あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

無眼私論 1 「 今仆れるのは 不忠、不孝である 」

2017年04月05日 04時59分34秒 | 西田税 ・ 無眼私論


無眼私論

病間録

無眼
大正十一年三月十一日より筆をとりしも二十三日に至り白紙数なき景況となり
又 肺尖炎のため筆をとるの苦痛なるを感ずること大となりしを以て一先
づ筆を描かんとす。
遂に病には克てざるなり。 嗟呼。
大正十一年春
無眼記

新生に活きむ    雑詩
雑詩                病中愁辞
月と心              友に与ふ
( 西田税 )

窮天私記に補せしむとて     ひがみ根性
人類の現實を見よ              病みて  ( 詩 )
大正維新                         世界革命
雑詩                                病床駄語
日本亡國論                      男と女
与同志唱 ( 詩 )                 吾悲痛哲学の一端
普通選挙                         吾等の理想

題す

    * 研究中である故に誤まれる所も多からう。
    然し僕はそれを決して固守はしない。改めるに何等憚からぬのである。
思想というべきものでもない。
筆の障るところ 是れ字となり文となるといふ奴である。
一つの文でも薩張り文體をなしてない。
然しこれ丈けでは大根の切りつばしの様なもので僕の眞正なる考へが何邊にあるかがわからぬのである。
----多分そうだらうと思ふ。

今迄に僕が書きなぐつたものには大概次の様なものがある。
見なければ聯繋がないから駄目だらう。
曰く、半生回顧錄。曰く、罵声錄。曰く、祖國に訣るるの記。
曰く、無眼西田税論。曰く、劍影秘話。曰く、手錄。曰く、窮天私記。曰く、光尖
曰く、江都客遊中詩思。其他の手記所感。
病中
無眼

新生に活きむ
大正十一年二月二十二日夕、何となく不快を覺へた余は就寝の許可を得て自習室を去った。
暗い寝室の寝台に潜り込んだのが丁度夜の第二自習の開始頃である。
グラグラする様な頭の気分を押へていろいろ妄想に耽つた。・・・・・・
騒々しい跫音 あしおと に氣が附いたとき余は今迄夢を浅く辿って居たのを知つた。
其時余は多少發熱して居るのを覺へた。
間もなく消燈だと寝室の學友は云つた。
「 大分熱があるのー 」
Sは余の額に掌をあてて言った
皆はよつて來た。
そして口々に大事にせよと余に告げた。
それからウツラウツラして居るとやがて消燈の喇叭は暗を破って長く長く余の耳朶を衝いたのであつた
あくる朝、余は日朝點呼に立ち得なかつた。
身體頗る倦怠を感じ頭痛を覺へ、ハッキリした意識は殊更に余の心を悩した。
終日余は黙々として寝室に天井を眺めて暮らした。
嗟呼 余はかくして體的苦悩のために起つ能はざるに至つたのである。

診斷を受けた。
「 こりゃー----入院ぢや。右胸部の打診の音をきけ、明瞭なもんぢや 」
軍医の叫びの異様さと右胸部の打診の気味わるきひびき。
余は胸膜炎の比較的甚いのに犯されて居るのだった。
爾來四日間、余は陰惨な医務室の一隅にある休養室に籠らざるを得なかつた。
動けない。熱は平生も三十八度を超し 脈博搏は百を越して居た。

二月二十八日  入院
極度に疲労した身體をしつかりと強い意識で維持しつつ電車を半蔵門で乗りすてた。
眞青な、痩せ衰へた余の姿は電車の同乗客の眼を牽いた。
----軍服をつけた哀れな人間であつた。
病院の受附で十二番室といふことをきいて幾棟かの建物を抜けた。
病室に這入って病衣に換へ床に潜り込んだのはまるで夢の様だ。
今から考へるとそれをハッキリ思出すことが出來ない。
身體の極度の衰弱は實に誠心にも影響して居るのであつた。
夕方軍医の診斷を受けた。
三年の休養----それも巷間に生命に絶大の危険を伴つていると云ふ。
肺尖、胸膜の支障と之れに伴ふ衰弱----これは余の病を推した無理から來たのであつた。
絶對安静
これ丈けを宣告せられ更に身體は自分のものだ。
少しは之れと相談して物事をせねば駄目だといふ訓戒を頂戴した。
余は今更別に驚かなかつたが 「 駄目か知ら、永劫に沈黙すべき秋を迎へつつあるのぢやないか?」
といふことを疑つた。
余は幾度か迷つた。
前途を抛棄 ほうき せよと言はむばかりの軍医の言を繰返し繰返し思ふのだつた。
三月は來た。春は來た。窓外庭の青みは日毎に大きくなつてゆく。
余は毎日妄想に日を送つた。
熱も漸次下つた。
診斷の度に様子を尋ねたが軍医は脅しつける様なことのみ余に語つた。
----十字街道に立てる子は我ながら哀れを感じたのであつた。----迷ふた。
日曜日の友の訪れの如何に嬉しかりしよ。
學校では余の重態を伝へた相だ。
そして多くの人々の憂を生じたといふことであつた。
檢痰もやつた。
しかし何でもなかつた。
故山の老父からは 「 精神堅確に信仰に活きよ 」 と訓へて來た
----朝夕神仏に平癒を祈願して居るといふ老父の御愛情には病床人知れず泣いたのである。

ああどうしても活きねばならぬ。
忠孝の道に名をなさねばならぬ。今仆れるのは不忠であり不孝である。
余は茲に大勇猛心を起した。
そして一切の迷妄を棄てて新しく理想に活きるべく信仰の確立を思ふた。
----余には理想に基く現實の大使命がある。
一切の迷は去る。
そして茲に平生求め得來たつた信仰は再び光明を余の心に投げかけた。

旧區隊長である來島大尉、新妻中尉其他の朋友からは毎日の様に見舞と慰安との音信に接した。
余はこの好意に泣かざるを得なかつた。
「 何を以て報いやうか?」 余は再び思つた。
忠孝に活きよう。
これが凡てに対する報酬の最も高価なるものである。
----理想の表現である。
余はどうしても今仆れてはならぬといふ事を考へた。

天は余をこの試練に遭はしめたのである。
そして余はこの苦難に打克たねばならない----余は茲に於て絶大の感謝を天に捧ぐるのである。

余は静かに過去を辿つた。
平生余が探得した眞理は余自身之に対して十全の柔順をいたしたか?
哲理に對して余は十全の誠を発露したか?
理想に十全の誠を濺ぎ懸けたか?
主義は純眞なる余を認め得しめたか?
茲の間に對する余の答へはまこと十全ではない。
それは自ら認めるのである。

「 眞に哲理的合理的美的人生に活きよう 」  とは余が衷心の叫びである
而して過去はあの様である。
今度のこと----それは余の不良なる過去の終焉であつて新しき生の發程であらねばならぬ。
天は余のこの時機を寄与したものである。

新しく眞の理想的人生に活きよう。
信仰は更に確立したのである。
余は今や天心を見て居る。
庭青 いよいよ大きくなりて春は將に酣ならむとするのである。
身體の苦悩已去つて胸患獨り癒ゆるに至らず

恍然として和煕たる春光に對し三界の想華はまこと美しくも懐かしいのである。
詩的人生の新しき大道を往かむ
( 二五八二、三、一一 )

与同志
一自病臥辭塵寰心懐不滞自悠然休憂同感同士志癒來捲土遂腐塵
暁想
夜來狂風荒病軀不爲夢不覺想世紛床焦々懐
遊子吟
遊子自辭郷爾來七春秋今朝異夫病孤心臝軀擁

月と心
今宵は円かである。而して朧ろである。
水の様に淡い月の光りは茲病窓の玻璃を漏れて余の白い病衣を照らして居る
臝弱の軀に胸痛を悩むで病褥に仰臥した儘、起つことの出來ない余が今宵中宵に朧ろな月を仰ぎ
玻璃窓を
漏れて泌む水の様なその光を浴びて多感多涙な本性に立帰つた今
この胸裡の感懐は實に表はし難いのである。
訳知らず涙は頬を流れる・・・・・・熱い涙が

幾多の障碍を突破し幾多の煩悶 はんもん を打破し幾多の困苦に堪へて來た二十二年の過去
そして其変化の多かった丈に追憶も又一人の感慨を伴ふのである
ましてやこの月の色を添ふる今宵の心。
人を愛し、人を憎み 山を慕ひ 水を喜びたりし過去。
世を憂ひ 國を慨げき 熱烈の意氣に紅涙を濺ぎたりし過去。
道を求め 哲理を探り 詩的人生を想ひ 天に歸せむこと希ひたりし過去。
而して幾年の漂泊ぞ----心の漂泊は固より肉體の誉めたりし幾年放浪の旅の思出。
まこと深刻なる追憶は忘れ難く又となく慕はしいのである。

月の色は殊更に今宵物を思はせる。
ああ今宵この月を仰ぐものは獨り余のみではあるまい。
  骨肉が故山に仰ぐ月。
  知友が仰ぐ月。
  十七億の有生が仰ぐ月。
而も十億の同族が涙ににじむ今宵の月。
眞理は今宵この月に永劫の光りを投げて居るのであらう----みよこの月の色を
哲人は心理を思ひ 志士は義憤を濺ぎ 遊子は哀感に泣き 弱者は零丁を嘆かむ。

眞理を求め理想を望むで進む戰士は月に想を練るだらう。
國を憂ひ 世を泣く志士はその孤心に月を仰いで感慨に耽けるだらう。
遊子は遣る瀬なき回憶の涙に咽ぶだらう。
そして疲れたる弱者は泣くだらう。

眞理に徹し哲人を思ひ 現實に理想を望み 義憤の血潮に正義の確立を期する士が幾年流離、
孤心飄然として異端の天に月を仰いだ時 その感慨は奈邊を馳するぞ
  ----病軀仰臥して今宵の月に対する余がかかる境涯に流れ入らぬとは期せられぬのだ。

長い長い夢だ。----幻想の中に轉變した夢だ。そしてこの長い夢は覺めようとして居る。

迎月書懐
病弱臥褥復値春  今宵月輪仰朧円
欲起不能懐更悩  獨撫痩腕見天眞


時喃艱滞心不爲見眠  焦慮床中幾轉々
三更獨仰幽窓月  月隔暗雲影凄然

与同志
概世憂國幾春秋  盟誓報効一毫誠
已棄栄辱把天心  勿因環境負理想

病中愁時
笑はむか狂に--近し 泣かむ 又 愚に--近かれ 吾れ如何にせむ。
感慨の憂國の意氣寂しくも病衣臥せるなりけり。
經世の大志今果た何かせむ敗れゆく身は寂しかりけり。
眞白なる病衣悲しも装ひて敗れゆく身を唄ふなりけり。
世を人を國を民族を今は果た消ゆべき夢か其上思ふ。

潑刺の意氣に大陸の士を踏みし昔想ほゆ病中のわれ。

春なれや庭の青みに和けゆく南より來し風そよぐなり。
麗けき春の日影を窓越の病軀に浴びて庭の青みる
  終日の炊事場の煙出しを眺めて人生観を思ふ
煙の如く流れて消えてあとかたのなかるべき身の運命 さだめ に泣くを。

病床吟
幾年來濺憂國涙  平生常説尊皇道
可憾今日在病褥  何時奮起清汚世

春日在褥 ( 示楠美子 )
病弱白衣容  黙々倚牀頭
無聊見庭青  春日何遅々
( 二五八、三、一四 集録 )

友に与ふ
現時の青年學生の脳中より利己と虚榮と恋愛とを除きて残るもの何ぞ。
虚飾醜行を感ぜしめ、方言汚穢醜陋を感ぜしめ頭中些の知見を有せず
胸裡熱烈の意氣なく腹中平静不動の信念なし
堕落----堕落、眼中國家なく 人類なく 勃々たる氣運亦望むべきにあらず
以て天下を次代に託する能はず 以て國家社會----民族----人類の發展を期する能はざるなり
嗚、現時の日本青年----何ぞ思はざるの甚しきや。
方今字内人類の中に在りて最も重大なる使命を負ふものは實に汝等にあらずや。
鐵血宰相ビスマルク曰く 「 汝の青年を示せ 然らば汝の將來を卜 ぼく せむ 」 と宣なる哉言や
熱血燃ゆる意氣と乾坤を呑まむ氣概と熾烈なる忠君愛國の誠とに凝れる青年は出でずや
而して理想の大旆を掲げて天下の大道を邁進せよ
是くして初めて茲に価値ある美しき人生の輝きを認むべく
生存の意義を知るべく幽源の哲理に触るるを得べきのみ
利己と享楽----更に自覺なき生活は哲理に背くのみならず
實に自己 及 人類を滅亡せしむる因子なることを思はざるべからず。
( 二五八、三、一五 )

次頁 無眼私論 2 「クーデッタ、不浄を清めよ 」  に 続く


無眼私論 2 「クーデッタ、不淨を清めよ 」

2017年04月04日 04時56分20秒 | 西田税 ・ 無眼私論


無眼私論
西田 税

前頁 無眼私論 1 「 今仆れるのは 不忠、不孝である 」 の続き

窮天私記に補せむとて
詩と死と、
死は詩なり、
死は人生生存の終焉にして永遠に生存すべき發露なり。
-----人生の光彩は實にこの間に見るべし。
死は美し、
吾人は吾人の死をして眞に美しからざらしめるべからず。

余想う、死を美しからしむるは人生生存の眞意義なりと。
眞を見、善を表したる死は最も美し、
しかしてこは哲理に殉じて人生を行くときのみ來る。
吾人は眞に美しき死を冀わざるべからず。

眞に美しき人生の行路を辿のものは眞に美しき死を求め得べし、
要は自然の哲理に融歸するにあり。
余はかくのごとき人生を詩的人生という。
*La vie emue d'amour. La vie poetique.
sang pur-consacre.

詩とは何ぞや、
余をもってこれを言わしむれば宇宙唯一の表現は眞なるも、その眞の發する処ついに詩のみ。
しかして美しきものを詩という。

單なる感情を喜ばしむるのみならず、
 實に正しき理性を喜ばしむるものにして初めて眞の美と稱するを得べし。

吾人は美しきを求めんがためにはすべてを犠牲にするの意氣なかるべからず。
然り美しき死は人生究竟の理想なればなり。
單なる----いわゆる生と死てふ問題のごときは末のみ、
短き生も美しき死によりて無窮の価値あり、長き生も醜き死によりてその価値を無ならしむ。
要は哲理に殉じて人生を行き、
 美的死を求來する殉道者の生命は單にその年歯----霊肉倶在の----によりて短所にあらず、
すへての殉道者の生命は同一なり----永遠の未來に亙りて朽つることなきその存在は、
哲理の永却に不朽なると共に不朽なり。
何となれば哲理に融歸すればなり。
余が生存の永遠性を認むる、實にここにあり。

背天の人、悖理の人、
 これらは可能なるその永遠性をみずから抛棄せるものにしてついに生き得ざるなり。
思え、宇宙の悠遠無窮に対する人生の至瞬なるを。
吾人はここにおいてか必ず活キ得べき久遠の哲理に触れざるべからず。
人生五十、これを換言すれば誠一瞬ならずや。
背天その全行程を行くとも、究竟の醜き死を招來し、
 さらに生存の永遠性に触れ得ざれば五十また何するものぞ。

宇宙悠遠の哲理に對して無限の憧憬を有する吾人は
 今やついに死生に何らの憂倶なく何らの疑義を抱かざるなり。
天に歸らむことを思い道に入らむことを希う。
生や死や論ずるに足らざるのみ----ついに殉天の意氣あり。
幾年漂泊の心に触れたる最終の音律はまことこれなりき、この美音なりき。
「聖賢の詩的道程」
今や吾人は熱烈の意氣に現實慷慨の紅涙を濺ぎかけつつ
双の手をふるわせながら昂然として幽玄なる曲を奏でつつあるのである。

世人ややもすれば、「生きむがために」 という。
汝らの 「生く」 とは何の意ぞ、果して久遠の生命を獲得せんの意にや。

パンといい食糧といい、金という。
汝らは生きむがためにこれらを要求すというの眞意にはあらざるか、
余つねにこの聲をきき疑なきあたわざるなり。

人生は死せむがための道程なり。
人間は永遠性を求むるを終局の理想とするも
人生行路は死せんがための道程に過ぎざるなり。

人生るときすでに死を有す----死に對って進みつつあるなり。
ゆえに死せんがために進むべき行路は
その終焉たる死をして最も意義あるごとく すなわち美しからしむるがごとく進むべきなり。

眞なるものひとり美し、
しかして眞は宇宙唯一の原理なり。
眞に發して善を見る、
しかしてこの二者は一者にして共に至上の美を思わしむ。
換言すれば----眞に美なるものは眞になりまた善なり。
これを要するに
眞は本體にして動くところ善となり、これを見るところ美となるのみ、ついに一者なるに過ぎず。

人界に眞を表現するものは誠なり。

人誠なれば天に歸せるなり、道に殉ぜるなり、
しかも生存の永遠性を獲得せしなり、
この人を聖人という。
(二五八二 皇紀 三、十七)

人類の現實を見よ
現實を思う、
しかも余輩はその双肩に掛れる責任の重かつ大なる思わざるを得ず。
シカシテ余輩は殉天の理を思う。

ああ平生學ぶところ果して何ごとぞや。
知行の一致を思い、心行の不二なるを思う余輩の眞意また察すべし。

聖光まさに滅せんとして擾々たる人類、
思う、聖光は新たに人類を證明せざるべからずと。
聖光、聖光、ついにその光炎たらむことを思う。
要は誠なり、平生腹を満たし來り虚にし來りし哲理の具現あり。
ああ我らは堕落せる人類を淨化せざるべからず。
天保の昔、大塩中齋は幾年蘊の學識をもって理想具現の道に過ぎずと道破して起ちたるなり。
當今蘊蓄をもって終れりとなし、理想を具現するの道を知らず、
ついに擾々たる混亂狀態を誘起せしのみ。
海東民生の醜態を君いかに見る。
西方は自吉、不義をもって立てり、論ずるに足らざるも、ようやく暁り來れるの道程にあるごとし。

伝統の活精神今いずこにかある、
同胞よ、冀くは意をここに致せ !!
(二五八二、三、一八)

大正維新
* 参考書
罵世録
我大日本主義
我大亜細亜主義
我等ノ使命
窮天私記
時代は漸次推移して行く。
そして各種の事象はこれに從って凝固して行く。
しかもその凝固たるや概して偏頗である。
われらはつねに創造当時の意氣と理想とを保有してこの偏流を矯正匡救せねばならないのである。
見よ、明治維新以來の祖國における事象の推移を。
當時の理想は恐らく今日その片鱗をも認めることができまい。
しかも當時の狀況は今日のそれとは多少異なっていなければならぬ。
今日はより一層重大である。
一朝にして幾百年の武斷政治----しかもそれは一天萬乗の至尊を蓋い奉った臣子の専擅であった
 ----が腐敗の極に達したとき、
「國民の天皇である。天皇の民族である」 という純眞赤子の眞率なるしかも勇敢なる雄叫びに、
 幾多の志士は革命の大旆を掲げて起ったのであった。
天朝の霊妙なるそして円慈なる---實にては哲理の實現にほかならぬ
 ----明光を直ちに國民----民族の上に浴びたい、
否、浴びねばならぬ、これが實際の日本であるというのが、
當時専擅愚劣なる武斷政治を破壊して
 太古の眞日本に歸ろうとする維新志士その他一般民族の素志であったのだ。
しかして社会顚覆----眞日本の建設は成就せられたのである。
眞理はここにその聖光を放つに至った。

理想の滅却、否、すくなくも理想の惡的轉移 (取り違いもあろう) は
 浅間しい人間の群集の中では時の推移と共に生じやすい。
----これは止むを得ぬことかも知れない。
近代の日本もその例には漏れなかった。
余輩維新當時の聖的志士が建設したる眞日本を思い、現時の日本をさらに細かに正視したとき、
 この感慨は我しらずひしひしと胸を襲うたのである。
民族は當年の理想を忘却している。
そして一度その光炎を発揮した眞理も正義もことごとく今やその光を隠してしまった。
眞理の聖光をわれわれは現時の國家民族の上に認め得ないのである。
民族國家の上に眞理の聖光を望み得るのは實にわが眞日本のみである
外夷にこれを望まんと欲しても到底不可能である。
それは、外夷の辿り來った過去の道程を探り、現に進みつつあるところを正視すれば明瞭である。
余輩 「眞理の表現にあらざるものは滅ぶ」 ということを思いかつその實なることを知る。
そして外夷に無限の憎しみを寄せると共に無限の同情と哀涙を濺ぐ、
 しかもこれを匡救せねばならぬという責任を感得するのである。
しかして唯一の民であるべき日本民族およびその國家が不正不義なる外夷に壓せられ、
またみずから眞理を棄てて滅亡を誘致せんとしつつある趨勢を見るにおいて、
余輩はここに大聲叱呼 「再び國家を改革して眞日本を建設せよ」 を絶叫せざるを得ないのである。
理想を忘れた民族の醜態を見よ。
粉々、また擾々、その頽廢の氣分でどこまで背理の道を進むかわからない。
亡滅乎、亡滅乎、
自覺せよ國民。
國家は滅亡し民族は滅亡せん、さらに眞理をも滅亡の淵に導かんはわれらの望むところにあらず。

いまや現實を直視するとき、一たび明治維新の革命において建設したる
 「天皇の民族である、國民の天皇である」という理想を闡明し、
 燦然たる眞理の聖光を宇内に宣揚したる至美の眞日本はすでにすでにその一端をも留め得ずして、
 後人理想を誤り眞理を忘れ、至聖至美至親の天皇は民族國民より望み得ず、
 兩者の中間には蒙眛愚劣不正不義なる疎隔群を生ずるに至ったのである。
爲に見よ、不逞、時を得て跋扈し、非望を抱くさえ生じたるにあらずや。
國家社會は險惡なる、しかも不安な狀態にあって内患に苦悩し、
 さらに外憂に呻吟し、前途は暗澹として逆睹し難いものがあるのではないか。
いかに不明不賢、無知なものでもこれぐらいは氣が附かねばならぬ。

眞日本を再建すべき時節はまさに到來せんとす。
友よ、哲理を表現すべき眞日本を建設せよ。

國家を清新して眞正の哲理に則るにはいかにせば可なるか。
われわれは不法にして背理の施設はこれをことごとく破壊せねばならぬ
 ----そしてその上に新しい理想の國家を建てねばならぬ

「五十年」、この間におけるわが不合理的國家社會の改革
----しかもそれがすこぶる根強く深く食込んでいるこの弊害----は、
 尋常一様な温和な方法では到底不可能である。
でき得ない。
いわんやその全般を棄てて一部玓改造のごときはそれこそけだしいけない。
成就はするかもしれない、しかも決して眞理を見出すことはできないのである。

今においてはも早直接破壊のために劍でなければならぬ。
劍である、そして血でなければならぬ。
われらは劍をとって起ち血をもって濺がねばこの破壊はできない、建設はでき得ない。
神聖なる血をもってこの汚れたる國家を洗い、しかしてその上に新に眞日本を建設しなければならぬ。
しかして 「天皇の民族である、國民の天皇である」 この理想を實現しなければならぬ。
 *  Projectif
  L'Epee
  Sang sacre

ああ、
大權----神聖なる現人神の享有し給う眞理實現の本基たるべきの發動による國家の改造、
「クーデッタ」、
 われらはこれを斷行しなければ無効だと信ずるのである、----爆彈である、劍である。
 *  Coup  d'Etat

眞日本の理想に背馳するものはすべて斬らねばならぬ。
民族の理想に合わないものはすべて葬らねばならぬ。
しかして民族全體の心に堅く理想を植えねばならぬ。

これを見よ、
現時の趨勢を。
上は國政を議する廟堂の大臣より下は一卑僕に至るまで、この醜態は何だ。
主權を窺愈した元老があった。
大臣はことごとく醜陋の極をつくしている。
議會を見よ、これが眞面目な國政の審議者として批難のないものであるか。選良の名は當然か。
政黨政治----これが進歩せる立憲政治だそうだ----のざまは何だ。
教育家と稱し實業家と稱しさらに芸術家と稱する輩の心事を洞察せよ。
青年學生の風潮はどうか。
民衆の趨向はどうか。

國家の本質を思い使命を思い現實を直視しさらに周辺に眼を注いだとき、
「時局は重大である、捨てて置かれぬ」
という感じが強く余輩の心を衝く。
宰相原は十九歳の青年中岡良一に刺された。
富豪安田善次郎は朝日平吾に刺された。

さらに大正十一年三月十七日午後一時、
神聖たぐいなき皇城二重橋頭尊皇愛國の爆彈は破裂した。
清き血は流れた。至誠はついに英邁なる摂政殿下をも動かし奉ったのだ。
「輕擧かも知れぬがその純忠の精神を喜ぶ」
御辭はかくのごとく大臣ついに恐懼したのである。
上訴の願文は実に国家革新の大論文である。
殿下が御心事は決して空谷の跫音ではない、否、御眞意はここにあるのだ。
大正維新の國家改革、
革命の第一彈はすでに投ぜられた。
そして第二彈も今や投ぜられたのである。

眞理を把持し皇謨を翼賛し聖光をもって國家民族を抱擁せんとする志士は起つべきである。
志士は聖人でなければならぬ、古來の革命児はすべて聖人である。
----眞理の把持とその現實はまこと聖者でなければあたわざるところである。

そして青年----燃ゆるがごとき意氣と、眞理に対する不動の信念と、
 不屈不撓なる理想實現の努力心とを有する青年が、
 
英邁なる青年摂政殿下を奉じて眞日本を建設すべきである。
しかる後、溢るるごとき愛國の精神をもってその遠心力に乗じ、
 宇内人類に正義人道の眞髄を宣布して眞理に立脚する
大日本主義に融化せしめねばならぬ。
----世界革命を敢行するのである。
ここにわが大アジア主義を認め得るのだ。
ああ、理想を實現すべき時機は來たのである。
日本の革命は世界の革命である。
これ日本が唯一の眞理表現の國であるからである。
しかも日本革命はすでにその第一彈を投じ去ったのである。
劍である、血である、そして 「クーデッタ」 である。
「明治維新に際して聖的志士がいかに活躍したか」、
われらは眞我を視、現實を視、
 周囲を見、最後に劍と爆彈とを握って起ったとき考うることは實にこれである。

われらはこの革命の神聖なる初めの犠牲者をもって任ずるものである。

時代は移った。
明治維新の理想は再びこれをさらに大にし新たにして、
 今日大正維新に渇仰せねばならなくなったのだ。
「天皇は國民の天皇であり民族は天皇の民族である」
正義を四海に宣布する以前にわれらはまずみずからを清めねばならぬ。
眞理の道程を進まねばならぬ。
そして天皇が享有せらるる霊光を一様に國民に欲せしめねばならぬ。

國家改革 ! !
革命の大旆を押立てて進め ! !
大權の發動による憲法の停止 ! !
「クーデッタ」!!  不淨を清めよ ! !
青年日本の建設 ! !  大日本主義の確立 ! !
しかしてさらにこれを宇内人類に宣布して彼らを匡救せよ。
ああ、時は來れり、時は來れり。
君見ずや、革命第一彈はすでに投ぜられたり。

大正維新である。
余はこの不淨を清めんがためにまずみずからこの血をこれに濺ぎかけんと希うものである。
(二五八二、三、二〇)
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無眼私論 3 「 日本は亡國たらんとす 」

2017年04月03日 04時50分04秒 | 西田税 ・ 無眼私論


無眼私論
西田 税

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懐聖人
東行已法無  南洲已去無南洲
君不見擾々天下事  誰任東行南洲起、

姦類誤事政道亂  醜類構利民疾苦
歌聲高処怨聲高  狂激可起國家難、

一、
頽廢また頽廢、
無自覺な國民上下繞抱する空氣は、今や頽廢その極に達した。
腐敗の頂点に達したのである。
眞の大日本主義を理解し得ない幾多の人びとは、
一たび闡明せられすべてをこれに歸趨せしめたわれら國民の理想を再び暗黒に葬り去って、
的もなく誤った方向に國民を誘導した。

國民は誘導し去られたという愚劣さを見せた。
そしてここに未曾有の醜態を演ずるに至ったのである。
今日の日本は實に腐爛の極である。
病はすでに膏肓に入って、いかなる名医とても手の下しようのない狀況を呈しているのである。
そして彼らは共にその情況がいかなる方向に發展し、
いかなる程度まで進捗しているかということも知らない。
ああ、亡國か、亡國か。
われらはここに祖國の危機に瀕していることを絶叫せずにはいられない。
そして黙々として拱手坐していられないのだ。
われらは國民にその病の重體なることを告ぐると共に、病根を駆除し腐爛せる部分を除去し、
化膿せる部分を割きて最後の「メス」 を振るわねばならぬ。
かの明晃たる 「メス」 をもって一大手術を行わねば癒やすことができないのである。
しかして清新の気溢るる新しき日本を創造せねばならぬ。

二、
政界の堕落。
----政界の堕落はついに今日に至って極まれり矣。
見よその醜態を。
余輩思う、
日本は明治維新において政體を今日まで繼續し來ったような形式に改めたのであるが、
これは過早であったと思う。
それには種々なる理由もあらねばならぬが、しかし時代の推移、
民族の習性および當時の狀態としてはむしろ天皇専政をもってした方がよくはなかったかと思われる。
今日のごとき代議制はあるいはその當時における社會改造の行きがかり上採用せられたのであろうけれども、
余輩はむしろ進興すべく未だ隆盛の頂點に達していない間の嚮上發展的國家としては専政を可なりと信ずる。
しかもその主権權は天朝である。十全である。
代議制は第二段の改革なるべきものではあるまいか。
果然三十年にしてすでに頽廢した。
政黨は腐敗した、黨人は堕落した。
政黨内閣はすでに醜陋の極をつくして國民の前、列國の前に國家統治上の惡所を展開したのである。
彼らすでに然り、
官人黨人相伍し相次いで腐敗堕落したのは怪しむに足らぬ。
綱紀は頽廢して匡正することあたわず、公盗官に蔭れて跋扈し、
國民は歸趨に迷い社會は不安に陥り、不逞不良の徒巷間に満ち、さらに外邦との關係はいよいよ不利に、
國をあげ民族を擧っていまや混沌たる狀態に陥ったのである。
大權の委任によりて政を取り行う關係諸機關の腐敗はついにかくのごときの現情をもたらし來ったのである。
帝國議會の亡狀に飽きたるもの幾人かある。
しかも彼らを見よ。
國家を外にし國民を度外視して毫も自覺するところなく、
なおも平然として黨爭に熱中し私慾に齷齪しついに願みない有様ではないか。
現代の政治家政黨屋なるものを見よ。
しかして政府當路者の醜状をも観よ。
彼らには天朝國民に對する忠愛の観念の毫末をも認められぬ。理想もない。經論もない。

かくして日本は上下を擧げて不穏なる混沌狀態に陥った。
國民もついにこの毒潮裡に投じ去られたのである。
そして彼らは二十世紀皇國の使命たるべきアジア回興戰の盟主として
奮闘すべきすべてを抛棄し終らむとしつつあるのである。
まことに日本は眞理の表現たる天朝を戴いているのである。
外夷はどうでもいい、いやしくもその特質はこれは実に日本肇國の本質でありまた宏遠なる理想である。
日本が世界に皇道を宣布し終ったときに初めて今日の形式に移るべきではあるまいか。
----それは世界人類を一丸としてであるから、われらはこの醜態に對して例示することを好まない。
要するに今日のわが國の政界は見るも無慙な有様である。
この渦巻----混沌たる渦巻----の裡に去来する人々はついに國家と國民とを滅さんとするのである。
朋党私を挑んで國家さえもこれを彼らの毒潮渦中に導き入れんとしつつあるのである。

三、
知識階級の堕落
國民の中堅として知識と道徳と自覺との先導者たるべき彼ら
いわゆる有識階級なるものの現狀を凝視せしめ、
教育家といわず實業家といわず藝術家といわず、さらに學者といわず
いやしくも學をもって立つべく徳をもって表わるべく術をもって秀でたるべきすべての人々を通して
亡國的氣運の充満せるは明瞭である。
國家も國民も眼中にない、要するに自己の本能を満足せしめているのに過ぎないのだ。
私欲本能を満たすために彼らは君國に對する忠愛の観念なるものを毫末も保有しないのである。
芸術には國家はないかもしれぬ、學問には國境はないかも知れぬ。
しかしながら國家なくして彼らは存在し得られるとは言えないだろう。
國家社会の一分子としての相應な義務と権利とは享有しているのである、
國家あっての産物に違いないだろう。
彼らは陋劣なる自己のために國家社會を無視している。否、これを破壊し滅亡せしめようとしている。
いやしくも起って一世に名をなし、
國家社會を率い民族國民を誘導してますますその眞髄を發揮すべき責任を有するにもかかわらず、
恬として彼らは願みない、背徳の行動の多きを見よ。
彼らはかくして國家國民を惡化せしめつつあるのである。
爭って彼らに附圖する國民もないではない。
多數にある。しかも彼らは口に筆に行いに軽佻浮薄非理非道の極を盡して一般を誘惑し惡導し、
もって得々たる有様である。
良風を破壊し美俗を破壊し國家社會の風教傷然として地を揺がし民衆は思想ますます動揺し、
にわかに底止するところを知らない。
事實はこれを證明して余蘊なし。

ああ、かくして彼らもまた國家を衰頽滅亡の淵に導きつつあるのである。

四、
青年の堕落
國家民族の元氣は一に懸って青年にある、
青年の元氣は實に國家民族の運命を左右するのである。
然りしかして日本青年の現實を見よ。
青年の中堅たるべき學生はすでに堕落してしまった。
荒學遊蕩、虚榮に趨り名利を希い色薬をもって天分となすがごとき、
あるいは浮言放論、妄動亂行、これをもって得々然たるがごとき、嫋々たる軟風は學究の青年を蔽いて、
天下を思い國家を憂いこれを負って起たんとするの意氣はついに見るべからざるに至った。
青年という書生という、いまや亡國の非調を奏ずる第一人者と化し去った概がある。
都会の青年は不良性に趨き、田舎の青年はまたその剛健淳襆の氣風を棄てて軟風を喜びつつある。
農村の疲弊、----第十九世紀後におけるいわゆる産業革命、
工業發展の對象としてこの叫びは發し來られたのは事實であるけれども、
一面農村青年の風習惡化意氣衰頽に原因すること多大である。
----ついに日本の存立を弱むるのである。
全國の青年は擧げて蕩々として堕落の深淵に向って趨った。
彼らは心中、天下なく國家もなく、過去もなく將來もなし。
ただただ一つの享楽と利己とあるのみである。
國家民族を負ってつねに意氣に満ちた活躍をわれらに示し、
もってよく國家民族を危殆より脱逸せしむるは外邦の學生である。
過去幾世紀、國家民族のために事を成就するのはつねに青年である。
日本の青年は果してよくかくのごときに出で得るや否や。
吾人は多くは言わぬ、----しかし日本青年の堕落は否むことができぬ。
日本の將來は託することができぬ。
彼らは實に國家を衰頽に陥らしめつつあるのである。

五、
民衆の趨向
政界を始めあらゆる階級あらゆる社会の腐敗堕落と相伴って一般民衆はかつ迷いかつ動揺した。
そしてこれに随從せざるべからざるを強いられて滔々として惡化した。
道徳破壊  良風破壊。
すべての堕落より來った結果として一般民衆は良風を破壊した。
生活に非常な脅威を感ずるに至った。
不安となって來た。
思想はいちじるしく不良となった。
労働者と資本家との爭闘はここに生じここに進んだ。不逞浮浪の徒は野を満たした。
一般は今なお無知である。
ゆえにその言動たるや妄言であり亂動である。これが----國家はいよいよ混亂である。
民衆もこの責は負わねばならぬ。
しかし、彼らは可憐である。引きずられたのである。
速かに彼らを匡救しなければ、あるいは恐る、邦家の大患はここに発せん。
みずからみずからに火をつけて焼け死ぬるような惨事を惹起せぬとも限らぬ。
ああわれらは救わねばならぬ。
民衆は國家民族の大部を形成する。
偉大なる底力を有するものはまこと一部少數の機關にあらずして實に民衆である。
しかもこの民衆がいまや危険の深淵に臨んでいるのだ。
救濟者なくんば彼らはついに前進してこの危險を踏まねばならぬ情況におかれてあるのである。
危ないかな、七千余万の海東よ民生よ。

六、
政府當局は積年のふ弊政を堆んで今日に至った。
そして内治に外交に經濟に教育に軍事にすべての方面において失敗を繰返している。
ことに現在の政友会内閣のごときはその最たるものである。
幾多の問題は輿論を沸騰せしめた。
しかも當局者の陋穢醜劣なる、何らこれを感じないのである。
そして民心はますます不安に陥りそらに惡化し混亂状態を惹起するに至った。
野黨の無氣力なる、彼らもまた當局与黨と共に同じ穴のむじなに違いない、
結局どうすることもできないのである。
そして兩者××に議會は醜態を演じている。
上院においても然り。
爾來×等がなすところは何ぞや。
貴族と稱する一派、----皇室の藩屏----であるという裏面には
國家の煩累であるという意を物語っているではないか。
政黨政治なるものはよかろう----しかし朋黨私を營みて國家を滅すというのは眞である。
古來の事實がこれを證明する。
わが國における政界は全くそれである。
政爭----醜陋なる政爭とこれに伴随して生ずる幾多の不正事件収賄事件、公盗、
----これらが相合して上下を風靡しついに國民全部の堕落まで導き來ったのである。
似而非學者の放論、似而非君子の背徳行爲、似而非實業家の横暴、似而非藝術家の僞藝術、
これらは政爭より來る惡風と共にますます國民を誘惑し惡化せしめたのである。
然りしかしてこは果して何に原因するか。
國民の習性によることも大、環境に支配せらることも大である。
しかし一方彼らの頭にはつねに高遠なる理想がない。
理想もなく主義もない。第一考えない。
みたまえ、ゆえにせっかく再建した明治維新の理想も十年にして廢業せられたのである。
革命の聖的志士たる大西郷逝いてよりまた西郷は出なかったのだ。
----も一人の聖的革命志士たる高杉晋作はすでに歿しいいた。
わずか二人によって維持せられ來った革命である、
いかに明治初頭の改革は大なりしといえども、天なるかな、
西郷去ってついにこの業は敗れおわったのである。
後輩はその理想を繼承しなかった。知らなかった。忘れていた。
だから二十年もたたないうちに、もういわゆる鹿鳴館時代なるものを生んだのである。
すべて堕落した。----民衆は動揺し初めた。
怨嗟の声は高まった。----志士は随所に起ったのである。
爾來幾分平静に進んだ時局は、再び三十年にして第二の鹿鳴館時代を現出するに至ったのである。
今日は前より重大である。
病は三十年を經てついに膏肓に入ったのである。
君よ、冷静に國家社会の狀態を三十年前のそれと比較して見給え。
同じである、ただただ一層重大である。
混亂また混亂、櫌々の中に鋭い怨嗟の叫びが交る。
堕落また堕落、粉々の中に惨たる慷慨の叫びが交る。
そしてついに爆煙と忠血とをもって二重橋頭を染めたのである。誠に割腹以上である。
ああ亡國か興國か。
現狀をこのまま推進すれば滅亡のほかはない、ただただ時機の問題である。
しかも見よ、海外を。
いまや内憂と外患とこもごも臻った。
外憂むしろ措くべし、内患に至っては滅亡直接の主因をなす。
天朝を奉じて宇内に臨み、
人類を薫化して理想の世界を造るべき使命を有し理想を抱く日本人にして、
さらに第二十世紀は内を整頓し、
かつアジア開興の陣頭に盟主として起たねばならぬ使命を有する日本人にしてこの現實は如何。

われらはここにおいて決然として叫ばんとす、
「日本は亡國たらんとす、今日にして覺醒せずんばついに永久に滅亡のみ」 と。
そしてわれらはこの醜陋なる現實より日本を匡救して眞日本を建設せんがために
「メス」 を把って起つものである。
「メス」 である。
すべての腐敗せる汚物を掃除するために手術を決行しなければならない。
身體を清淨にせねばならない。

ああ ! !
今や 「メス」 あるのみ。
「メス」 とは何ぞや ?
爆彈と劍と、この清淨神聖な血とである。
やがて曇りは晴れて清天に円滋な哲理を含んだ、
そして一様にわれらを照らす天朝の誠光を拝むことができるのだ。
 ××××××
亡滅に瀕する祖國を直視しつつ無韻の心弦に熱涙を濺ぎかけつつ、
ひとり悲壮慷慨の曲を奏でるのである。
非調にわれ知らず眉をも黒髪をも濡らしつつ。
ああ ! ! ・・・・・
(二五八二、三、二二)

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無眼私論 4 「 女は戀するものである 」

2017年04月02日 04時46分27秒 | 西田税 ・ 無眼私論


無眼私論
西田 税

前頁 無眼私論 3 「 日本は亡國たらんとす 」 の続き

与同志唱
醜類満野奸満朝  頽廢臭気蔽全州
義憤紅涙与君濺  天侠冀相与殉道。

満朝醜史蔽天光  全州民生滔々荒
榮私趨利亡國家  享楽利己廢報効
七千余万東方民  擧國奏來亡國調
傞唯匡救第一士  天俠慨然革命叫

奸類満朝野  紊國天日隠
民生無自覺  臭氣籠全州
大弊已業深  亡國此語悲
廓清用何物  義憤紅涙繁
告君天俠誌  在把劍革命

普通選擧
私は現在の制度現在の狀態 (政界の) においては普通選挙はあまり過早ではないかと思う。
過早いな過程である。
それは一時混沌たるこの政界を改新するにはいいかも知れぬ。
----また必ず良結果を齎すだろう。
しかし結局は同じことになりはせぬかと思われる。
私はむしろこれを、天皇専政に復した後 (クーデッタを行うのである、これは私の持論だ)
國民議會として國民から若干の代表議員を選出して
國民の意志を上聞に達せしむるために設くる選擧制に使用したいのである。
そこには黨派はない、眞に多數國民の意志はここに發せられここに聞き得るのである。

現制のままにこれを施行するのは、とくに今日これを施行するのは、
中央政界においては現在の失政内閣(多数黨の)を仆すことができるだろうし、
 
一般民衆の意志は透徹するようになるかもしれない。
しかしこれからようやく從來見来った中央政界の混沌状態を踏襲せんとする各地方の狀態
(自治でも同じだろうと思われる) を考えると不安であり
またやがてもとの狀態----現在のような----を導き來るような惧れはないかという疑問がある。
普通そのものは私は大賛成である。
ただ、現狀と普選とはどうだろうかと思う。
このまま施行しても決して惡くはなく早いとも思わない。

ひがみ根性
産児制限を標榜したために上陸も講演も自由にならなかったサンガー夫人。
余は、いつもこんなことで狼狽し凝懼しそして何でもないのに
自分で大げさに志てしまう日本當局者を悲しむものである。
こんなことで騒ぐようでは、まだまだ日本は國際場裡に頭を乗出すことはできません。
日本が今日の悲境も、要するにこんなつまらない腹を持っているから招いたことであって、
我々は一層戒心することが必要と思う。

病みて
病弱の身體にはあし夜もねずてくさぐさのこと
胸に画くは
されどまたねむられぬ夜をいかにせむ病み臥せる頃の寂しき心

夜ごと夜ごと欠けてゆく月おぼろなる光よ春を
われ病ひ臥せり

どの人もどの人も皆 懐かしう思はゆるなりいたつきの身は
緒とはなくもその麗はしき高調に心ことごとこめしよ我は

病み臥せど幽玄の哲理にわが心触れしを思ふうれしかりけり
災ひなりし人は言へどもみづからは天の恩寵の厚きを誇る

共は來ずいたつきてより共は来ず心寂しく來ぬ友をまつ

日曜の夕べに
夕されば庭木の影の長う黒みて心たらはず友は來ざりし
この君よ頼むべき友のこの君と思ひしもまた心たらはず

俳五首
信仰に活きよ家父の書簡なり
十字街頭に起てり心の信仰堅し
春を病みてけり娑婆と來世と二つ見たり
月はおぼろ静かなる夜の病中の思ひ
愛人もなし戀なき人よおぼろ月

世界革命
もとより日本がその主體である。
不道義的現實世界を根底より覆して眞の道義的世界を造らねばならぬ。
正義を徹底的に世界に鼓吹せねばならぬ。
世界人類に正義と愛とを徹底せしめ眞に哲理的世界を造り出さねばならぬ。
しかもその先導は必ず日本でなければならない。
かれは唯一の道義國である。
正義と愛との國である。
彼を除いた他のすべてはことごとく不道義に立脚するもののみである。
彼らは到底みずからが革めるというようなことは不可能である。
すなわち日本はみずからの不淨を清めて眞理ま誠光に欲し、
徹底的道義國となると共に世界を革めねばならぬ重大な使命をもっているのである。
世界の革命は實に日本の革命に次ぐものであって、否、必ず同時に生起すべきものである。
----日本の革命、これやがて世界革命の初動である。
道義立國----正義と愛とは實に最高の哲理である。
(余の所信は「人心の誠」すなわち「天心」=「眞」に通ず、
しかして誠の發露は義憤にして凝って正義と愛とを生ずるというのである)、
しかもこれはどうしても國家を滅却することはできない。
道義は國家によって永久に完全に保たるるものである。

義憤は實現の最大要素である。
何となれば道義はわずかに義憤によって活き得るのみであるから。
われらは熱烈崇高なる義憤によって道義に活き道義を立て道義に殉ぜねばならぬ。
*  利己や享楽は義憤の最大敵である。
道義的世界の統一。
これわが天朝の御宏謨である。
これわれらが使命である。
そして第二十世紀----全世界を擧げて滔々として精神界の堕落に赴いた
----におけるわれらが任務は、
日本の革命と革命日本を主體とせる世界の革命とである。
われらは道義立國を欲し、徹底せる國家主義を思い、
さらに世界の道義的征服----白禍顚覆を期する。
そしてわれらが不離の友は一の義憤である。
*  「懺悔の生活」 もよんだ
光はわれらの誠の發露たる義憤と同一である。
大自然に抱かれて哲理にふれて活きようというのである。
そしてその私を棄てるための生活を「懺悔の生活」といわれるのであるらしい、これでわれらと歸一。

いまや日本は革命の時機に達した。
世界もやがて達するのである。
日本革命の第一彈はとんだ。
不義不当を惡むその巨弾は劈頭鮮血を染めて現實破壊、眞日本建設の唸りを揚げた。
腐敗せる旧日本の人びとは冷水を浴びるの感と共に、ある戰慄を禁じ得ないだろう。
上には聖天子と共に英邁なる摂政殿下があらせられる。
日本の革命はその下においてなされると共に、世界の革命もその下においてなされるのである。
まこと天朝は道義の根元である。

時期は切迫した、やがて革命の炎は日本から世界をなめつくすだろう。
われらは起つ。
----義憤に活きようとするわれらは起つ
(二五八二、三、二三)

病症駄語

三月二十三日軍医の診斷があった。
結果はよくないらしい。
そしてあまりうれしくない判決を与えられたのである。その大要は入院當初のと同じい。
余の病は輕くない。
といって、命に直接影響はしない、休養を長くせねば駄目だ、というのである。
しかしその間にどんなことが起るかそれはわからない。
五十年の人生から考えると大切な活動時期の大部分を休養のために費うのが惜しいのであるが、
人生のはかなさを考えるとそんなことは起らずに、
ただただ一瞬一瞬を生きていくのだということのみが心に起って來る考えである。
そうすれば別に惜しくもないような氣も起る。
すべて物というものは考えひとつだ。
余は先輩や同僚や後輩の諸氏から
いつも懇切なそして嬉しい見舞や激励の言葉をいただいている。
來島大尉からも 新妻中尉からも手紙で見舞と激励の言葉とが來た。
中隊長も區隊長も (幼年校時代の區隊長も) その他面識の區隊長らの訪問をも受けた。
同僚や後輩からはつねに訪問と手紙とで慰められ励まされた。
余はこれらの知遇に對しては全く感激せざるを得なかった。
嬉しきに泣いた。そして余の平生のいまだ至らなかった言動を恥じた。
これまでに余を思ってくれるのか---余はみずから平生を顧みて恥じざるを得ないのである。
あるいは
「本春は兄が病床にあるを知り同情にたえず謹慎禁欲してもっぱら兄の御全快を祈りおり候・・・・」
といい、
あるいは
「君が災はわが炎なり、天はいまやこの好士をして病に臥せしむ・・・・」
といい、
あるいは 休日ごとに病床を訪いて余の無聊を慰めてくれるもの、
手紙と訪問によって同僚および後輩諸子が余を思うの友情を寄与せらるること深厚なるには、
余たるものどうして心を動かさずにいられようぞ。
余はいつも知遇に泣いた。感激の涙は熱涙は我しらず痩せた双頬をながれたのである。
余はどうしてもこのまま土に埋れない。期待の大なれば大なるだけそこには奮闘が必要である。
余はもと一介の狂愚頑鈍児に過ぎない。
智もなく才もなく術もなく技を持たぬ。
いわんや---徳をや---それをどうして多數の期待に背かぬようにせよというのか。
ああ余たるもの自奮せねばならぬ。

ただただこの上は余が生來發露し來った余の眞意氣をますます流露せしむるのみである。
そして天朝のため國民のため父母のために極力盡瘁して忠孝の道に活くるのみが
余がすべてに對する責務である、義務である。
そして余が理想に義憤を濺ぎかけて死んだとき、
初めて余はすべてに報いることができたというものである。

まぼろしのごとくに・・・・未來が浮む。
いずれ永くない生命を今更に執着するのは愚の骨頂だ。
やがて美しく世界革命の前に日本を彩って死すべき身だ。
----つまらない人生の享楽や 「架空的の人間」、むしろこれがいいかもしれぬ。
抹消して差支えない、この男は。----

金持を見て「なりたい」と思い、政治家に心酔し、虚榮を逐い名利を希い、
さては同性を愛し異性を戀いうるような幻影的な妄想に襲われたのは已に已にむかしである。
今日の余はとにかく何も頭に響かぬ愚鈍である。容貌からしてそうだ。
( 愛ということにおいても熱烈である、しなければならぬ
----感激と義憤の混合體の一部かもしれぬけれども、
余は戀愛なるものは通り抜けたのだ。
煩悩が起らぬか?てか---
いや起るとしても現在の余としてはそんなことにかかわっていられないのだ。
たといあっても間違いを起こすようなことはしないつもりだが )

尠なくも宇宙人生に對して曲りなりにも一家見をもっているという自信だけかも知れぬが、
自身があり信仰をもった余ではないか、
私欲よりも公欲を先にせねばならぬ。
そして余は私欲に到らぬ中に公欲中に一生を終わりたいと思う。

享楽に耽るということは
すべてを滅亡に導く最大原因だとしている余に、享楽はないはずだ。
繁累は余の活動を妨碍する最大原因であるとしている余に、
家庭を持ち子孫をもつというようなことは無理ではなかろうが、
自分としては考えられないことである。
状況は刻々變化する。
理想のために奮闘する余がかえって四十七義士のごとくに、
あるいは孝道のために享楽に耽り家を持つという風な場合を生ずるやも知れぬ。
---余はこんなことは考えない、それはその時だ。
そして熱血を濺ぎかけて、
日本のために 世界のために
腐敗せる現実を破摧して新しく美しい世界を建設すべく活動しようというのだ。
障碍、困厄、危險、すべての誘惑は余に集まるだろう。
そして余もあるいは民衆に伍して社会へ
---あるいは孤影飄然として人知れぬ山野に
---あるいはさらに血の思い天涯異郷の空に
---さまよはねばならず、またきまってこんなことは生れて來るに違いないのである。
爆弾で死ぬるか劍でやるか、行き倒れるか。
執着はない、
ただただ理想に猛進あるのみだ。
××××××
永い春の日の無聊さに妄想がそれからそれへと回る回る・・・・・・、もうやめよう。
                                
(二五二八、三、二三)

男と女と

「女は戀するものである。そして男は戀せられるものである」
これが自然らしい。
近ごろ女権尊重の聲が高くなり、また女そのものが威張りだしてから
----男も次第に移ってかえって女のようになった奴が多いが----
この標語がヒックリ歸るようになった。
これが男女間のすべての問題を紛糾させる根本原因である。

女は依頼すべく男はせらるるものである。
そして女が依頼せんとするものにその全き愛を捧ぐるのに対し、
男は全力をあげてこれを庇護してやるということが必要でありかつ十分なことである。
男女同權はあり得ない。

ここに男女を混同する理由は一つもない----ただただ同じきはその愛情のみだろう。
今日のようにこんがらがってはいけない、國家は保たない。

見給え、かかあ天下の家や國が保てた例しなしだ。
男は社會的である。ここに活動の基礎がある。
れが家庭的な内的女と化し去った日にはどうじゃ?
日本の現實はこの誹りを免れ得まい。
男性的な、いかにも英傑らしい、
天下國家でも負って起とうという風な意氣な男は女から好かれる。
一心をぶち込むような戀を投げかけられる、・・・・女もまたそうなくてはならぬ。
これが眞の男たる本領である。
※ 意氣と粋とは大分違う 諸君誤るなかれ
女のように装ってめかしてそして女に惚れられよう----とかいう男や、
またこんな男ばかりを狙っている女など、
これじゃ現在の國家社會を滅ぼすのみならず全くろくな子孫ができやしない、
----日本をよくよく御覧じろ。

性じゃ愛じゃ、それ心中じゃ何じゃと騒ぎ回っている、
若い男女の群れ----にはそのほかのことは頭にはいらない、
ひどいのになると弄びものにしている手輩もあるらしい、博士もある、----性欲博士が。
またひどいのは
「社交です、運動です」 と ぬかしくさって、
夜明けまで異性相抱擁して
お互いに臭い肉體を嗅ぎまわし捻りまわしておどり狂う
いわゆる若い紳士淑女がある。
もうこのくらいまでゆくと恋愛の神聖もない、男性的もなければ女性的もない。
これが男女相抱擁して滅亡するというものじゃ。
いやこれで國家が心中の憂目に逢うというものじゃ。
大きな拳骨でもお見舞い申そうか。

「男は戀せられるべく女は戀すべきものである」
----ただしこれは乃公自作の眞理でござる。
あまり世の中が騒々しいからちょっと御紹介申し上げます。

わが悲痛哲学の一端
逢ひしより心親しく語りつゝ別れの日こむ
かなしびありき
さらばいざ別れ別れの身とはなるもまさきくあれや懐かしの友
來るべき日の來しなりきいたずらに女々しくはわれ君と別れじ
このえにし直ぐならぬ身のゆく末に何処か君と逢はざらめやは
一樹の下同じ流の縁しなれど汲みし誠の尽きざるよ君
事象は一瞬にして消えます、もう歸ってきません。
私はここにこの事象----永遠性をもたない----に對して感激の涙を濺ぎます、
哀涙を濺ぐのであります。
滅びゆくものの悲哀----これであります。
私はすべて永遠性をもたないものに對して無限の哀感に打たれるのであります。
世の中のことはほとんど皆がこれであります。
ふとしたことから君を知り私を知っていただきました。
しかし別れる日は來ます----現に來たのであります。
豫期した悲しみの來た日、
それは私にとってどれだけ心を痛ましむるか、私は言うことができません。
しかし有縁の生であります、思わぬ所でまたお目にかかることもあり得ます。
私は再び孤影悄然として放浪の旅に出かけるのであります。
そして到る処滅びゆく悲哀に感激の涙を濺ぎつつ、
みずからは永遠に活きようと努力するのであります。
御健康を祈って止みません。
(義憤は消極的にしてかくのごとき一斑をもっているのであります)
(二五八二、三、二三)

我等の理想
大日本帝國をして世界革命の急先鋒たらしむべき結構と理想とを具存せしむる事
即ち道義的世界統一を促進せしむべく選ばれたる國家としての完全を實現するといふのである
今や二十世紀は世界革命の時代たらむとしつつある
而して世界革命は第一に旧き利己主義に取つて代るに義憤を以てして
第二に近世的資本主義に對するに徹底的國家主義を以てし
第三に 白禍、アングロサクソン世界制覇に對するに革命的日本の徹底的正義貫徹を要する
而して徹底的國家主義に生くるに当つては徹底的に遂行すべき三つのものがある
一般普通徴兵、一般普通教育、一般普通選擧がそれである。

日本を主位にしたる世界革命。

心の経路
讀書に溺れ、任侠に溺れ、遂に聖賢の道を慕ふ。

至大至微至広
茫焉 ぼうえん として窮 きわま りなく漠乎として極りなきは まこと宇宙にあらずや
吾等常に地に俯し 天を仰ぎ 而して常に宇宙の窮りなき思ふ
然も爾來二十有二年 心境獲たるもの果して何ぞ、
吾等は茲に宇宙を思ひ人生を思ひ 以て一脈の哲理に触れ得たり。
一管の本理を探り得たる喜びを有す。

天の蒼々たる 地の広獏たる 人の生々たる 木石の蔟々として
地の自然界を彩れる尽く宇宙哲理の表現にあらざるなし。

天眞
宇宙間に存在する總ての物象は果たして何の爲に出來てき如何にして存在し得るか
吾等はその如何にして出來て來たかに就いては言へない。
延いて人間は何が故にその生を得たか。
何故に存在するか。
更に死とは何ぞや。
果して何の爲に何をなさねばならぬか
總て是等の問題はどうしても一度は吾々の心に起る疑問であらねばならぬ。
然り 必ず吾々が遭遇すべきものである
そして苦しむ問題である----否らざる人生は虚僞の人生である。
無益の人生である。
畢竟 ひっきょう 人生の価値は
是等の問題を適當に解釋して 之れを功に使用してゆくか否かにあるのだ。
吾等が所謂天眞とは 吾等が宇宙観より生ずる産物で
吾等が根本の原理----之れを宇宙の哲理といふ----とする所のものである。
然らば 天眞とは如何。
天の蒼漠たる。地の広くして草木の青々たる。水の清く流れゆく様。
總て宇宙の抱擁する自然 ( 精神 ) 發露に外ならぬのである。

自分の心は丁度晩秋の荒涼として涯しない曠原の中を逍遙 しょうよう つて居る旅人の様である。
頼むべき友もいない。
私を見て呉れるものもない。
冷たい夕暮の風は私の袂を吹く
食ふべきものもない
唯々一人野原の一本道を何物かを求むる如く。
何物かにある期待を持つ如くにとぼとぼと歩み續けてゆく旅人である。

然し私は決して失望も落胆もしない。
冬枯れむとする曠原にもやがて緑なす春の彩りを見る如く私の心にもある光明を認めて居るから。
私は唯々今迄私が潜心探り得た心の誠によつて進むことを知るのみである
誠なき人----光明を認めていない人の境涯は如何に安穏な平和な生活にあつても
恐らくその心裡には決して平和も安穏もないに違ひない
誠のないのは感激のないことである----即ち光明を認めないから感激もなければ誠もないのだ。
だから心は常に動揺する。從て不安を生ずる。
況んや荒涼たる寂寞の曠原に立つて唯々一人逍遥ふとき彼れ等の心は果して何処迄その平靜を保ち
その人間としての眞価値を發揮し得るだらうか。
私は蓋し思半ばに過ぐるものあるを思はざるを得ない。
寧ろこんな人間は憐れである。
私は思うた。現代の人々は果して如何かと。
殆ど大部分の人は私の憐みを寄与する様な人々ではないか。
ああ彼等が如何に装つても飾つても駄目である。
一朝の事に當つてどれだけ彼等が血迷はないかといふことが問題である。
いや 唯々それはもう時機の問題である。

國内は今や不安の巷である。
擾々の巷である。
決して安寧な幸福な平和な國ではなくなつた。
爲政者の妄動。----之等の多くの原因は凡てこれである。
彼等は尠 すくな くも國民のために爲政の道を辿らなかつたし 又 現に辿りつつありはしないのである
小我の満足----大きくとも党のためである。
そして因循姑息。維新革新の趾を認め得ない。
唯々己れの所有を固持して他の術なきが如くである。
失政を見よ。そして平生のそのやり方を見よ。議會の醜態をみよ。
實に之れが世界に対する祖宗の經論を扶翼してゆき 又 國民の良治を望むべき狀態であるか。
三大列強中の一としての日本であるか

國民の現狀。在野有志識者の現狀。
これが世界の優秀國民であるか。
お上の御意圖を彼等は實践しつつあるか。

彼等は全く我等の期待に背馳して居る。

私はあまり具體的に亙つて言ひたくない。
唯々私は軍人である。否軍人で生涯を終へなければならぬ位置にある。
然し私は本來軍人よりも寧ろ政治家を好むのである。
又 性質も後者に適して居る様だ。

私はこの現狀に對して憂憤の情 禁じ難く報効の涙に咽ぶのである。
----軍人としてではなくて一個神州の臣民として----
そして爲政の失敗を認める。
故に蓋し境遇を憶ふのである。

或時は フィヒテ を想ふ。
彼れが雄弁火の如く柏林の廢墟に立ちて愛國の激辭を發するとき。
彼は眞に偉大であつた。

或時は クレマンソー を想ふ。
彼が熱烈の如き語に愛国治民の意気を見するとき 彼 亦 一世の雄児である。

或時は議會を想ふ。
巨彈の如き舌端の鋭き。
木堂や咢堂や更に雄幸や中野正剛、永井柳太郎が振ふ熱弁。
さては山王台に芝に上野に民衆を激励する幾多の少壯志士が面影。

四十の初年兵を諄々として説き去り教へ來り
以て良民を作るといふ青年將校。----劣れるにあらず。
寧ろ眞に敬すべきのみ
唯々 吾が性との合致點を見出し得ざるのみ。

私の素志は大日本主義である。
大亜細亜主義である。
日本をして世界の宗國たらしむるにある。
神代の古へに復するにある。 要は之れである。
決して現代の如き悖道を肯しとするものではない。

腕はなる。血は躍る。
堕落せる政党政治を目撃しつつ第四十五議會を迎へ
且つは素志の一端を實現しつつ更に心の戰きを感ずるのである。

迷はぬでもない

大正十一年一月二十四日

次頁  無眼私論 5 「 真人 」  に続く


無眼私論 5 「 眞人 」

2017年04月01日 04時41分57秒 | 西田税 ・ 無眼私論


無眼私論
西田 税

前頁 無眼私論 4 「 女は戀するものである 」 の続き

新人の叫び高い今日 果して新人の意を解し得る人が幾人あらう。
私の高る新人は即ち眞人である。
實際文化進歩の今日。
哲理遂究の漸次徹底し來つた今日に於て新しき人とは眞の人生味に触れた人であらねばならぬ。
然らば 眞の人生味にふれた人とはどうであるか。
人生の行路障碍多し。
而も人生の前途には光明がある。
理想がある。
人生の理想を認め得ずして進みゆく人。
唯々現實眼前に展開する行路をのみ之れを認めて大なる前途の理想を知らざる人。
は 要するに夢生の人である。
之れを眞人と云ふ事は出來ない。
人生の理想----自己の理想に向つて猛進し得る人はまこと眞人である。
所謂自己を屈し、素志を祈つて心ならぬ生活をなす人々こそ實に人生の本義を滅却した人である。

現代、自己の所信を一貫すべく邁進する人間が果して幾人あらうか。
虚僞の人生。
私はこれを最も排斥する。
斯の如き人は決して眞の人生味に触るることは出來ぬ。
人らしい生活----これが私のいふ眞の人生である。
虚僞は人生を壊崩せしむるものである。
形ばかりの人生。内容の貧弱なそして頼りない人生は凡 まる で浮雲の様に哀しい。
あとかたのないものだ。
人生の永遠性を認める私はこんな幻影的な人生を絶對排斥します。

人生の永遠性を認めた私は又私自身即ち自己なるものに就いての眞を認めた。
私は私自身を知つています。
私は決して迷ひません。
私は私の行くべく行路を眞面目に辿ります 而し私は決して他からの妨碍を避けない。
私は精神的に活きる。----活きたいが故に凡ての障碍物を排斥します。
障碍物は境遇的に來襲します。
而も それが多くは物質的な事象のみである。

人間の多くはこの物質のために眩惑させられます。
これが虚僞に陥り易く 從て人生の永遠性を失ふ所以である。
虚僞は人生の永遠性を失ふのみならず國家社会----人間の建設する凡て----を滅亡せしめる。
私は現代を惡く言はぬ 唯。これを現實に直視するとき云ひしれぬ悲しみに打たれるのである。

西欧の文明には曾て理想といふものがなかつた。
理想といふ点に於て当方文明は西欧のそれと雲泥の差がある。
理想のない文明は空文的である。
西欧文明の心酔者は尠しく反省せられたがよからうとは誰やらの話。

俟及でも アツシリア でも 羅馬でも 希臘でも
その過去の文明に於ては決して理想といふものがなかつた
其点に就ては實際俟及に遣つて居る
ピラミッドでもスフィンクスでも何等の理想をも見出すことが出來ないことを發見する。
東方文明。----印度でも支那でも之れには確然として大なる理想を見出し得る。
ここに東方文明の偉大さを知り得る。
徒に西欧文明の尻をつけて自己そのものの眞価を知らない近頃の一部人士諸子よ。
こいねがわく は自省せよ。
況や皮相なる思想を編入してこの偉大なる歴史的文明を壊らむとする者流をや。
小學三年生時代は僕の最も大切な----いまから想ふと----時代であつた。
それを爾來の僕の性質 否 性癖とでもいはうか。習慣といふものの上に大なる變化を來したからだ。
然し それが突然生起したといふのではなく矢張り先天的の素質があつたといふことは爭はれない。

九歳の正月 僕は兄から少年世界を賜はつた。
元旦であつた僕 は一日で讀んでしまつた。
第一頁から最終の頁まで広告であらうが何であらうが盡くをみ通して終つた。
「 面白い 」 といふ感じが特別に深く印象に残つた。
實際その頃の雑誌は今日と違つて出鱈目な気分は少しもなく有益であつたもので
決して今日の様な不眞面目な却つて吾人の精神上に面白からぬ印象や影響を与へるものとは全で違つていた。
それも其日の中に讀んで終つた。
非常な感じを心に受けた僕はそれから毎日毎日裏の土蔵に這入りこんで書物を探した。
そして讀めるものは凡てよんだ。
薄暗い土蔵の中で格子窓を漏れる光線で僕は本を讀んだ。
難しい本もたくさんあつた。
小學校の讀本は簡単である。決して勉強しなければ出來ないといふ程のものではない。
僕は毎日學校がひけると本包みを投げ出して直ぐに土蔵に入り浸つた。

それから四年生を通りこして春を迎へ秋を送り僕は五年生である。
丁度その頃僕の一番大きな姉は嫁いで行った。
先方が教師をしていたので僕の家に寄宿する様になつて僕は益々喜んだ。
本が讀める。本が讀める。
僕の讀める様な本はもう土蔵にはなくなつて來た。
心細かつた僕はここに於て一段の光明を認めた譯だ。

オイケン の哲學もよんだ。カント もよんだ。
一年有半といふ面白さうな本があつたのを好奇心からよんで終つた。
僕は手あたり次第讀んだ
寄生木や思出の記などはとつくに昔によんで終つて小説類にも興味をもつ様になつた。

その頃僕の家ではよく風呂を沸した。
今では面倒だから風呂場を壊して物置にしてあるが僕の子供時代には殆ど毎日の様に沸した。
三助は無論僕であつた。
火を焚く間。湯気の立つ迄の退屈さを僕は歌で繕つた。
しまひには詩吟なるものを覺えた。
僕が一番初めに覺えて歌つた詩は月落烏鳴であつた。
それは四年生の夏だつたらうと思ふ。
それからの僕は一方に於ては非常に詩歌なるものに興味を感ずる様になつた。

自己ノ修養
体操ノ目的ト教練ノ目的
自覺、興味
嚴粛ナル軍紀
個性ト競技
教育法
細密ナル計畫準備
習技者ノ個性 ( 心、身 )
時期 ( 天候、其他 )
説明簡明
模範正確
指導者号令時期ノ態度
欠點ノ發覺ヲ速ニシ且其矯正ノ迅速ナル事
習技者ノ姿勢及實施ヲ正確ニス
運動速度ヲ既整ニス
運動間呼吸ヲ平靜に保タシム
外傷予防ノ注意。指導ノ無理。機械ノ設備。習技者ノ狀態。幇助
教官ノ位置
教官ノ場所

統帥と修養法
統帥---統帥ノ道ハ自己ノ眞的生活ノ結果ニ外ナラズ。
統御セムト欲シテ統御セムカ必ズヤ懐崩セム。
統帥トハ實ニ自己ノ眞的修養ノ贅 ムダ ニアラズシテ何ゾヤ
眞的修養トハ何ゾ
享受セル天眞 ( 之レヲ性ト云フ ) ノ流露 即チ眞ノ自我ニ覺醒シテ其僞ラザル人生行路ヲ順行シ
以テ自我ヲ天眞ノ現實ニ専心スルコト。
之レヲ眞的修養ノ眞骨頭トナス
  * 崇嚴
 三冬孤拙遺
soleil-Levevant  Solennite'
noble 高尚

大隅は逝いた。
而して今復た山県は逝いた。
彼等は共に邦家の柱石であつた。
維新の元勲であつた。
而して曾て因襲的政態を打破して古に復るべく立ち上つた日本の
----新興日本の--- 産婆役を務めた彼等は逝いたのである。
元老として内外に重きをなした彼等。
一片の至誠に生涯を貫き通した彼等。
彼等は今や溘焉として逝いたのである。
私はいろいろと黙想に耽つた。
----奇兵隊の花形たりし往年の山県狂介
----大西郷に自裁を勧告した山県監軍
----遼東の野に兵を麾いた山県大将
----百万の日東陸軍を大陸に動かした山県元帥
----政界の元首として幾年奮闘した山県公
----元老として一代の高位高官を辱けなうし 又 萬般の事を処した山県老公。
彼れは晩年あまりに振はなかつた。
元老無用論の主題ともなつた。
そして今や再び大正維新を迎へつつ逝いたのである。

----大隅八太郎。----何といふ勇ましい名だらう。
長崎時代の

中央政界に乗出したときの彼
更に征韓論投資背の彼れ
更に條約改正當時の彼れ
----私はこれを思ふに刺客來島常喜が悲壮なる事跡を思ひ出して坐ろに暗涙に咽ぶのだ。
----改進党領袖として天下の健児を唸らせた彼
----内閣の首班として奮闘した彼。
----天下の浪人としての彼。
----一萬の學児を育むべく立つた彼。
----幾万の児に擁せられて彼は遂に逝いたのである。

功罪幾何ぞ。而も私は皇室中心の彼等個人を決して
×
×
その後衛として尽く逝いた。

君よ。現實を直視せよ。
而して君はその重大なるを感ぜねばならぬ。
時局----日本を中心とした----は實に重大である。
而も日本は再び維新の時期を迎へて居るのである。

先輩は逝いてもう頼むべきでない。
----而も當時彼等は宛も吾等の如き青年であつたのだ。
新興日本----世界に絶大の寄与をなすべく重大なる責任をもつた日本は今や再び
改革新興の時期に到達したのである。
凡ては吾等青年にかかって居る。
青年日本の建設。----何たる雄々しき叫びぞ。
青年の起つべき時期は丁度今だ。
  誤つた空想的な學問に浸つているときでない
  汚ない思想に心を奪はれて居るときでない
  利己や享楽に耽るときでない
大いに奮発。國家を思ひ。民族を思ひ。更に全人類のために努力すべきである。
活用することの出來ないことは全て無益である。
今や實際に活躍せざるべからざる時期である。
先輩諸氏は吾等青年にこの重大なる時局を有する國家國民
----民族 ( アジア民族 ) ひいて全人類を任せ去つたのである。

聖上の御不例未だ快癒せらるるに至らずして愁雲大内山に漠々たるあるも
臣民としてその御全復を冀ふの一班はまこと臣民としての責を盡して
その大御心を安じ奉るにある。
況や。
英明なる  摂政殿下  在ますをや。

青年日本 !
新興日本 !
青年は起たねばならぬ
 
四月三日夜

( 入院ヨリ三月二十四日迄 )
葉書
加藤芳、中原泰、戸塚、松下、松田、三木、内藤護民、白木寛、岡本成、小山、
菊山、中村文、高木、香取、河邊、宮崎義、鎌田健三、來島大尉、末吉、
封書
父、母、弟、戸塚、新妻中尉、福泉、岡谷、平野、