為政者の国民に対する無責任体制の構造 第4回
1) 構造災とは何か (1)
本書は安全性工学や信頼性工学、多重防御設計関係の本ではない。科学・技術側から事故を管理することが目的ではない。むしろそれがある見方によれば無力である事が今回の福島第1原発事故で立証されたようなものである。本書は社会学的に事故のヒューマンファクターあるいはソーシャルファクターを考察するリスク社会学(科学社会学)に属する。事故原因が科学・技術と社会の境界(インターフェイス)に存在する社会構造的欠陥(構造災)を問題とする。なぜ最近になって急に話題となるかといえば、科学技術の進展により、装置や構造が複雑で問題の相互依存性が単純でないため、なかなか科学・技術的に事故の本質がつかめないのである。事故の影響が広い範囲と時間にひろがり、規模が大きいため、巨大なシステムほど制御できないことがある事がわかってきたからである。その典型が核兵器競争・原子力発電、ゲノム治療・遺伝子操作、オゾン層破壊・地球環境問題がクローズアップされたことが「構造災」提起の背景にある。1975年に原発の事故確率を計算した「ラスムッセン報告」があるが、きわめてありえない事象として報告された。多重防御の考えは多くのバリアーの事故確率を掛け算して総合リスクを評価するもので、計算上はごく低い値で考慮に価しないし、まして対策をとる必要は無いという安全神話を生んだ。しかしのその4年後の1979年スリーマイル島原発2号炉で事故が発生した。日本では1970年代に始まった原発稼働以来、大事に至らなかった事故は数え切れず発生したし、数多くの事故は隠蔽されてきた。そして初期の原発が寿命を迎える前の2011年3月に、制御不能となった炉心のメルトダウンによる水素爆発というシビアアクシデント(深刻な事故)が発生した。水素爆発の可能性が予知されていなかったとすればそれは「知の失敗」であるが、すでにガルブランセンが1975年"bulletin of atomic sciense"誌に「原子炉材料としてジルコニウムは重大な欠点を有する。摂氏1100度で水と反応を起こすと炉と配管の損傷は食止められない」と発表していた。原子炉工学者らは使用実績からして問題とならないと一蹴したというが、それは通常運転の場合であって、事故の条件を無視するものであった。推進者側からして都合の悪い指摘は無視するという宿根が発揮されている。可能性が指摘されると有り得ないといって事故の根をないことにする。しかし事故は何重ものバリアーをかいくぐって起きるのである。工場での事故例では、事故は安全装置がすべて死んでいたから起きるのであって、安全装置が同じ質のものであれば時期が来れば安全装置は一斉にシャットダウンしているのである。
(つづく)
1) 構造災とは何か (1)
本書は安全性工学や信頼性工学、多重防御設計関係の本ではない。科学・技術側から事故を管理することが目的ではない。むしろそれがある見方によれば無力である事が今回の福島第1原発事故で立証されたようなものである。本書は社会学的に事故のヒューマンファクターあるいはソーシャルファクターを考察するリスク社会学(科学社会学)に属する。事故原因が科学・技術と社会の境界(インターフェイス)に存在する社会構造的欠陥(構造災)を問題とする。なぜ最近になって急に話題となるかといえば、科学技術の進展により、装置や構造が複雑で問題の相互依存性が単純でないため、なかなか科学・技術的に事故の本質がつかめないのである。事故の影響が広い範囲と時間にひろがり、規模が大きいため、巨大なシステムほど制御できないことがある事がわかってきたからである。その典型が核兵器競争・原子力発電、ゲノム治療・遺伝子操作、オゾン層破壊・地球環境問題がクローズアップされたことが「構造災」提起の背景にある。1975年に原発の事故確率を計算した「ラスムッセン報告」があるが、きわめてありえない事象として報告された。多重防御の考えは多くのバリアーの事故確率を掛け算して総合リスクを評価するもので、計算上はごく低い値で考慮に価しないし、まして対策をとる必要は無いという安全神話を生んだ。しかしのその4年後の1979年スリーマイル島原発2号炉で事故が発生した。日本では1970年代に始まった原発稼働以来、大事に至らなかった事故は数え切れず発生したし、数多くの事故は隠蔽されてきた。そして初期の原発が寿命を迎える前の2011年3月に、制御不能となった炉心のメルトダウンによる水素爆発というシビアアクシデント(深刻な事故)が発生した。水素爆発の可能性が予知されていなかったとすればそれは「知の失敗」であるが、すでにガルブランセンが1975年"bulletin of atomic sciense"誌に「原子炉材料としてジルコニウムは重大な欠点を有する。摂氏1100度で水と反応を起こすと炉と配管の損傷は食止められない」と発表していた。原子炉工学者らは使用実績からして問題とならないと一蹴したというが、それは通常運転の場合であって、事故の条件を無視するものであった。推進者側からして都合の悪い指摘は無視するという宿根が発揮されている。可能性が指摘されると有り得ないといって事故の根をないことにする。しかし事故は何重ものバリアーをかいくぐって起きるのである。工場での事故例では、事故は安全装置がすべて死んでいたから起きるのであって、安全装置が同じ質のものであれば時期が来れば安全装置は一斉にシャットダウンしているのである。
(つづく)