癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

〈8日目〉48槻木宿~49船迫宿~50大河原宿~51金ヶ瀬宿~52宮宿~53白石宿〈27.3km〉(8時間20分)

2019年04月18日 | 登山・旅行
 今日は、22℃まで上がり、10時前に半袖とハーフパンツだけで歩いた。風呂に入ったら腕がヒリヒリした。暑いとだるくなりなんとなく疲れる。どうしてもペースが落ちる。
 昼の段階で、無理しないで、今日のゴールを白石宿にし、白石城も見てから宿に入った。スタートも遅かったので、30km未満で8時間強ののんびり歩きだった。
 それでも、宿場間の距離が短いので、6宿を通過した。

槻木宿~船迫宿
 
    
 6:30に槻木駅をスタート。槻木宿を抜けると、河畔の街道となる。このような道は街道歩きの醍醐味である。特に朝は気持ちが良い。

    
 白石川では、朝からボートの練習が行われていた。流れが塞き止められていて、練習場やレース場になっているようだ。

     
 新政府は明治22年に一里塚ではなく、仙台の芭蕉の辻を起点とした里程標を改めて設置した。ここは、仙台から7里とのこと。

     
      こんな手作りの標識もあった。

     
 白石川の堤防には、ずっとサクラ並木が続く。ここから国道4号を横切って船迫宿への街道となる。

     
 その横切る地点に船迫内余川の一里塚跡の表示がある。

     
 船迫宿の入口にある江戸時代建築の薬師神社。神社やお寺は昔から同じ場所にあるのだろうなと思いながら通過。

     
 船迫宿には、江戸時代の街道や宿場の絵と当時の商家などの市を書いた案内板があった。結構いろいろな店があったようだが、宿は見当たらなかった。同じ場所とは思えないほど、当時の面影はない。

 やがて、国道を横切るが、その角にすき家があったので朝食にする。390円で栄養バランスも取れてボリュームのある朝定食がいろいろあるのが嬉しい。

船迫宿~大河原宿

     
 しばらく進むと、サクラで彩られた白石川を挟んで、船岡城址が見える。
    
     
 国道に合流する角に二本杉の一里塚跡の説明板がある。二本杉とは、街道を挟んだ塚の上に杉を植えたことが由来とこのと。

     
 国道から別れて橋を渡る手前に「大河原 ようこそ!一目千本桜のまちへ」の看板がある。
 橋を渡ると、大河原宿へと入っていく。

大河原宿~金ヶ瀬宿

     
 確かに、白石川の両側の堤防には見事な一目千本の桜回廊が続いている。

     
 大河原商店街へと入っていく。

     
 宿場の雰囲気を感じさせる長い塀と白壁の旧家も目につく。

大河原宿~金ヶ瀬宿~
 
     
 大河原宿を抜けると、国道4号の右側に側道のような形で街道が残されている。

     
 金ヶ瀬宿に入ると現代的な家並みの中に門構えのある旧家や蔵造り家がいくつかあり街道筋の面影を残している。
 その他にも、本町の各家の玄関が白石の方角(南西)に向いているとのことだが確かにそうだ。どの家も街道に平行して南西向きに玄関が造られている。右手の家も左手の家もそうなのだ。
 その前の新町の家は逆に仙台を向いているらしいのだが、通りすぎて確認できなかった。これは金ケ瀬宿の西側の本町には片倉藩の足軽百姓が住み、東側の新町には仙台藩の百姓が住んでいたことによるとのことだ。

     
 金ヶ瀬宿の端に大高山神社がある。南部鉄でできた珍しい鳥居があるというので階段を登る。1801年に鋳造されたものだが錆びて風格が出ている。そのほかにも、境内の中にやはり鉄で造られた九輪塔もあった。

金ヶ瀬宿~宮宿

    
 やがて、国道歩きとなる。柴田町から蔵王町へと入っていく。国道の正面に蔵王連峰が大きく迫る。

     

     
 宮宿にも旧家と思われる建物が、街道の雰囲気を残している。
 国道へ出たところにコンビニがあったので、そこのイートインで昼食にする。その時点で、今日のゴールを7km先の白石宿に決める。早く着きそうだが、白石城も見たいと思った。

宮宿~白石宿


     
 ずっと国道歩きが続く。途中で白石市に入る。その途中に街道に残るこけしの欄干の立つ橋があった。その名前が児捨川橋である。ドキッとする。
 そのそばの案内板によれば、「日本武尊はこの地に王子を残して都に帰京した。村人は王子の偉貌と能力を恐れて王子を川に捨ててしまった。王子は白鳥と化して村々に災いをもたらしたので、村人は悔いて白鳥を祀った」ことが由来とのこと。

     
 国道から離れて、白石川の橋を渡り、しばらく堤防の上の歩きとなる。

     
 白石宿に入ると、白壁造りの建物や旧家が目につく。宿場というよりは、城下町の雰囲気である。

     
 商店街の手前に蔵王酒造もある。

     
 街道から離れて、白石城へ。ここには珍しく木造復元された天守閣があった。
 白石城は関ヶ原の合戦直前に独眼流で有名な武将・伊達政宗によって攻略され、政宗の片腕として名をはせた片倉小十郎景綱によって治められた城である。しかし、明治維新では、幕府側に付いたために、明治になって取り壊される。
 ここから、片倉小十郎を中心とした白石藩の北海道開拓の歴史が始まる。木古内のサラキ岬で沈没した咸臨丸に乗っていた人たちも、この家臣の開拓移民団である。

      

      
 予約しておいた岡崎旅館へ着いて、ビックリ。宿場巡りにはぴったりのうれしい宿である。築100年以上は経つが、旅館としては70年だそうだ。その前は肥料会社をしていた方の屋敷だったそうだ。
 「貸し切りなので、好きなように使ってください」といわれ、角の庭の見える一番良い部屋へ通してくれた。着いたら風呂も沸いていた。旅館は足を伸ばして入れる風呂があるので嬉しい。素泊まりで4200円だが、白石名産の白石温麺(うーめん)のお土産までいただき、明日は早いのにウコギおにぎりを作ってくれるという。

     
     おみやげにいただいた白石温麺

     
 夕食は、宿のおすすめのいち藤へ。これまた、渋いお店。ここは手打ちの温麺を食べることができるとのこと。

     
 温麺なのに、冷たい方が腰があって美味しいとのことで、張り込んで、天もり温麺を頼んだ。素麺との端的な違いは、短いことと、素麺は昔は油をつかっていたが、こちらは油は使わずに稲庭うどんと同じような作り方をしているとのこと。あっさりしていて腰が強くて美味しかったが、天ぷらもまた美味しかった。

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4 コメント

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楽しんで! (田舎おじさん)
2019-04-19 18:25:00
 毎日毎日、40キロ前後歩かれたうえに、大量の写真を掲載し、細やかな観察文を綴られていることに感嘆します。最後には目がしょぼつくというのも分かるような気がします。sakagさん、頑張りすぎじゃないですか?私たちは楽しませてもらっていますが、相当に無理されているようにも感じてしまいます。
 どうぞ無理なさらずに、たくさんたくさん楽しんでください。
 もう少しで予定のゴールですね。楽しみながら最後の踏ん張りを!!
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北海道開拓の片倉氏 (harpbaba)
2019-04-19 18:59:20
街道歩き何時も感動してます。今回の街道筋でも札幌市の白石村開拓の祖が登場ですね。奥州武士などを乗せた咸臨丸も蝦夷地開拓者の苦労や夢も現在の繁栄の礎ですね。私、歩かないでパソコン前で歴史を感じてます。お疲れ様です。
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田舎おじさんへ (sakag )
2019-04-19 21:20:25
確かに歩くよりブログの方が辛いです。
でも、「歩いて書く」がポリシーですので、無理しても頑張ります。
辛いけど、頑張って書き上げたときの満足感も良いものです。
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harpbabaさんへ (sakag )
2019-04-19 21:24:10
北海道との繋がりを見つけるとうれしいものです。
今日も、松前家の墓所がありましたよ。経緯はのちほど調べてみます。
たくさん写した写真を厳選するだけでも大変です。
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