癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

函館山の秘境 寒川海岸探訪

2019年01月03日 | 登山・旅行

寒川海岸から南側の寒川跡方向を望む


GPSトラックログを基にしたコース図

 今日は、ご実家に帰省中の函館出身で札幌在住の若い登山愛好家で、拙著もご購入いただいているサロンさんのご希望で、函館山の秘境ともいえる寒川海岸へご案内した。

 ご実家が入舟町なので、穴澗側から穴澗神社の参拝路から登り、穴澗砲台跡の横からのいつもは登って来るワイルドなマイナーコースを下って、寒川海岸へ下りた。海岸を穴澗岬が見えるところまで往復して、寒川跡へ。そこからメジャーコースを登り返して、千畳敷コースを歩き、入江山手前から昔の軍用道路跡を下って、穴澗神社参拝路へ合流して周回した。
 海抜0㍍から登って海抜0㍍へ下り、再び函館山の稜線へ登り返して海抜0㍍へ戻るというマニアックでワイルドなコースである。雪が思っていたより深く、ラッセル部分もあったが、海岸へ下るコースは、その深い雪のお陰で怖い思いをしないで済んだ。

 9時にサロンさんの家の近くで待ち合わせ、自分の車で穴澗の行き止まり地点まで行った。
 
9:10、海岸に続くトレースを辿り、穴澗神社参拝路の登り口を目指す。


穴澗神社参拝路の登り口から、トンネルのある穴澗岬の岩場を眺める。


海岸から穴澗神社への登り口。この先にはトレースはなかったがルートははっきりしていた。


つづら折りの参拝路には階段も設えられている。眼下に海面が見える。


途中から眺める穴澗要塞跡。左上には地下要塞の多い函館山には珍しいレンガ造りの建物が見える。


穴澗神社に到着。鳥居に正月飾りが結ばれていたところを見ると、年末に登って来た人がいるのだろう。


神社の上に続く道を進むと昔の軍用道路に合流。木の幹にテープが巻かれている地点の先に海岸への下り口がある。


急な沢形地形をトラバース。3年前にあったロープや目印になるテープはことごとく撤去されていた。


非常に急で掴まる木が少ないので、持参したロープを設置して下った。
この辺りは、雪がないと最近崩落していて道がなくなっているところもあり、とても危険である。
さらに、この下にも設置されていたロープは、やはり撤去されていた。


徐々に海面が近くなってくる。(サロンさん提供)

海岸から上り下りする岩場のロープも目印もなくなっていたので、持参したロープを掛けて下り立った。
多分、誰かが危険なので利用しないでほしいという意図で、ロープやテープを撤去したものと思われる。
自分は何度も利用しているが、確かに、ここ数年崩落個所も増え、危険でお勧めできるコースではなくなっている。


海岸に下り立ち、海岸を歩いて、穴澗岬が見えるところまで進んで、折り返した。
彼女は子どもの頃に、反対側から左下に見える吊り橋の残骸の手前まで来たことがあるそうだ。


折り返して、海岸を歩き、寒川跡を目指す。岩の上に雪が被っていて、非常に歩き辛かった。


来し方を振り返る


 11:35、寒川跡に到着。先に石垣が見える。ここで15分ほど昼食タイム。


右の石碑には「寒川、鹿島神社跡」と刻まれている。

 左は、「明治二十八年(一九〇五年)富山県下新川郡宮崎村より水島竹松他数十名新天地を求めて寒川の地を移住地とした 定設者 水島政治」と刻まれている。


さらにその奥には、「我が里永遠に、不朽の里地なり」と彫られた石碑もある。

     寒川の歴史と生活(クリック!)

 ここからは、多くの人が上り下りしている稜線までのメジャーなコースがある。昨日上り下りしたと思われる痕跡があった。登り始めてすぐに単独の男性が下りて来た。さらに、少し登って行くと男女の二人連れも下りて来た。


津軽海峡の海面を背に登り返す。この海抜0㍍からほぼ直登する稜線までの登りが最も辛かった。


12:40、稜線に出る。


登山道に合流して、市街地を見下ろす。しっかりと踏みしめられた千畳敷コースを進む。



千畳敷コースから見下ろす寒川跡の海岸


入江山手前から穴澗要塞跡まで続いている軍用道路跡を下った。ここもマイナーなコースである。
誰も歩いた痕跡はなく、結構吹き溜まりもあってラッセルも深かったが、下りで助かった。
やがて、登りのトレースに合流し、14:00、無事に下山することができた。所要時間は4時間50分。


ゴール地点での記念写真(サロンさん提供)
正月早々、このような若くて可愛い女性と一緒に登れるなんて、今年も元気に過ごせそう!
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