癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

山陽道4日目・宝殿~⑥御着宿~⑦姫路宿<17km>(4時間00分)

2020年11月18日 | 登山・旅行

 今日の計画(加古川宿~相生駅)の距離設定が間違っていたことに気づいて、今後の計画を変更せざるを得なくたった。

 昨日、加古川から宿のある宝殿まで6km歩いたので、今日は楽だと思っていた。しかし、御着宿と姫路宿を抜けて、11:00に姫路城に着いた。そこから相生までの距離を見たら、まだ23kmもある。とても、無理な距離である。姫路宿からは峠越えになり、山陽本線から離れてしまう。再び合流するのは竜野駅である。そこまでも20kmはある。無理しないで、姫路以降の予定を1日ずらすことにした。

 お陰で、姫路城や好古園でのんびりできた。

 今日も暑かった。9時にはTシャツになった。今日も国道2号と絡みなからも、ずっと旧道が残っていて、快適な旧街道歩きを楽しむことができた。

 2食付き3500円の朝食にしては、十分満足できる内容である。

 宿から5分で旧街道に出た。7:00、スタート。

 目の前に、竜山石(宝殿石)の採石場が見えてくる。古代より現在もなお、1700年もの間同じ場所から採石され続けている歴史ある石材は国内で唯一竜山石だけとのこと。

 幅4mくらいの旧道のあちこちで立派な旧家が目についた。

 魚橋集落に「土田家住宅と旧魚橋郵便局舎」が建っている。緑色の洋館のような建物は明治の初期、各地の有力者の家を改造して郵便局にしたもので、国の登録有形文化財。左は土田家住宅。

 その先の正蓮寺の門前に「月の砂漠」や「お山の杉の子」などの作詞家の佐々木英生誕の地の石碑があった。

 JR曽根駅付近のガード下左手には、付近から集められた道標が4基並んでいた。

姫路市への境界を過ぎると、右手には、「六騎塚」がある。

 嘉永3年(1850)左和田清左衛門範一建立の「備後守児嶋君墓」と刻まれた碑が建つ。「太平記」によると、 延元元年(1336)足利尊氏が大軍を率いて九州から東上してくるのを備後守範長が迎え撃ったが、戦いに敗れ、最後に主従6騎となり、阿弥陀宿の辻堂で自害したという。

 昨日からため池が目につくようになったが、ここには蓮が密生していた。

6御着宿~7姫路宿

 御着宿の入口に、都市景観重要建築物に指定されている豪邸「小原家住宅」が建っている。

 その先右手の御着公会堂の所は「御着宿本陣」があった所。御着は姫路―加古川の「間の宿(あいのしゅく)」。この辺りに敷地2100坪、建坪130坪の本陣があったと説明がある。本陣は天川氏が勤めた。
 御着宿には外にも「都市景観重要建築物」に指定された建物や白壁やうだつのある古い家並みが残っている。この地は黒田官兵衛ゆかりの地のようだ。

 うれしい「旧山陽道」の標識が立っている。

 やがて、姫路市街地へ入っていく。姫路城も見えるが、先に姫路宿を歩きたいので、遠回りになるが、そのまま旧街道を進む。

 二階町の商店街へ入っていくが、この通りが姫路宿の中心部だったらしい。全くその面影はない。

 道路を越えて二階西町の商店街のこの辺りに本陣があったらしいが、標識もなかった。

 商店街を抜けて、城の方へ向かい、白鷺(はくろ)橋を渡る。ここまで、濠があったのか、石垣がある。姫路城の敷地はずいぶんと広かったようだ。

 城へは大手前通まで戻り、城へ向かう。

 その通りには「西国街道」と「国府寺家本陣跡」の説明板があった。

 どうやら、この付近の街道は、城の前を通るものと、商店街を通るもの2本があったようた。

 濠の外から大手門と姫路城を眺める。

 写真では何度も眺めていた姫路城だが、実際に目にするのは初めてである。さすか、日本一の名城と言われるだけの城だ。最近白く塗り直されたらしい。中には入らなかった。

 内堀を眺めながら、城の横にある好古園へ向う。

 紅葉が見頃な「姫路城西御屋敷跡庭園」」

 好古園を出て、姫路駅へ向かった。

 昼食は、一風堂の博多ラーメン。博多ラーメンを食べたのは何年ぶりだろう?

 姫路駅から相生駅へ移動し、15:00には、相生ステーションホテルにチェックイン。GoTo割引で3283円。地域クーポン券付き。

 明日の岡山の宿はキャンセルして、この宿に連泊することにした。

今日の歩数計 39000歩(姫路の街中散歩も含む)

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