つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

中野弘彦展 

2015年03月17日 | おススメの展覧会、美術館訪問

京都に行こう!と決断できたのは、何必館 かひつかん で 中野弘彦展 (3月22日まで)が開催されていることを

教えてくださったお客様がいらしたからです。

東山魁夷さんのコレクションとともに、今、やはり中野弘彦の作品を見ておきたいと思いました。

ちょうど、ふる草の会の開催直前に中野作品を三点まとめて入手することができ

中野弘彦の線を、佐橋も私も以前にまして興味深く鑑賞していたところです。

 

御舟のように一瞬にして体が痺れるような感動的な線ではないのだけれど、

精神性を重んじる画家の線が、時に青くさかったり、鬱陶しく感じられたりするようなことはなく、

中野弘彦の線はどこまでも先を考え、「無」であることの限界を私たちに優しく示してくれているように

感じられて仕方ありません。愛おしい線。私はそう思います。

 

体質にあう。

ただそれだけのことなのかもしれませんが、いつか中野弘彦展を開いてみたいと佐橋と話しながら

名古屋に帰って参りました。

写真画像ではなかなかご覧になりにくい作品です。

夏までの展覧会でまたご紹介していきたいと思います。

 

※上の写真は今日携帯で撮影した桜です。

 移転をして名城小のあの見事な桜が見られなくなったと悲しんでいましたが、

 あったのです!!この泉にも。立派な早咲き桜の並木道。

 大寒桜という、名古屋市内で一番早く咲き始める種類の桜だそうです。

 今日の暖かさで満開が近づいています。また近いうちにお花見に行こうと思います。

 

 

 

 

 

 

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2 コメント

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中野弘彦 (konno)
2015-03-22 07:17:30
こんにちわ。中野弘彦といえばまだお店が丸の内2丁目にあった頃、ギャラリーにかけられていた白っぽい作品を思い出します。藤原定家、鴨長明、松尾芭蕉と日本の古典にアプローチし、その核となる部分を絵に落とし込むという作業は、元来文学として完成度の高いものを相手にしている分、難しい作業だったに違いありません。ただそこに自身の信ずるものがあったからこそ正面から向き合い煩悶しながらも、数々の透明感あふれる秀作を生み出すことができたのでしょう。
10年ほど前愛知県美術館でイギリスのベンニコルソンの展覧会を見た時、なぜか中野さんの作品を連想しました。作品の出すオーラが似ていると思ったのですが彼も新石器時代の遺跡などを見てインスピレーションを得ていたそうです。目に見えない何かを敏感に感じ取って具現化するにはやはり深い精神性(哲学)が必要になってくるのでしょう。過去の遺産に真摯に向き合い作品に結実させた、そういう意味で2人とも真に優れた芸術家といえるような気がします。
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Re:中野弘彦 (サハシナツミ)
2015-03-23 00:05:32
今回の中野弘彦展で、線ばかりでなく、中野作品の色に私たちは強く惹かれているのだと気づきました。
その印象は始めパウルクレーかと思いましたが、いやベンニコルソンだと結論に辿り着きました。
ニコルソン展で同じことをkonnnoさんがお感じになられたと知り驚きました。
文学へのアプローチは、私には少し違和感が感じられる作品がありました。
見心地が悪い?そんな感じです。

当店の初めの作品は寂寥閑居だったと思います。その後が酸漿でした。
今はみなお客様にお持ち頂いています。展覧会を必ず開きます。
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