癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

山陽道3日目・塩屋駅~④明石宿~⑤加古川宿~高砂市宝殿<38km>(9時間10分)

2020年11月17日 | 登山・旅行

 歩き旅も5日目に入ると、足が慣れてきて、足の筋肉の張りや痛みがなくなる。むしろ、腰に多少の疲れがあるくらいで、いくらでも歩けるような感じである。

 今日は快晴に恵まれて、9:30には、今回の歩き旅で初めて、半袖のTシャツになった。ついに9時間超えとなり、距離も一番長かった。

 今日は、明石宿と加古川宿を通過したが、昨日までより、旧道がずっと残っていて、旧街道歩きを満喫することができた。

 しかし、なんといっても一番のヒットは、2食付き3500円の高砂市の宿だった。もちろんGoTo割引などではない。最後に詳しく書くことにする。

 暗いうちに、、明石駅のコインロッカーにリュックを預けて、塩屋駅まで移動。

塩屋駅~明石宿

 6:20、塩屋駅前をスタート。明石宿の手前まで、ずっと国道2号の歩きが続く。

 舞子浜公園から明石海峡大橋を眺める。風がないのに波が立っているのは、潮の流れである。

 大橋の下を潜ると、「明石藩舞子台場跡」があった。

4明石宿~加古川宿

 朝霧駅を過ぎると、旧道への分岐があり、明石宿へと入っていく。

 このような旧家が増えてくる。

 この大蔵会館が建っている向かい側に本陣があったらしい。

明石宿を抜けて、曲がり角に来たら、道標があった。「左 大阪 りゃうご」「右 加古川」などと彫られている。いつのものかは見るのを忘れた。

 その辻を曲がったら「大日本中央標準時子午線通過地標識」が立っていた。いうまでもなく、明石市は日本標準時となる、東経135度の子午線が通っている場所である。あとで気づいたが、持参していたGPSで計測するのを忘れた。

 この標柱は、明治43年明石郡小学校の先生方が費用を負担して建てたそうた。

 この先で、リュックを取りに、明石駅まで往復した。

明石宿~~5加古川宿

 明石駅を過ぎると、昨日までの都会の街中歩きがから、初めて、郊外の旧街道歩きとなった。

 幅4mほどの細い道の両側に古い民家が並び、いかにも旧街道といった感じである。

 大久保町に来ると、今回の旅で初の田畑が現れる。

 大久保町の坂を下った辺りに、立派な門塀を回した安藤家が建っている。ここは、「大久保本陣」であった
 大久保地区は戦国時代から栄えていた所で、明石藩が設けた、西の宿場であった。本陣の外旅籠が十数軒あったといわれる。 ただ案内板などなく、知らないとそのまま通りすぎてしまう感じがする。る。         

 大久保町には、農家の旧家が多く目につく。どの家も、黒い壁や木塀は焼き杉である。

 ついに、山陽道の史跡が洗われた。説明板には「古代山陽道と邑美駅家」と書かれている。奈良時代に明石駅家と賀古駅家の中間につくられた駅家とのこと。

 最近の発掘調査で発見されたものらしい。復元図を描かれた方は北海道教育大学釧路校の教授だったことにも驚いた。

 途中の左手の墓地の中に貞和2年(1346)の五輪塔がある。高さは1.76m、花崗岩製の五輪塔で、兵庫県の文化財に指定されている。

 「胴切れ地蔵」~ある人が、うっかり殿様の行列を横切ったために、供侍に無礼打にあい、胴体を真っ二つに切らた。ところが自分の胴体はなんともなく、地蔵さんの胴が真っ二つになっていたという。
 身代りで切られたという胴は、うしろから覗くと本当に斜めに切れているのがわかる。

 12:00、土山町で明石市から加古川市へと入って行くが、そこで、すき家を見つけたので昼食をたべた。

12:30、加古川駅前を通過。

 アーケードに覆われた「じけまち(寺家町)商店街へ入って行くが、ここが明石宿の中心部だったという。

 右の角が本陣があったというが、標識などの類いは一切ない。

 アーケードの隙間から見えた古いが立派な商家。

 アーケードの終るあたり、右手に「人形の店陣屋がある。陣屋は、姫路藩加古川役所として宝暦2年(1752)に建造され、参勤交代の際、加古川宿を通行する大名の接待などに使われた。明治18年には明治天皇の西国行幸の際、昼食場所として用いられたという。

 加古川橋を渡ると、高砂市へと入っていく。ここで、今日の宿までの距離を調べたら、3kmだったのでラストスパートを掛ける。

 15:30、今日一番のヒットだった、2食付き3500円の「高砂寮」に到着。

 写真で見てはいたが、やはり大きなマンションだった。まさか、これすべてが宿泊施設?

 経営者は若い感じの良いご夫婦だった。受付を済ませて聞いたら、32室を賃貸で借りて営業しているとのこと。ほとんどの利用者は長期滞在者とのこと。原則として、1グループ1戸。いずれも4部屋あり、そのすべてに、ふとんかベッドが用意されている。部屋ごとにテレビもエアコンも付いている。

 もちろん、マンションだから、台所も風呂もあるし、洗濯機もある。お陰で洗濯ができた。アメニティも浴衣累積以外はすべて揃っている。

 食堂の賄いさんと掃除の人を10人雇っているが、何とか経営ができているようだ。利用者が少ないとこまるが、幸い長期滞在者が多くて助かったいると話していた。今夜の宿泊は70人以上とのこと。

 食堂は、別の建物で、どんな料理が出るか楽しみだったが、十分満足できる内容だった。食事は夕食が500円で、朝食が300円。素泊まりは2700円とのこと。

 混む前の17:30に行ったが、そのうちに次々と労務者風の方々がつやって来た。

 これまでずいぶんと安い宿を利用してきたが、2食付きで3500円は、全国一安い宿だと思われる・・・?

 今日の歩数計 53500歩

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