「神とともに、神なしに生きる」境地が心の成熟という絶対宗教感 第1回
著者柳澤桂子氏のプロフィールを紹介する。1938年東京生まれ。60年お茶の水女子大学理学部を卒業し、アメリカに留学。分子生物学の勃興期に立ち会う。63年コロンビア大学大学院を修了。慶應義塾大学医学部助手を経て、三菱化成生命科学研究所主任研究員として、ハツカネズミの先天性異常の研究を始める。30代より激しい痛みと全身のしびれを伴う原因不明の病に苦しみ、83年に同研究所を退職。病床で多数の科学エッセーを執筆。99年、「慢性疼痛」の診断で抗鬱薬処方により劇的な効果があった。その後も脳脊髄液減少症、脳梗塞、狭心症などで入退院を繰り返している。本書も自身の体力がないので、編集者の電話インタビュー形式でなった。主な著書に「二重らせんの私」「お母さんが話してくれた生命の歴史」「遺伝子医療への警告」「癒されて生きる」「卵が私になるまで」「われわれはなぜ死ぬのか」「生と死が創るもの」「ふたたびの生」「生命の不思議」、「生きて死ぬ智慧」ほか。
私はかって柳澤桂子氏の「生きて死ぬ智慧」を読んだ。そこに「般若心経」の「色即是空」の解釈が宇宙物理学として語られていた様に思う。インド仏教では輪廻の論理で桎梏から逃れるため輪廻を断ち切ることで永遠に生きられると説いた。「般若心経」の否定の論理の循環が言語上は同じ言葉の繰り返しとバリエーションとなって単調なリズムを生んでいる。「私も宇宙の塵に過ぎない。集まっては形をなし死んでは飛散する」という物質循環(不滅)の概念は生きている内は、心の安心には役に立つだろう。」と云う思想が述べられていた。人間が死んで分解すれば水と炭酸ガスと多少の無機物が残る。構成元素といっても炭素、水素、酸素、窒素、硫黄、燐、カルシウム程度である。物質循環論では、これら元素は又別の無機物や生物を生むと説くのである。短歌「生きかわり死にかわりつつわが内に積もる星屑にいのち華やぐ」が著者の生命観である。
(続く)
著者柳澤桂子氏のプロフィールを紹介する。1938年東京生まれ。60年お茶の水女子大学理学部を卒業し、アメリカに留学。分子生物学の勃興期に立ち会う。63年コロンビア大学大学院を修了。慶應義塾大学医学部助手を経て、三菱化成生命科学研究所主任研究員として、ハツカネズミの先天性異常の研究を始める。30代より激しい痛みと全身のしびれを伴う原因不明の病に苦しみ、83年に同研究所を退職。病床で多数の科学エッセーを執筆。99年、「慢性疼痛」の診断で抗鬱薬処方により劇的な効果があった。その後も脳脊髄液減少症、脳梗塞、狭心症などで入退院を繰り返している。本書も自身の体力がないので、編集者の電話インタビュー形式でなった。主な著書に「二重らせんの私」「お母さんが話してくれた生命の歴史」「遺伝子医療への警告」「癒されて生きる」「卵が私になるまで」「われわれはなぜ死ぬのか」「生と死が創るもの」「ふたたびの生」「生命の不思議」、「生きて死ぬ智慧」ほか。
私はかって柳澤桂子氏の「生きて死ぬ智慧」を読んだ。そこに「般若心経」の「色即是空」の解釈が宇宙物理学として語られていた様に思う。インド仏教では輪廻の論理で桎梏から逃れるため輪廻を断ち切ることで永遠に生きられると説いた。「般若心経」の否定の論理の循環が言語上は同じ言葉の繰り返しとバリエーションとなって単調なリズムを生んでいる。「私も宇宙の塵に過ぎない。集まっては形をなし死んでは飛散する」という物質循環(不滅)の概念は生きている内は、心の安心には役に立つだろう。」と云う思想が述べられていた。人間が死んで分解すれば水と炭酸ガスと多少の無機物が残る。構成元素といっても炭素、水素、酸素、窒素、硫黄、燐、カルシウム程度である。物質循環論では、これら元素は又別の無機物や生物を生むと説くのである。短歌「生きかわり死にかわりつつわが内に積もる星屑にいのち華やぐ」が著者の生命観である。
(続く)