アーティゾンミュージアムさんで、佐橋が良いと思った作品はこのレンブラントの小品です。
結局、どの美術館さんに伺っても、佐橋は「自分の店で扱いたい」と思う作品を「良い!」と思うのです。
ですから、ほとんど小品になります。
並んで作品を見ていると「良い!」の次に「欲しい!」が来て、その次に羨ましいという意味の「くそーっ」が
聞こえてきます。
言葉が大変悪く恐縮ですが、画商もコレクターさまもきっと美術館さんでは同じような
「気持ち」「言葉」を吐かれているように思います。そして、ご一緒のご家族さまに呆れられる、、
パターンはだいたい決まっています😂
画商は美術館さんにお納めするような作品を扱いたいと願いながら、お納めしてしまったら二度と
その作品を扱わせていただけないというジレンマを抱えています。
コレクターさまに作品をお持ち頂ければ、いつも良い作品を身近に感じ、
またいつかバトンタッチのお手伝いをさせていただけるチャンスが来るかもしれないのです。
佐橋も良いと思うお作品を美術館さんにお納めする機会を今迄何度か頂いています。
その作品達に会いに行く機会を増やす為の美術館さん巡りでもありますが、
どうもそうした綺麗事より、「佐橋の『くっそー』を聞くツアー」をしているように私は感じます。
見たい!と思う展覧会には「ひとりで出かける!」にかぎります(^^)v
レンブラントは何か大きな作品の一部を切り取った感じですね。しかし、小品とは思えない書き込みの凄さ。はい、私も欲しいです。これは実物を見るのが楽しみです。
私もかつてデューラーの銅版画の前で悶絶し、いやしかし銅版画だから手にどどかないこともなかろうと(浅はかにも)リサーチした結果、数千万円するということが発覚し、デュラン版という後世のレプリカ(ただしオリジナルに忠実で非常に出来の良い版)を悔し紛れに買ったことがあります。
そしてカンディンスキー。美しくどこか音楽的。今バロック習っているから余計にそんな気がします。あー、これも欲しいです。
でも、最近は買えない幸せというのもアリかなと思うようになりました。
何はともあれ、素敵な画像ありがとうございます。
最近の自己主張の強い学芸員さんの『三歩先を行ってる感』が気になっています。気持ちは分かるんだけど観賞しずらい展観がしばしばです。
ただ今回のアーティゾンさんのはルポルタージュ気分で見てしまったせいか、頭で見てしまった上に私の勉強不足もあって一概に判断しきれないものがありましたが
断簡のようなもの?
レンブラントはオランダ国外に持ち出せないのではなかったかな??
買えない幸せ
確かにあります 佐橋美術店さんに伺い
これはという作品に巡り会えなかった時
高価すぎて手が出ない時
帰りの車の中で まあそれでもよかったかあ次の機会に! と 妙に幸せな気分になります
例 春草の春の丘 御舟の桃花
「買えない幸せ」のお話、佐橋とは違った感覚かもしれませんが、私もジーンときました。
私達にもあるのです。
「売れる幸せ」と「売れない幸せ」
売れる幸せはご想像の通りですが、「売れない幸せ」はお支払い、また作品の管理というご負担をお客様におかけせずに済んだという理由によるものです。
美術品はいくらお安くなったといってもやはり高価な物で、経済的に、
またいくら納得をしてお買い物をしていただいてもご本人様やご家族さま、
法人様やそこにお勤めの皆さまに管理的なご負担をおかけするのは事実です。
画商としてはそれを飲み込んだ上で、より感謝を込めた丁寧な仕事を心がけなくてはいけないのでしょうけれど。。
私にはまだかなりあるのですね、「売れない幸せ感」
「佐橋美術店さんに伺いこれはという作品に出会えなかったとき」「高価すぎて手が出ないとき」
「それでもまた佐橋美術店に行こう!」
お客様がたにそう思っていただけましたら、売れても売れなくても、私は1番幸せです。
もちろん、売れましたら、最上級に幸せですけれど、その幸せは、売れても売れなくても幸せの幸せと
少し質が違うようにも感じています。
買えないから美術品収集は面白い
売り切れがないから画商という仕事は面白い
早寝早起きの私は、今朝、夜会化しているコメント欄を見て、そんな幸せな気持ちになりました。
ありがとうございます。