つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

缶切りがないときには

2015年04月19日 | 日記・エッセイ・コラム

今週は上京し、実家に戻って参りました。

帰りには三菱一号館美術館にも寄らせて頂きましたので、また後日ご紹介させていただきますが・・

 

もうすぐ80歳になる父は実家で一人暮らしをしています。

今回付き添った病院の検査結果がよかったので、帰りのスーパーで父に好物のホワイトアスパラの罐詰(高い方)を

ご馳走してあげることにしました。

いざ食べよう!としますと、無いのです。缶切りが。

パッカンと開くタイプでなく、缶切りを使わないと開かないタイプなので困り果て、私が缶切りを必死に探していると

父が台所にやってきて「大丈夫だよ、なっちゃん」というのです。

「大丈夫じゃないよ!缶切りないと!お父さん!」

というと。。

父は何やら徐に包丁を取り出し、スッ、スッゥと缶に切り込みを入れ出したのです。

中央からバッテンに。

そしてスプーンの先で切った先を軽くひっかけると

「ほら、逆さにして一本づつ出しな。」というのです。

ものの2分。アッという間の出来事でした。

 

 

私はなんだかとってもびっくりして、また父の技術に感動してアスパラを出し終わると食べるのも忘れて

すかさずこの写真を撮りました。

父は元大工ですので、刃物の扱いは確かにプロで昔ならこれくらいはやってのけたでしょうけれど

80歳、しかも糖尿病がひどく、歩くのはゆっくり、頭は大丈夫?と思わされることもしばしばですから

私は狐につままれたようになりました。

これだけ刃物をつかえたら、きっと誰も人殺しをしないだろう。そんな変なことも考えました。

 

食いしん坊の父を私は責め続けてきましたが、食べたい一心で缶を包丁で開ける父が何だかとっても愛おしくなり、

改めて尊敬もいたしました。

老いるってなんでしょう?どんな人も一生のうちに必ず何か大切なものを育てているのではないではないかしら?

そんな疑問がわきました。

変わり者ではありまますが、この父に学ぶこともまだまだたくさんありそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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