ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 堀坂浩太郎著 「ブラジルー跳躍の軌跡」 岩波新書

2013年06月22日 | 書評
民主化社会制度と市場・資源経済によって世界に躍り出たブラジル 第1回

序(1)
 BRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国の頭文字)諸国という括り方ももはや古くなったといわれる。先進国に対して中進国というような区別であろうが、資本と投資、技術と資源、為替格差といった古い南北関係の枠ではもや捉えられなくなった。1人断突に抜け出たのが中国でありGDPでは日本を抜いて世界第2位となった。ブラジルもイタリア・英国を抜いてGDP世界第6位に躍り出た。中国経済なしには日本経済は立ち行かない。なのに突然尖閣諸島(魚釣島)領土問題が右翼石原都知事のすじから湧き出て日中関係が怪しくなりそうであるが、いずれ経済界の圧力でこのような民族主義的暴挙は抑えられるであろう。それくらい日中関係は重要なのである。ではなぜ時代遅れの民族主義的構図(北朝鮮拉致問題もおなじ構図)が出てきたかというと、2011年3月の福島第1原発事故により、失敗した政治の責任追及が為政者に及ばないよう(特に旧自民党・官僚連合体)、国民の目を盲目的国粋(排外)主義で麻痺させることが目的である。だから石原都知事と安倍自民党総裁のラインから尖閣諸島の紛争が企画されたのである。それは、原発再開と自民党の総選挙と政権獲得の伏線でもある。日中経済関係の重要さをいうために、尖閣諸島問題を云々したが、本題はブラジルである、話をブラジルに戻そう。世界経済の構図が再び塗り替わりつつある。G8だけではもはや世界金融危機を乗り越えられないのでG20が組織され、地球温暖化問題でも京都議定書の枠組みではおさまりそうにないので、アメリカと中国の責任を重視する流れにある。その原因は先進国のアメリカ、EU、日本の相対的力量が低下したためである。世界金融危機の発信源であるアメリカ、20年来の不況に悩み大幅な経済力低下の日本、ギリシャ国債信用不安に発するEUの苦しみがそれである。

 中国の経済発展の原動力は市場主義による「開発独裁体制」もしくは「国家資本主義」とも言われ、ブラジルの経済発展の原動力とは大分異なる。唐 亮 著 「現代中国の政治ー開発独裁のゆくえ」(岩波新書 2012年6月)にも述べたことだが、日本の明治維新と同じように中国は強力な国家主導で経済発展を成し遂げた。中国においては社会体制は社会主義で共産党独裁で、民主主義は経済発展と直接的には結びつかなかった。ブラジルは民主化によって軍政の政治経済体制を建て直したことに意義があると本書は強調する。民主化と市場経済の発展は車の両輪であったという。著者はブラジルへの思い入れが強く、深くブラジルの民主化過程を観察している。ここで著者堀坂浩太郎氏のプロフィールを紹介する。掘坂氏は1944年東京都生まれ、1968年国際基督教大学卒業後、70年より1983年まで日本経済新聞社記者となり、72年財団法人国際開発センター研究助手、78年サンパウロ支局特派員としてブラジル在住となる。帰国後83年上智大学外国語学部ポルトガル語学科助教授、教授となり、2003-04年外国語学部長。専攻はラテンアメリカ(特にブラジル経済)地域研究である。87年『転換期のブラジル』でヨゼフ・ロゲンドルフ賞受賞。著書には、「ドキュメント・カントリー・リスク 金融危機世界を走る」( 日本経済新聞社 1983.6)、「転換期のブラジル 民主化と経済再建」( サイマル出版会 1987.7)などがある。共著としては、「ラテンアメリカ多国籍企業論 変革と脱民族化の試練 」( 日本評論社 2002.11)、「ブラジル新時代 変革の軌跡と労働者党政権の挑戦」( 勁草書房 2004.3)などがある。私はあまりブラジルのことは勉強してこなかったことを白状する。岩波新書で唐 亮 著 「現代中国の政治ー開発独裁のゆくえ」と本書が続けて出版されている事を知って、二冊あわせて経済成長の二大大国としての原動力は何かを勉強してみようと思った程度である。
(つづく)


文芸散歩 大畑末吉訳 「アンデルセン童話集」 岩波文庫

2013年06月22日 | 書評
デンマークの童話の父が語る創作童話集 156話 第43回

83) たいしたもの
5人兄弟の夢は世界に出てたいしたものになることです。1番上の兄は煉瓦つくりの職人になること、2番目の兄は煉瓦壁つくり工から親方になること、3番目の兄は建築技師になること、4番目の兄は建築設計(都市設計)のデザイナーになること、末弟はすべてを評価する評論家になることでした。煉瓦を作るだけの仕事はたいしたものとは思っていませんでした。5人兄弟はそれぞれ努力して望み通りのひとかどのものになりました。そして5番目の末弟は天国へ召されて天国へ入る門の前でみすぼらしいおばあさんと一緒になりました。このおばあさんは堤防小屋に住んでいましたが、1番上の兄の作った煉瓦のくずを分けてもらって雨風を凌いでいましたが、ある日空のかなたに黒い雲を見て、津波が来ると直感し浜辺で働く人の教えるためにわらに火をつけて自分に家を焼きました。その炎を見た浜辺の人が高台にあるおばあさんの家に駆けつけたため、津波からまぬがれました。天国の門の天使はおばあさんの行為をほめて天国へいれましたが、末弟の評論家は天国に入れませんでした。この話は末子成功譚の逆の末子失敗譚かもしれませんが、評論という仕事が理解されていなかった頃の話ですので、必ずしも失敗譚とは言い切れません。

84) 年とったカシワの木の最後の夢
人生を楽しんだかどうかは、寿命の長さでは推し量れないということを、365年間生きてきた柏の木と1日で死ぬカゲロウの命を比較して語っています。この柏の木が一番楽しい夢を見たのはちょうどクリスマスイブの夜のことです。この柏の木は楽しい夢を見ながら、周りの小さな命と喜びを分かち合えない孤独な心の、満たされない思いでいっぱいでした。ある夜猛烈な嵐で柏の老木はなぎ倒され一生を終えました。この木の365年の一生はカゲロウの一日の命と同じでした。
(つづく)