機によって、自由化の流れにブレーキがかかり、金融規制の強化が図られた。バーゼルルールⅠ-Ⅲによって、リスク資産に対して自己資本を8%以上とし、さらに上乗せする合意ができた。てこ原理も働ないようにする規制である。
⑩ 東京の国際金融機能
世界の金融センターは、ロンドン、ニューヨークであるが、それに次ぐ国際金融センターとしての地位を東京が持てるかどうかである。1980年代に高まった東京市場の存在感は、1990年のバブル崩壊後後退した。世界第2位のGDP(2013年は中国に抜かれて第3位)を背景として、対外純資産額が世界1になったことと、経常黒字で貯蓄過剰になった資本の供給国日本が東京市場の位置を押し上げている。しかし伝統的なロンドン市場、総合力で優れたニューヨーク市場に比べると東京市場は今少し見劣りがする。2000年に入って経済停滞は日本の位置をさらに引き下げ、シンガポールや香港が差を縮めてきている。国際債円建て債はドルやユーロに比べて大きく水をあけられた。一層の国際化と自由化を進める必要がある。

(つづく)