ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 福沢諭吉著 「学問のすすめ」、「文明論之概略」 岩波文庫

2014年09月08日 | 書評
明治初期、文明開化を導いた民衆啓蒙の二書  第5回
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福沢諭吉著 「学問のすすめ」(岩波文庫) (その3)
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4編 「学者の職分を論ず」
「我より事の端を開き、愚民の先をなすのみならず、まず私立の地位を占め・・・あたかも政府に一針を加え、旧弊を除きて民権を恢復すること、方今至急の要務なるべし」
 福沢の言う学者とは狭い意味での大学教師ではなく、広く今日の言葉で「知識人」(または中流階級)の務めを述べている。そしてただ学者は官途につくのみではなく、学術、商売、法律、著述業、新聞など私立の事業を先端を切って起こさなけばならないという。明治の日本は学術、商売、法律で外国に後れを取っている。一国の独立を維持するには国民は国民の任務を果たし、政府は政府の任務を尽くして互いに相助け合って全国の独立を維持しなければならない。だから官たる職務と民たる職務は同時に振興するわけで、福沢は民として私立の事業(民間)を興すことを使命とすると宣言する。福沢は官のみに走る学者にはあまり尊敬はしていない。「けだし一国の文明は、独り政府の力をもって進むべきものに非ざる」という。各種の事業がひたすら政府に取り入って権益を貰う姿勢を痛烈に批判している。今日の政府側の予算削減のための民間活力利用という「小さな政府」論は裏返していえば、官中心主義(中央集権)がいかに根強いかを物語っている。官と民の並立の道はまだ半ばということだろうか。福沢は「無芸無能、僥倖によって官途に就き、慢に給料を貪って奢侈の資となし、戯れに天下の事を談ずる者は吾輩の友に非ず」と痛烈な言葉を、官になびく学者連に投げかけている。

5編 「明治7年元旦の詞」
「文明の事を行う者は私立の人民にして、その文明を護する者は政府なり」
 この編は慶應義塾社中に向けた明治七年元旦の詞である。古来日本の政府は変わったが、幸い独立を維持してきた。しかしながら外国に比べてあまりに文明のレベルが貧弱であり、これでは列強の力の前に独立を維持することも難しい。学校、工業、軍隊などの文明の形はこれを西欧に倣う(金をもって買う)ことはできても、無形の智力や気力ははなはだ弱体である。「国を患うるは上の任、下賤の関わるところにあらず」では文明の形を導入することはできても無用の長物のみならず、却って民心を退縮せしめる具となる。文明は必ず中産階級(ミドルクラス)が大衆の向かうところを示し、政府と併立ちて始めて成功するものであると福沢は上のように述べた。日本の歴史はいつも「上からの改革」に終始し、福沢の言う「中ほどからの改革」または西欧の革命である「下からの改革」を全く経験してこなかった。それが今日の日本のふがいなさを物語っている。

6編 「国法の貴きを論ず」
「政府は国民の名代にて、国民の思うところに従い事をなすものなり。・・・国民は必ず政府の法に従わざるべからず。」
 本編は2編 「人は同等なる事」の繰り返しに相当する。つまりジョンロックの「社会契約説」からきている。人は生存権・所有権を固有の権利として有する。これを自然状態に置くと各人は戦闘状態になる。私裁はよろしくないから、国法の貴なる由縁である。赤穂義士は大きな間違いである。私怨または私闘に過ぎない。当時の政府は徳川幕府であるので裁判に訴えるべきであった。徳川幕府の切腹という裁判も不当なら、赤穂浪士の義挙も無政府状態となり、徳川時代は無政無法の世の中になる。殺人・暗殺・強盗という生存権を奪う行為は法によって厳禁されるのが近代国家の基礎である。さらに国法の貴なるを知らない輩は、役人に媚びてこれを欺くかの行為に出ることがある。法を破り、法を遁れる行為は法治国民とは言えない。これが国民の義務である。

(つづく)