ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 福沢諭吉著 「学問のすすめ」、「文明論之概略」 岩波文庫

2014年09月11日 | 書評
明治初期、文明開化を導いた民衆啓蒙の二書 第8回
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福沢諭吉著 「学問のすすめ」(岩波文庫)(その6)
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13篇 「怨望の人間に害あるを論ず」
「人間に不徳の過剰多しといえど、その交際に害あるものは怨望より大なるはない。貪吝、奢侈、誹謗、弁駁は不徳の著しきものなれど、各々吟味すればその働きにおいて不善なるにあらず」
 封建倫理批判の編である。貪吝と節検経済、奢侈と安楽、誹謗・弁駁と議論、驕傲と勇敢、粗野と率直、固陋と実着、浮薄と鋭敏は相対するように見えて、皆働きの程度場所が異なるのみの事である。これらを一概に不徳とは言えない。不善の中でも不善なのは怨みの感情である。自分に不平をいだき、我を顧みずして努力せずに他人に多をもとめることである。却って他人を不幸に陥れ、他人の有様を下げて自分との平均を取ることである。すべての禍の元であるという。富貴は結果であって怨ではない、貧賤は不平の源ではない。人間交際に害あることは、ただ人の言語をふさぎ人の働きを妨げる抑圧である。封建時代に日常的に卑屈な精神を教える孔子の教えはまさに抑圧であってそこから怨望の気風が生じる。隠者を理想とする老子の教えは自閉症の世界である。「人生活発の気力は物に接して初めて生じるもので、自由に言わしめ、自由に働かせ、富貴も貧賤もただ本人の自らの選択に任せ、他からこれ妨げるべからず」が福沢の理想である。

14篇 「心事の棚卸」、「世話の字の義」
「人生の有様は思いのほかに悪事をなし、知恵の事についても思いのほかに愚を働き、思いのほかに事業を遂げざるものなり。事業の成否得失につき時々自分の胸中に差引の勘定を立てることなり。棚卸の総勘定のごとき」、「世話の字に保護と差図の両方の義を備えて人の世話をするとき、真に良き世話なり」
 人が事業を起こすとき想定外の齟齬が生じそれをたえず調整しながら、事業の難易を評価してゆかないから、愚もつかない失敗をしたり、事業が難航するのである。だから計画plan(P)-実行do(D)-評価check(C)-反省review(R)  PDCRのサイクルで事業の進展を図る必要がある。政府においては保護と命令がそれである。政府の貧民救済も貧乏の原因を尋ねず、みだりに米を与えても保護の域を超えている。この世話(社会福祉政策)は経済の最も大切なことで、難しいところであると福沢は嘆息している。この短文から福沢は社会福祉切り捨て論者でアメリカ式自由主義論者かと断定はできないが、気になる部分である。

15編 「事物を疑って取捨を断ずる事」
「信の世界に偽詐多く、偽の世界に真理多し」
 神仏、民間宗教、針按摩、家相などの信仰の世界には偽詐が多いことを面白い表現で論じている。これに対して西欧の科学の世界は疑うことから始めて不朽の真理に至る道である。古人の論説にも疑いの目で見、そして長い間の習慣もに疑いをはさむことで人事進歩の有様を見る。人事の進歩して真理に達するの路は、ただ異説争論の際にまぎるの法のみであるという。これは科学的合理的精神の発揮である。この信疑の際につき必ず取捨という精神の働きがある。「よく東西の事物を比較し、信じるべきを信じ、取るべきを取り、捨てるべきを棄て、信疑取捨そのよろしきを得んとするはまた難きに非ずや」という。福沢は卑近な例から説き始めて、科学的合理的精神に至る道を説く能弁家である。

(つづく)