癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

山陽道8日目・備前一宮駅~16板倉宿~17川辺宿~三谷駅〈32km〉(7時間30分)

2020年11月22日 | 登山・旅行

 今までは大きなミスなしでやって来たのたが、今日は大ポカの2連発の厄日だった。

まずは、朝・・・岡山駅発5:55の電車で昨日のゴールの備前一宮駅へ移動するつもりが、大きな駅なので、全く同じ時刻に出る別の線の電車に乗ってしまった。間違いに気づいて途中で降りたが、すぐに岡山に戻る電車がない。結局、備前一宮駅に着いたのが、7:44になってしまった。しかし、あと3日で尾道まで行けば良いので、余裕はある。

 そして、2日前に予約しておいたホテル・・・倉敷駅前に取れなくて新倉敷駅前に取ったのだが、駅に着いてネットの予約を確かめてみたら、別館になっていた。タクシーでしか行けないところで、往復3000円以上。GoTo割り引きも地域クーポン券の分もパー。 

 子供の頃から、おっちょこちょい少年だった。人生に関わる大きなミスはしないでここまで生きてきたが、これは死んでも治らない・・・。

 お陰で、岡山駅での乗り換えで、きひだんごを買うことができた。何十種類もあって選ぶのに困ったが、一番小さいのを選んだ。

備前一宮駅~板倉宿

 7:45、備前一宮駅をスタート。

 歩き始めて、すぐに「これより東は備前の国」の道標と、「真金一里塚」の碑が立っていた。

 この辺りは、いろいろなところに桃太郎の関係のものがある。消火栓マンホールの蓋。さらに、民家の壁にも。

16板倉宿~川辺宿

 板倉宿の入口に「旧山陽道 板倉宿」の表記。今回の旅では初めて目にした感じだ。街道歩きをしている者にとっては非常にうれしいものだ。

 板倉宿の中心部。本陣跡の標識はなかった。

 五街道では多く目にした、白壁と格子模様の壁の旧家。この街道では珍しい。

 大正4年の道標~読みやすい字体である。

日本遺産に指定されている「鯉喰神社」~温羅(うら)征伐にちなむ神社で、敗れた温羅が洪水を呼び、鯉に変じて逃げのびようとするのを、大吉備津彦命がこれを退治したという伝説がある。

 墓地の一角に集められた?江戸時代の以前の墓石群

「造山古墳群」の一部。この辺りには、非常に多くの古墳が点在している。手前のは現在整備中の古墳。左奥の物も古墳のひとつ。

 やがて、岡山市から総社市へと入っていく。

 山手地区の入口に立つ大きな看板。総社市は吉備真備(きびのまきび)生誕の地である。吉備 真備は、奈良時代の公卿・学者。官位は正二位・右大臣。

 

 国道を越えて進むと、大正元年の道標が立つ「宿」というのは集落に出た。説明板には「宿は山陽道の宿場町として栄え、街道沿いには当時の名残をとどめる家が沢山あります。北には備中国分寺や尼寺跡、南側には寺山古墳などが存在し、吉備路の中心に位置します」と書かれていた。

 国分寺があったところから考えると、鎌倉・室町時代の宿場だったのだろう。

 江戸時代の宿場には指定されてはいないが、宿場の名残を留める家並みが続く。

 右側に五重の塔が見える。これは、備中国分寺のもので、聖武天皇の発願になるものだが、建物は南北朝時代に焼失したと伝えられ、現在の建物は江戸時代中期以降に再建されたもの。   

 総社市には、このような「山陽道」と史跡の標識が多く設置されている。岡山県に入った辺りから「西国街道」の名称は目にしなくなった。

 上の画像の中央の小さなこんもりとしたものが寺山古墳。

 旧山手村の「山陽道 一里塚」

 山手地区の外れに来ると、旧街道の雰囲気が漂う家並みが続く。

 こんな時期に桜が咲いていた。冬桜?

 高梁川には、車道の橋のほかに、自転車と歩行者専用の橋が架けられている。

17川辺宿~三谷駅

 この橋を渡ると、総社市から倉敷市へと入っていく。

 昔の渡しのあったところから移動された一里塚。江戸から百八十里と書かれている。

 川辺宿の中心部だが、全くその面影はない。

 しかし、うれしいことに、本陣跡と脇本陣跡の標柱が設置されている

 やがて、真備地区の市街地の歩きとなる。

 瀬戸内海を挟んだ四国の影響か、讃岐手打ちうどんの看板が目に付くようになる。

 たまたま入った「讃岐うどん かわはら」で食べた、イカ入りぶっかけは、麺の歯ごたえも良く、汁の旨さといい、抜群の旨さだった。このような讃岐うどんは四国遍路以来である。

 この真備(まび)地区は、吉備真備の生誕の地である看板や表示が多い。ここの駅名は、まともに吉備真備駅である。

 このあとすぐに素敵な出会いがあった。交差点で信号待ちをしていたら、こちらのスタイルを見た30代くらいの男性が「うれしいなぁ、僕も山陽道を歩いているのです。何度かに分けながらですが、京都から尾道まで歩き終わり、これからその続きを歩く予定です」とのこと。

 住まいはここだが、実家は今日通ってきた板倉宿にあるとのこと。同じ目的を持った人に会ったのは、今回の旅では初めてだった。お互いにうれしくて、話が弾んだ。

 人家が切れた辺りの右手に「吉備公彈琴・・・」の石碑が立っている。読めないが、吉備真備が、晩年帰郷し、中秋の名月の夜に、この辺りの岩の上に琴を置いてかなでたと伝えられている。 

 その先に、総社市と矢掛町の境界がある。その境界を挟んでそれぞれ200mほど離れた向かい側に一里塚跡の碑が立っている。普通、道を挟んで向かい側に立つものだが、これはどういう訳か? 

 「これより宿場町矢掛」の看板が立つ。今日会った方の話では、なかなか充実した宿場とのこと。

 その先の「筆塚」~矢掛町出身の書家「田中塊堂」が中心になって、真備公の遺徳を顕彰するために建立したという。 

 矢掛宿まで行って、矢掛駅まで歩こうと思ったが、電車の時間までに着ける自信がない。時間的にも距離的にもまだ早いが、三谷駅を今日のゴールとした。

 14:15、三谷駅でゴール。電車の時刻まで、1時間帯以上あったが ブログの下準備をしていたら、あっという間に過ぎた。

 電車を2回乗り換えて、新倉敷駅まで移動。あとは、冒頭に書いた通り。明日の朝、5:20の電車に乗るので、タクシーの迎えを頼んだ。タクシー代に地域クーポン券が使えるという。

 ホテルセントイン倉敷ビジネス別館は、GoTo割引で4290円。地域クーポン券付き。洗濯機と乾燥機があったので、洗濯ができた。

 今日の歩数計 40000歩。

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