癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

第1回捜索・1日目

2014年03月15日 | 斉藤浩敏さん行方不明関連

出発前の打ち合わせ~後ろ姿が捜索実施計画を説明する私

 斉藤さんの第1回捜索活動の1日目・・・15名の捜索隊と6人の捜索前線本部担当の参加協力によって実施された。函館ブリガンズ山岳会、函館山の会、函館マウンテンクラブ、函館山楽クラブ、函館市役所山岳会、HYML(北海道の山メーリングリスト)、拙サイトの愛読者などなど、多くの参加をいただいた。

 また、赤十字函館無線奉仕団が無線機を提供して、前線本部に基地局を設置してくださった。お陰で、それぞれの班の行動を逐一連絡を取り合うことができた。また、親族からの差し入れ、私や斉藤さんのスキー指導員仲間からの激励の差し入れも届いた。さらには、開発局の計らいで入山口の駐車スペースの除雪や、スノーモービルの団体が、明日予定の山道入口からのルートのトレース造りもして下さった・・・・多くの関係者からのご厚意に、まずはお礼を申し上げたい。

 さて、7:00に全員が揃い、私の方からこれまでの経過説明と本日の捜索活動計画の説明をして、A班7名とB班8名で、それぞれの入山口へ出発。A班は、3/11にルート工作をした三角山西側の林道から、B班は、夏道の大石の沼の西側かあら北尾根を登って稜線を目指した。ちなみに、私はB班のチーフリーダーを務めた。

 ときおり雪が降ってきたが、まあまあ好天に恵まれた。雪の深さは深いところで膝丈くらいで、稜線上はパウダースノーだった。しかし、積雪は約2m、斉藤さんが行方を絶ったころのザラメ層の上の積雪は50cmほどった。ペースが予想より速く、明日同じルートを登り直して稜線上で合流するつもりだったが、今日中にそれができてしまった。合流できたのは11:30だった。12:00まで雪を掘って積雪状態や雪の弱層テストをして、昼食タイムとした。下山したのはどちらの班も14:30ごろだった。最後の打ち合わせをして解散したのが15:00ごろ。

 今日の稜線上のルートは地図からも予想されてはいたが、斉藤さんが巻き込まれるような危険個所は全くないと言っていいほど幅広の尾根だった。しかも、570ポコでは通じないと思っていたドコモの携帯電話の電波もばっちり繋がっていた。

 今日の結果、全員の意見は、当初から危険個所の多そうな570ポコから設計山側の稜線上の方が可能性が強いということになった。そこで、明日の計画に、新しいルートを設けた。国道227号線の中山橋から稜線へ出て、設計山へ向かうA班、570ポコへ向かうB班である。C班は、計画通りのスキー班で、斉藤さんの車が発見された毛無山山道入口から毛無山を越えて、今日B班が到達した稜線までの往復を考えている。好天を祈っている・・・。

 函館新聞からの取材も受けたので、明日掲載されるかもしれない。 


本日のA班とB班の歩いたルート


大野川に架かる天板の外された桧沢橋を渡って


急斜面をトラバースして


小樽から参加してくれた北海道雪崩研究会の寺さんによる弱層テストの講習


稜線上で合流したA班とB班全員の昼食タイム