癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

山陽道10日目・神辺駅~22今津宿~23尾道宿〈29km〉(6時間45分)

2020年11月24日 | 登山・旅行

 朝外に出た途端、寒いと思ったら、霜が降りたようだ。それでも6℃もある。しかし、こちらの気温に慣れたせいか、非常に寒かった。そろそろ朝だけでもインナーダウンが必要な感じ。

 今日は、尾道でゴールである。距離が短いので、13:15にゴールできた。朝は寒かったので高速で歩いたせいか、結構疲れた。ブログも珍しく18時前にアップできた。

神辺駅前~今津宿

 30分ほど歩いて、鶴が橋を渡るが、そのたもとに出雲大社の道標があった。出雲大社へ詣でる人たちも途中まではこの山陽道を歩いたのだろう。

 鶴が橋を渡るが、交通渋滞が凄い。

 橋を渡り終えると、堤防の上を県道が走り、歩行者・自転車専用道は堤防の下に続いている。昔の山陽道は古い堤防の上を歩いたのだろう。堤防の陰になって寒い。

 まもなく、二本松の碑や排水工事完成記念碑や腰折れ地蔵などがまとめて設置されている所を通った。

 旧道に入っていくと、昨日から目にするようになった大正チックな建物と古来の旧家が繋がった家があった。珍しい組合わせである。

イチジクの実。イチジクと言えば浣腸・・・コマーシャルも罪だ。どんな味がするのか、売っていたら食べてみたいものだ。

 福山市山手町の一里塚と榎木。こちらへ来て、榎木が残っている。一里塚は初めてかも?

 上は、天保2年の常夜灯。昔は旅人の目印になったり、夜は火を灯したて、今の街灯の役割をした。

 下は、赤坂一里塚。隣に、江戸時代のこの辺の絵図の解説が掲げられていた。

 国道に出て、すぐに旧道に入って、今津宿となる。

22今津宿~尾道宿

 右上のお宅が今津宿本陣跡河本家。表門、塀、石垣は当時のままのもの。

 この本陣のあったところが今津宿の中心部で、昔は商家が300軒もあった書かれていたが、その面影は全くない。

 今津宿を抜けてしばらくいくと、道標があるが、「右 ちかみち」と彫られている。珍しい道標だ。何の近道かと上を見たら、「関の地蔵」とジグザグの道が書かれていた。

 それにつられて、急な細いジグザグな階段を上って行ったら「関の地蔵」があった。

 その先で、国道に近づいたところにすき家があったので、、11時過ぎだったが昼食にした。

 この辺りで、福山市から尾道市になっていた。

 「高須一里塚」から先になると、家並みが途切れ、山の方へ向かっていく。「名号石碑」の前を通り、国道のガード下を潜ると、急な坂道になる。

 今回の旅では一番急な坂道だった。明らかに峠越えである。Googleマップには何も書かれていない。GPSを見たら、「防地峠」と書かれている。

 峠を挟んで、「これより東は福山領」「これより西は芸洲領」の碑が立ち、説明板によれば、ここの両側に両藩の番所があったらしい。

 峠を下って行くと、尾道市街地が見える。

 峠を下り切ると、市街地に入って行く。

 やがて、アーケードで覆われた「尾道通り」に入っていく。ここが尾道宿の中心部である。昔の面影を感じるものは何もない。

 一度切れたところに、「尾道通り 石畳地区 旧本陣」と彫られた新しい標石が立っている。

 昔の商家造りの家は1軒も見当たらなかったが、大正チックな建物が2軒あった。下の銭湯は、ちょうどカフェか何かにリフォームする準備をしているところだった。上の建物は「尾道商工会議所記念館」になっていた。

 その隣の広場に「奉行所跡」の碑が立っている。

 アーケードが切れて、さらに進むと、今度は「センター街」という商店街へ入って行く。

 その商店街を抜けると、「林芙美子」の像がある。芙美子はここが出身地なようだ。

 その先で尾道駅になるので、今日は、ここまでとした。

 尾道駅前のベーカリーで、休憩がてら、尾道あんぱん、くるみ塩パン、コーンスープを注文。尾道あんぱんは中にあんとクリームが一緒に入っている。

 尾道で安い宿が取れなかったので、20分ほど電車で福山駅まで移動して、昨日とは違うホテルトレンド福山駅前に向かった。ここも、先月にオープンしたばかりだった。

 明日も泊まるので、GoTo割引で、2日間で7020円。地域クーポン券2枚付きだった。

 さて、明日の予定だが、計画では、「しまなみ海道を往きはレンタサイクルで、帰りはバスで」の予定だったが、とってもそのような元気はない。しかし、しまなみ海道は渡りたい。そこで、往復バス利用で今治まで行き、戻ってきてから、尾道観光を少しすることにした。

 今日の歩数計 44000歩。

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