ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 姜尚中著 「続・悩む力」 集英社新書

2013年06月17日 | 書評
夏目漱石・ウェーバーの言葉に現代人の悩みを問う 人生論続編 第3回

1) 漱石、ウェーバーに何を学ぶか
 夏目漱石「自意識の結果は神経衰弱を生じる。神経衰弱は20世紀の共有病なり。人智、学問、百般の事物の進歩すると同時にこの進歩を来したる人間は一歩一歩と頽廃し、衰弱す」(断片より)
ウェーバー「アメリカ合衆国では、営利活動は宗教的、倫理的な意味を取り去られていて、今では純粋な競争の感情に結びつく傾向はあり、その結果、スポーツの性格を帯びることさえ稀ではない」(プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神より)
 夏目漱石は20世紀始め一等国イギリスに留学して、明治政府が目標としたイギリスに資本主義の行く先を見ます。その結果夏目漱石は精神を病みます。自由競争は格差を当然視しますが、その前例は貴族主義にあり、幸福の配分が血の由来にあるとするものです。資本主義では幸福の配分が各自の能力にあるとするので、優勝劣敗の原理は「敗者」を生きる価値のない者とみなす。偶然の差に過ぎない市場主義の勝利、あるは最初から機会の不平等に曝されている競争社会では、この地上ではもはや幸福は見つからないと感じる「傷ましい瞬間」に人々は自殺に走るのです。漱石もウェーバーも、この地上では近代という洗礼を受けたら、もはや幸福は見出せないのだと確信していました。ウェーバーは近代の人間類型を「末人」と呼び「精神のない専門人、心情のない享楽人、この無のものは、人間性のかって達したことのない段階まですでに登り詰めたと自惚れるだろう」という。

2) どうしてこんなに孤独なのか
 夏目漱石「今の人の自覚心(自意識)とは自己と他人の間に截然たる利害の鴻溝があるという事を知り過ぎていることだ。・・・自分で 窮屈となるばかりか、世の中が苦しくなるばかりである」(吾輩は猫であるより)
ウイリアム・ジェームス「宗教とは簡単に言えば、人間の自己中心主義の歴史における記念すべき一章である」 
夏目漱石が死ぬまで悩み続けたのは、人間の自意識の問題でした。これは文明の呪いだったのかもしれません。夏目漱石に影響を与えた、プラグマティズム心理学者ウィリアム・ジェームスは近代という時代の人間は悩む人たらざるをえなかったと考えました。ユダヤ人の精神医学者V・Eフランクルは、ユダヤ人収容所で生きる意味を問い続けた悩む人(ホモ・パティエンス)でした。悲劇に見舞われて不幸な状態にある人ほど、宇宙の存在する深い真理を垣間見ることが出来るという。反省のない為政者が策動し始めている今日、警鐘を鳴らす大澤真幸著 「夢よりも深い覚醒へー3.11後の哲学」(岩波新書 2012年)は3.11の意味を問い続けるのです。人はぎりぎりの瀬戸際に立たされると、宗教人になるか芸術人になるかに分かれるそうです。ジェームスもフランクルも宗教型ですが、漱石もウェーバーも宗教型でしたが、漱石は宗教の門前で佇むだけでした。悩む人は世俗化された近代という時代における最も本質的な人間のあり方を示しているのではないでしょうか。
(つづく)

文芸散歩 大畑末吉訳 「アンデルセン童話集」 岩波文庫

2013年06月17日 | 書評
デンマークの童話の父が語る創作童話集 156話 第38回

72) 二人のむすめ
道路工事で敷石を突き固める道具があります。それを一般には職人は「石叩き」と呼んでいますが、年を取った「むすめ」(女性名称)という意味です。二人の「むすめ」は石たたきと呼ばれるのがいやでした。今では機械の杭打ち機に替わっています。言葉の話です。

73) 海のはてにすむとも
「海の果てに住むとも、汝の右のみ手われを保ちたまわん」という讃美歌のうたをお話にした筋らしい筋もない、短いお話です。神様は世界中のどこへ行こうとも守ってくださるということです。

74) 子豚の貯金箱
子供部屋にはたくさんのおもちゃがあります。箪笥の上に子豚の貯金箱があって、上からおもちゃを眺めるばかりです。おもちゃは相談して「人間ごっこ」をして遊ぼうといいました。人形芝居が始まりました。それを見ているうちに子豚の貯金箱はタンスから落ちて粉々に砕けましたとさ。
(つづく)