今日を入れてあと3日で今回のゴールの白河まで行けそうである。そんなに無理しなくとも、あちこち寄る距離や迷ったりろうろしたりする分も含めて、実測で1日30kmほどで良さそうな気配だ。そこで、今日はのんびり歩くことにした。
朝は寒かったが、良い天気に恵まれて快適に歩くことができ、7宿を通り抜けた。
福島宿~清水町宿
5:20に宿を出て、福島宿の中心地へ向かう。福島市の市街地の道を進むと、十字路の角に福島市道路元標がある。ここは元は高札場だったとの解説がある。
その先はビル街だが、道幅は昔の街道の広さに合わせた一方通行の車道にしている。この辺りが本陣や脇本陣があったところらしい。
その先の曲がり角辺りに、街なか広場があり、その脇に本陣跡が当時の絵図で示されているというので、その広場を探したがそれらしいところはない。
その先の地下道を2回も潜っては戻って、通行人に聞いてようやく分かったのがここである。何かの工事現場になっていた。これなら分かる訳がない。30分近く無駄な時間を費やした。
商店街の両側に昔からあっような屋号のついた店や古そうな感じの店を見ながら進むと、右手に「す桝屋」という江戸時代末期からの農村向け雑貨屋の建物がある。福島市内においても今に残る老舗の代表格であると説明板に書かれている。
やがて、信夫橋に差し掛かる。橋から歩いてきた道を振り返るが、往時にはこの手前に石垣が組まれた番所があって、城下町の出入りの取り締まりをしていたそうだ。その絵も説明板に書かれていた。
右の赤い社は、柳稲荷である。1684~88年の間の荒川氾濫の祭、流れてきた稲荷の御神体が町を救ったことからここに祀られたとのことだ。
信夫橋の上から荒川の上流に見える山は、右が吾妻連峰で、左が安達太良山である。自分が登った山を季節や場所を変えて眺めるのも良いものだ。
商店街から住宅街に変わり、さらには農村地帯の旧国道歩きが続く。
分岐に案内板があり、奥州街道は右で、天正年間の1573~1593年間に伊達政宗公により開設されたと記されている。
その道は高台に続く快適な道で、そのまま共楽公園の中の遊歩道となり、その先は山中の農道となっている。さらに清水町宿の入口まで続いていた。
清水町宿~若宮宿
若宮宿の入口に崩れた土壁の屋敷があったが、往時は仙台屋という旅籠だったとか?
白壁の家もあるが、現代的な建物が並ぶ清水町宿を進む。宿場の面影はない。宿場を抜けると、急に広い旧国道となり、情緒がなくなる。
若宮宿~八丁目宿
清水町宿からわずか1.5kmで若宮宿となる。塀も建物もすべてレンガ造りの屋敷が目立っていた。
宿場を抜け、旧国道と別れると、快適な街道歩きが続く。こんな道は街道歩きの楽しみでもある。そのまま、松川事件で有名な松川町に入って行くが突然松川ニュータウンが現れる。その先は再び街道然とした道となり、八丁目宿へと入っていく。
八丁目宿~二本柳宿
八丁目宿は本陣跡も残っていて、旅籠も多く、大きな宿場だったようだ。八丁目宿の由来は境川から八丁目の所に宿場があったからと云われている。また、「酒館、青楼多し、妓娼を置き客を招き、宴にはべらしむ」との記録があるほどの歓楽街だったようだ。
宿場の入口には白壁造りの酒造がある。
その先の十字路の角のガソリンスタンドに本陣跡の標識がたっていた。それには、大名が泊まる宿と書かれている。
その先には今も営業している桝屋という旅籠や案内板だけだが旅籠若松屋もあった。大名が泊まるとお付きの家臣も泊まるので、もっとたくさんの旅籠があったのであろう。
宿場を抜けると、めがね橋と呼ばれる石組造りの橋もあった。
次の二本柳宿までの道は、細い街道然としたアップダウンのあるハイキングコースのような快適な歩きが続いた。坂を登りきるとどんな風景が広がるのかと楽しみだった。
二本柳宿~二本松宿
二本柳宿の由来は、宿場の街道に向かい合った柳の木があったことによるとのこと。
宿場の入口の曲がり角に円東寺が現れる。その隣には稲荷神社もならんでいた。境内の遅咲きのサクラがきれいだった。
宿場内の所々の家に昔の屋号が掲げられており、材木屋や問屋や鍛冶屋という屋号が現れる。
二本松宿~杉田宿
二本松宿は城下町で、戊辰戦争で戦死した二本松少年隊士で有名な所でもあり、途中には高村智恵子の生家があり、観光客も多かった。
ここは、昨夏の7月に富士山の帰りの北東北の山への途中に観光でよっている。
街道の途中の油井には、智恵子の生家がある。酒造元のお嬢さんだったようだ。この辺りには智恵子に因んだ観光地がたくさんあり、観光客も多い。
二本松宿の手前には、家具の街竹田坂があり、両側には家具屋や建具屋が並んでいる。
宿場の手前の街道は、拡張されて新しい町並みとなっている。大きなホテルかと勘違いしそうなビルは、昔からここで営業していた大七酒造株式会社だった。
その先の角を曲がると、宿場の中心地となる。老舗らしい○○屋□□店の看板を挙げた店が並ぶ。
城下町のせいか、お菓子屋がやたらと多い感じがした。
街灯に本陣跡と書かれていたので、その前の薬屋さんに入って聞いたら、パンフレットをいただいて、説明をしてくれた。
それによると、上の写真の古いお菓子屋さんの間に大手門入口があって、その両側に上(東)本陣の下(西)本陣があったそうだ。江戸時代創業を詠っている老舗のお菓子屋さんは、あとから本陣跡へ移転したきたそうだ。
大手門跡には、その土台となっていた石垣だけが残っていた。
二本松城は昨夏にじっくり回っているので今回はパス。
宿場内の中華屋さんで、ランチの野菜タンメンを食べた。とても美味しかった。そこで今夜の宿を検索した。この二本松か郡山にしかないようだ。いずれにしても、このあと杉田宿まで歩いて電車での移動しかない。二本松は観光地で土曜日なので、どこも満杯。郡山駅前のカプセルホテルが取れたので安心して、再び歩き始める。
街道から少し外れるが、二本松少年隊士が眠る大隣寺へ寄った。ちょうどシダレザクラがみごとだった。
戊辰戦争に参加し戦死した隊長と副隊長のほか12歳から17歳までの25名の少年隊士の墓。
少年隊士といえば、会津白虎隊が有名だが、ここにも悲劇の少年たちがいたのである。そんないたいげな子供たちに合掌して杉田宿を目指した。
二本松宿~杉田宿
二本松宿からの街道は旧国道の歩きとなるが、そこから別れるところに一部草地の道が残っていた。
その出口に七夜桜の歌碑と案内板があり、ちょうど見頃な花を付けていた。往時の七夜坂が消失してしまったのでこの地に立てたものだ。歌碑には藤原実方の歌が刻まれている。「七夜桜 はるばるここにきたすぎた やがて都へかへる身なれば」 元の歌碑は1826年に立てられたとのことである。八幡太郎義家や水戸光圀公もこの桜の名所に立ち寄ったと解説してある。
杉田宿は、本来北杉田宿と南杉田宿に分かれていたが、境目が分からないので、ここでは、1つにまとめた。
宿場に入っていくと、長い塀に囲まれた旧家が目を引く。名主だった市川家の屋敷だ。
14:10、気が着いたら、杉田駅前を過ぎて、宿場も抜けていた。慌てて戻って、歩いてきた宿場の様子をカメラに収めて今日のゴールとした。杉田駅から郡山へ移動。
駅から5分のところにある、まだ開業して1年も経っていない新しいキャビネットホテルワウズにチェックイン。2800円。すべてが新しくて非常に気持ちが良い。
これからもう一度風呂に入って、館内にあるレストランで遅い夕食にする。
レストランは着替えるのが面倒なので、休憩室に届けてもらえるメニューからカツ定食と晩酌セット。合計1300円。これまでで最も豪華な食事。宿代と合わせても4100円。
明日歩くつもりの宿場には宿はないが、駅はあるので、明日も電車で移動して連泊にするつもり。不要な荷物も預けて行けるし…。
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朝は寒かったが、良い天気に恵まれて快適に歩くことができ、7宿を通り抜けた。
福島宿~清水町宿
5:20に宿を出て、福島宿の中心地へ向かう。福島市の市街地の道を進むと、十字路の角に福島市道路元標がある。ここは元は高札場だったとの解説がある。
その先はビル街だが、道幅は昔の街道の広さに合わせた一方通行の車道にしている。この辺りが本陣や脇本陣があったところらしい。
その先の曲がり角辺りに、街なか広場があり、その脇に本陣跡が当時の絵図で示されているというので、その広場を探したがそれらしいところはない。
その先の地下道を2回も潜っては戻って、通行人に聞いてようやく分かったのがここである。何かの工事現場になっていた。これなら分かる訳がない。30分近く無駄な時間を費やした。
商店街の両側に昔からあっような屋号のついた店や古そうな感じの店を見ながら進むと、右手に「す桝屋」という江戸時代末期からの農村向け雑貨屋の建物がある。福島市内においても今に残る老舗の代表格であると説明板に書かれている。
やがて、信夫橋に差し掛かる。橋から歩いてきた道を振り返るが、往時にはこの手前に石垣が組まれた番所があって、城下町の出入りの取り締まりをしていたそうだ。その絵も説明板に書かれていた。
右の赤い社は、柳稲荷である。1684~88年の間の荒川氾濫の祭、流れてきた稲荷の御神体が町を救ったことからここに祀られたとのことだ。
信夫橋の上から荒川の上流に見える山は、右が吾妻連峰で、左が安達太良山である。自分が登った山を季節や場所を変えて眺めるのも良いものだ。
商店街から住宅街に変わり、さらには農村地帯の旧国道歩きが続く。
分岐に案内板があり、奥州街道は右で、天正年間の1573~1593年間に伊達政宗公により開設されたと記されている。
その道は高台に続く快適な道で、そのまま共楽公園の中の遊歩道となり、その先は山中の農道となっている。さらに清水町宿の入口まで続いていた。
清水町宿~若宮宿
若宮宿の入口に崩れた土壁の屋敷があったが、往時は仙台屋という旅籠だったとか?
白壁の家もあるが、現代的な建物が並ぶ清水町宿を進む。宿場の面影はない。宿場を抜けると、急に広い旧国道となり、情緒がなくなる。
若宮宿~八丁目宿
清水町宿からわずか1.5kmで若宮宿となる。塀も建物もすべてレンガ造りの屋敷が目立っていた。
宿場を抜け、旧国道と別れると、快適な街道歩きが続く。こんな道は街道歩きの楽しみでもある。そのまま、松川事件で有名な松川町に入って行くが突然松川ニュータウンが現れる。その先は再び街道然とした道となり、八丁目宿へと入っていく。
八丁目宿~二本柳宿
八丁目宿は本陣跡も残っていて、旅籠も多く、大きな宿場だったようだ。八丁目宿の由来は境川から八丁目の所に宿場があったからと云われている。また、「酒館、青楼多し、妓娼を置き客を招き、宴にはべらしむ」との記録があるほどの歓楽街だったようだ。
宿場の入口には白壁造りの酒造がある。
その先の十字路の角のガソリンスタンドに本陣跡の標識がたっていた。それには、大名が泊まる宿と書かれている。
その先には今も営業している桝屋という旅籠や案内板だけだが旅籠若松屋もあった。大名が泊まるとお付きの家臣も泊まるので、もっとたくさんの旅籠があったのであろう。
宿場を抜けると、めがね橋と呼ばれる石組造りの橋もあった。
次の二本柳宿までの道は、細い街道然としたアップダウンのあるハイキングコースのような快適な歩きが続いた。坂を登りきるとどんな風景が広がるのかと楽しみだった。
二本柳宿~二本松宿
二本柳宿の由来は、宿場の街道に向かい合った柳の木があったことによるとのこと。
宿場の入口の曲がり角に円東寺が現れる。その隣には稲荷神社もならんでいた。境内の遅咲きのサクラがきれいだった。
宿場内の所々の家に昔の屋号が掲げられており、材木屋や問屋や鍛冶屋という屋号が現れる。
二本松宿~杉田宿
二本松宿は城下町で、戊辰戦争で戦死した二本松少年隊士で有名な所でもあり、途中には高村智恵子の生家があり、観光客も多かった。
ここは、昨夏の7月に富士山の帰りの北東北の山への途中に観光でよっている。
街道の途中の油井には、智恵子の生家がある。酒造元のお嬢さんだったようだ。この辺りには智恵子に因んだ観光地がたくさんあり、観光客も多い。
二本松宿の手前には、家具の街竹田坂があり、両側には家具屋や建具屋が並んでいる。
宿場の手前の街道は、拡張されて新しい町並みとなっている。大きなホテルかと勘違いしそうなビルは、昔からここで営業していた大七酒造株式会社だった。
その先の角を曲がると、宿場の中心地となる。老舗らしい○○屋□□店の看板を挙げた店が並ぶ。
城下町のせいか、お菓子屋がやたらと多い感じがした。
街灯に本陣跡と書かれていたので、その前の薬屋さんに入って聞いたら、パンフレットをいただいて、説明をしてくれた。
それによると、上の写真の古いお菓子屋さんの間に大手門入口があって、その両側に上(東)本陣の下(西)本陣があったそうだ。江戸時代創業を詠っている老舗のお菓子屋さんは、あとから本陣跡へ移転したきたそうだ。
大手門跡には、その土台となっていた石垣だけが残っていた。
二本松城は昨夏にじっくり回っているので今回はパス。
宿場内の中華屋さんで、ランチの野菜タンメンを食べた。とても美味しかった。そこで今夜の宿を検索した。この二本松か郡山にしかないようだ。いずれにしても、このあと杉田宿まで歩いて電車での移動しかない。二本松は観光地で土曜日なので、どこも満杯。郡山駅前のカプセルホテルが取れたので安心して、再び歩き始める。
街道から少し外れるが、二本松少年隊士が眠る大隣寺へ寄った。ちょうどシダレザクラがみごとだった。
戊辰戦争に参加し戦死した隊長と副隊長のほか12歳から17歳までの25名の少年隊士の墓。
少年隊士といえば、会津白虎隊が有名だが、ここにも悲劇の少年たちがいたのである。そんないたいげな子供たちに合掌して杉田宿を目指した。
二本松宿~杉田宿
二本松宿からの街道は旧国道の歩きとなるが、そこから別れるところに一部草地の道が残っていた。
その出口に七夜桜の歌碑と案内板があり、ちょうど見頃な花を付けていた。往時の七夜坂が消失してしまったのでこの地に立てたものだ。歌碑には藤原実方の歌が刻まれている。「七夜桜 はるばるここにきたすぎた やがて都へかへる身なれば」 元の歌碑は1826年に立てられたとのことである。八幡太郎義家や水戸光圀公もこの桜の名所に立ち寄ったと解説してある。
杉田宿は、本来北杉田宿と南杉田宿に分かれていたが、境目が分からないので、ここでは、1つにまとめた。
宿場に入っていくと、長い塀に囲まれた旧家が目を引く。名主だった市川家の屋敷だ。
14:10、気が着いたら、杉田駅前を過ぎて、宿場も抜けていた。慌てて戻って、歩いてきた宿場の様子をカメラに収めて今日のゴールとした。杉田駅から郡山へ移動。
駅から5分のところにある、まだ開業して1年も経っていない新しいキャビネットホテルワウズにチェックイン。2800円。すべてが新しくて非常に気持ちが良い。
これからもう一度風呂に入って、館内にあるレストランで遅い夕食にする。
レストランは着替えるのが面倒なので、休憩室に届けてもらえるメニューからカツ定食と晩酌セット。合計1300円。これまでで最も豪華な食事。宿代と合わせても4100円。
明日歩くつもりの宿場には宿はないが、駅はあるので、明日も電車で移動して連泊にするつもり。不要な荷物も預けて行けるし…。
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