ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 福沢諭吉著 「学問のすすめ」、「文明論之概略」 岩波文庫

2014年09月16日 | 書評
明治初期、文明開化を導いた民衆啓蒙の二書 第13回
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福沢諭吉著 「文明論之概略」(岩波文庫)(その4)
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3) 文明の本旨を論ず
 ところで福沢は文明の定義をしていなかった。「衣食住の安楽のみならず、智を磨き徳を修めて人間高尚の地位に上る」という。また文明は限度があるのではなく、野蛮を脱して次第に進むものである。人間は本来社会的動物で野蛮無法の状態から一国の体裁をなすまでのものだという。福沢は言葉を変え文明の特徴をいうが、本書のメインテーマである「文明とは智を磨き徳を修めて人間高尚の地位に上ること」とは、わかったような、ぼんやりした定義に聞こえる。また福沢は文明をたとえ話で解説するが、この解説が福沢節の特徴である。文明とは言えない諸様相を4つ示す。①衣食住は充足しているが、自由はなく人民は牛羊のごとく扱われる。②アジアの絶対帝政の人民のように、自由がなく束縛されて、活発の気を失い卑屈の極度にある。③自由はあるように見えるが、一国を支配するのは暴力のみで、戦国時代の様相 ④アフリカの人民は社会を知らず、食べるだけの生まれて死ぬのみの野蛮の人種。これらは文明とは言えないという否定の論理で排除し、しからば「文明とは人の安楽と品位との進歩をいう。この安楽と品位とえ終えるのは人の智徳であるがゆえに、文明とは結局人の智徳の進歩と云いて可なり」とするのである。ただ欧州の国々においても無智無徳な性情を持つ人はいるので、たとえ文明といっても欠点は多い。文明の本旨は人間平等であるので、欧州の歴史を見ると貴族階級を打倒して文明を築くのも一つの流れであったが、英国の君主政治でも文明であることはできるし、フランスの共和政治が理想でもないし、アメリカの合衆政治、メキシコの共和政など政府の形態は必ずしも一様ではないがゆえに、政府形態の名前だけでは文明の程度を判定することは難しい。孔子の君臣の義は戦国を修めるには君臣の道を立てることだとしたが、君臣は人の天性ではない。君臣なくとも庶民会議(民主議会制度)で政府と人民の関係はうまくいっている。政府と人民には各々義務があり、その治はすこぶる順調である。まずは人性に合致することが先決である。立君政治はこれを変革してもいいが、要は文明にとって利があるかどうかが大事である。ここでアメリカ型民衆政治の利点と欠点が述べられ、代議員選挙制度の目的である最大多数の最大幸福が、J・Sミルの思惑通りではないことを示す。100人中49人の意見が無視されることもあるということである。そして経済の論理である「利これを争うをもって人間最上の約束」たりうるかということの疑問である。福沢の目は民主主義の欠点や市場経済の問題点の着目しているが、特に疑問を呈するだけにとどまっている。ということで合衆国の政治必ずしも良いとは言えない。政治は文明のに一つに過ぎず、人間の目的は文明に達することで、これに達するには様々な方法があっていかるべきだという相対論を述べるにとどまった。政治、社会といえど歴史の中では「試験中」といえる。無限に文明は進歩するから、試行錯誤して進んでいるといえる。

(つづく)