ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 福沢諭吉著 「学問のすすめ」、「文明論之概略」 岩波文庫

2014年09月13日 | 書評
明治初期、文明開化を導いた民衆啓蒙の二書 第10回
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福沢諭吉著 「文明論之概略」 (岩波文庫)(その1)
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(序)

 この書は「文明」という言葉に、福沢の「西洋事情」で述べられている武備・物の意味と、「シヴィリゼーション」という文運の進んだ状態という2つの意味を持たせている。後者の概念は日本には存在しなかった。後者の「文明」にはさらに2つの用い方があって、一つは民族生活一般の状態の事を言い、2つはより進んだ西欧の文明の事をさす。そこで福沢は西欧の文明を学ぶことによって日本を「文明化」しなければならないということで本書を書いたと思われる。ところが日本の従来の文明と西欧の文明は著しく性質が異なっていた。西欧の文明を学ぶといっても日本人は頭の中で大混乱を生じた。日本人が西欧人になれるわけでもないので、福沢は西欧文明を咀嚼し精錬して物にして行かなければならないと考えた。福沢は高踏的には説かないし、決して難しい表現を好まない。何事も学説としてよりは常識的に話すことを心がけている。だから卑近な例で考え方の類型を示し、本論に入るという講話的な話し方をする。理解は合理的、立証的ばかりで進むものではなく、特に情に頼るところが大きかった。人の「腑に落とす」ため、巧妙な独特な言い回しをする。現在ではそのようなことは必要ないが、当時の人の心の機微に通じていたというべきであろう。福沢は智と徳が文明の2つの要件であるというが、智のほうに重点を置いて、文明の根本は人の精神の働きの活発であること(才気煥発)と考えた。西欧近代文明は人・物に対する認識論と自然科学の発達から導かれた。なぜ日本で十全な発達をしなかったかというと、それは神仏や儒の道徳観念が人の天性を抑圧していたからであると福沢は考えた。そこで智力がはばたくために自由の精神が必要になる。人事も自然界と同じく、ある規則(定則)によって動くものだとすれば、ガリレオ・ニュートンとデカルト・アダムスミスの働きは偉大であった。こうした少数の智者のレベルに多数の人を引き上げることにより文明が進歩する。そこに啓蒙者・教育者としての福沢の歴史的位置があるのである。徳については、個人として独立不羈であると同時に、社会道徳として福沢は権力(国家、官)に対する卑屈な態度や儒教道徳を鋭く攻撃したのである。本書において福沢が用意した思想的な論点を次の6つにまとめてみた。
① 現在の西欧の文明と過去の日本の文明を歴史的に比較することで、軽薄な西欧崇拝や頑迷な西欧排斥(尊王攘夷と同じ構造)を排して、日本が西欧文明を学び取る際の注意点もきちんと心がけていた点である。
② 何事についても政治に関係させて考えていることである。とくに「権力偏重」が中国と日本の文明開化を妨げた最大の障碍であった点である。本書の主題ではないので省くが、政府の専制を排する福沢が民選議院開設論に対してとった態度は甚だ複雑で、どのような政治体制を理想と考えていたかは紆余曲折している。
③ 権力に服せず、人民が独自にその働きを示すべきという点である。独立不羈の精神もここにある。福沢の立場として学問も政府によって行われるのではなく、私立で行うべきだという主張である。「学問のすすめ」にも書かれているように「学者は官に仕えるより独自にその仕事をせよ」という。
④ 協和を尊ぶ精神である。論が分かれるのは当然であるが、議論を尽くせという主張である。福沢は実力行使や反抗・怨みを嫌い、一命を賭けて議論を尽くせという。民選議院もその一つであるが、人民は政府は専制であるといい、政府は人民は無智であるといって闘争することは非とした。
⑤ 今日の憂は外国交際にあるとして、国民が協力して国家の独立を守る事を強く主張した。その際政府が独立を守るのは当然ながら、人民の智力を養わなければ独立を全うすることはできないという。植民地化を畏れ、不平等条約改正を喫緊の課題とした当時の国際情勢を反映している。これは「学問のすすめ」においても力説している。
⑥ 西欧文明を学ぶことを主張しながら、宗教に重きを置かない態度を主張している。西欧文明を学んでもキリスト教に改宗する必要はないということである。

 次に福沢の文明の歴史観を見ると、次の4つの特徴が出てくる。
① 世の中は進歩する、そして進歩は無限であるという楽観論に支えられている。
② 文明を進める力は、君主・英雄の心理行動ではなく、まして気まぐれではなく、一般人民の智力の働きであるとする啓蒙思想に導かれている。
③ 文明の進め方に関する人々の態度について、暴力を否定した主義主張の平和共存主義を理想としていた。文明は古人の遺物の上に立って改良を加える(進歩)ことであり、毛沢東が言うような「鉄砲の先から国家が生まれる」のでは絶対ないとする。ある意味で伝統と保守主義が残ることをよしとする漸次的改良主義に通じる。
④ この書は歴史を吟味してその進化法則を探るものではない。歴史の進行を因果の連鎖(弁証法)とみるか、歴史を利に動く物質的欲望(経済学)から説明する唯物史観とみるか、福沢は富を尊重しているが人の生活は私利のみではないとするアダムススミスの「道徳感情論」に近いようだ。むろんキリスト教倫理と儒教倫理には隔絶した差異が存在する。ところで福沢はこれらの文明史観を誰から勉強したのであろうかという文献根拠を探る興味が湧くのは当然である。福沢が独立に思いつくはずはなく、必ず福沢(誰でもだが)の思想にはネタがある。当時の先達の文明史観としては、フランスのギゾーのヨーロッパ文明史、英国のバックルの英国文明史があった。福沢は「文明論之概略」の執筆と並行してギゾーのヨーロッパ文明史の翻訳を試みている。本書の第8章にギゾーを引用している。第3章に文明とは人の生活に一般的状態の事であるとするギゾーの説をそのまま採用している。しかしギゾーが言う社会と個人の関係については考察していない。人民個人の考えと知力が充実すれが自動的に文明が進歩するという楽観主義は短絡的である。福沢の考えはいわゆる観念論に近い。文明の進歩は徳より智の働きによることが多いという福沢の主張はバックルに基づいている。バックルは智徳の進歩は人の天性によるものではなく、環境(自然現象)の力であるというが、福沢はこれを無視している。人事の定則と同じように歴史の定則には福沢は関心がなかったようだ。とにかく福沢は歴史そのものには関心がなく、文明に関する部分をギゾー、バックルから引いているようだ。世を渡る術として(経世の書)西欧文明のすごさを強調しているのである。また独立不羈の精神はミルの「自由論」から得ているようであり、中国文明に関する見解もそこからの引用である。

(つづく)