あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

無眼私論 4 「 女は戀するものである 」

2017年04月02日 04時46分27秒 | 西田税 ・ 無眼私論


無眼私論
西田 税

前頁 無眼私論 3 「 日本は亡國たらんとす 」 の続き

与同志唱
醜類満野奸満朝  頽廢臭気蔽全州
義憤紅涙与君濺  天侠冀相与殉道。

満朝醜史蔽天光  全州民生滔々荒
榮私趨利亡國家  享楽利己廢報効
七千余万東方民  擧國奏來亡國調
傞唯匡救第一士  天俠慨然革命叫

奸類満朝野  紊國天日隠
民生無自覺  臭氣籠全州
大弊已業深  亡國此語悲
廓清用何物  義憤紅涙繁
告君天俠誌  在把劍革命

普通選擧
私は現在の制度現在の狀態 (政界の) においては普通選挙はあまり過早ではないかと思う。
過早いな過程である。
それは一時混沌たるこの政界を改新するにはいいかも知れぬ。
----また必ず良結果を齎すだろう。
しかし結局は同じことになりはせぬかと思われる。
私はむしろこれを、天皇専政に復した後 (クーデッタを行うのである、これは私の持論だ)
國民議會として國民から若干の代表議員を選出して
國民の意志を上聞に達せしむるために設くる選擧制に使用したいのである。
そこには黨派はない、眞に多數國民の意志はここに發せられここに聞き得るのである。

現制のままにこれを施行するのは、とくに今日これを施行するのは、
中央政界においては現在の失政内閣(多数黨の)を仆すことができるだろうし、
 
一般民衆の意志は透徹するようになるかもしれない。
しかしこれからようやく從來見来った中央政界の混沌状態を踏襲せんとする各地方の狀態
(自治でも同じだろうと思われる) を考えると不安であり
またやがてもとの狀態----現在のような----を導き來るような惧れはないかという疑問がある。
普通そのものは私は大賛成である。
ただ、現狀と普選とはどうだろうかと思う。
このまま施行しても決して惡くはなく早いとも思わない。

ひがみ根性
産児制限を標榜したために上陸も講演も自由にならなかったサンガー夫人。
余は、いつもこんなことで狼狽し凝懼しそして何でもないのに
自分で大げさに志てしまう日本當局者を悲しむものである。
こんなことで騒ぐようでは、まだまだ日本は國際場裡に頭を乗出すことはできません。
日本が今日の悲境も、要するにこんなつまらない腹を持っているから招いたことであって、
我々は一層戒心することが必要と思う。

病みて
病弱の身體にはあし夜もねずてくさぐさのこと
胸に画くは
されどまたねむられぬ夜をいかにせむ病み臥せる頃の寂しき心

夜ごと夜ごと欠けてゆく月おぼろなる光よ春を
われ病ひ臥せり

どの人もどの人も皆 懐かしう思はゆるなりいたつきの身は
緒とはなくもその麗はしき高調に心ことごとこめしよ我は

病み臥せど幽玄の哲理にわが心触れしを思ふうれしかりけり
災ひなりし人は言へどもみづからは天の恩寵の厚きを誇る

共は來ずいたつきてより共は来ず心寂しく來ぬ友をまつ

日曜の夕べに
夕されば庭木の影の長う黒みて心たらはず友は來ざりし
この君よ頼むべき友のこの君と思ひしもまた心たらはず

俳五首
信仰に活きよ家父の書簡なり
十字街頭に起てり心の信仰堅し
春を病みてけり娑婆と來世と二つ見たり
月はおぼろ静かなる夜の病中の思ひ
愛人もなし戀なき人よおぼろ月

世界革命
もとより日本がその主體である。
不道義的現實世界を根底より覆して眞の道義的世界を造らねばならぬ。
正義を徹底的に世界に鼓吹せねばならぬ。
世界人類に正義と愛とを徹底せしめ眞に哲理的世界を造り出さねばならぬ。
しかもその先導は必ず日本でなければならない。
かれは唯一の道義國である。
正義と愛との國である。
彼を除いた他のすべてはことごとく不道義に立脚するもののみである。
彼らは到底みずからが革めるというようなことは不可能である。
すなわち日本はみずからの不淨を清めて眞理ま誠光に欲し、
徹底的道義國となると共に世界を革めねばならぬ重大な使命をもっているのである。
世界の革命は實に日本の革命に次ぐものであって、否、必ず同時に生起すべきものである。
----日本の革命、これやがて世界革命の初動である。
道義立國----正義と愛とは實に最高の哲理である。
(余の所信は「人心の誠」すなわち「天心」=「眞」に通ず、
しかして誠の發露は義憤にして凝って正義と愛とを生ずるというのである)、
しかもこれはどうしても國家を滅却することはできない。
道義は國家によって永久に完全に保たるるものである。

義憤は實現の最大要素である。
何となれば道義はわずかに義憤によって活き得るのみであるから。
われらは熱烈崇高なる義憤によって道義に活き道義を立て道義に殉ぜねばならぬ。
*  利己や享楽は義憤の最大敵である。
道義的世界の統一。
これわが天朝の御宏謨である。
これわれらが使命である。
そして第二十世紀----全世界を擧げて滔々として精神界の堕落に赴いた
----におけるわれらが任務は、
日本の革命と革命日本を主體とせる世界の革命とである。
われらは道義立國を欲し、徹底せる國家主義を思い、
さらに世界の道義的征服----白禍顚覆を期する。
そしてわれらが不離の友は一の義憤である。
*  「懺悔の生活」 もよんだ
光はわれらの誠の發露たる義憤と同一である。
大自然に抱かれて哲理にふれて活きようというのである。
そしてその私を棄てるための生活を「懺悔の生活」といわれるのであるらしい、これでわれらと歸一。

いまや日本は革命の時機に達した。
世界もやがて達するのである。
日本革命の第一彈はとんだ。
不義不当を惡むその巨弾は劈頭鮮血を染めて現實破壊、眞日本建設の唸りを揚げた。
腐敗せる旧日本の人びとは冷水を浴びるの感と共に、ある戰慄を禁じ得ないだろう。
上には聖天子と共に英邁なる摂政殿下があらせられる。
日本の革命はその下においてなされると共に、世界の革命もその下においてなされるのである。
まこと天朝は道義の根元である。

時期は切迫した、やがて革命の炎は日本から世界をなめつくすだろう。
われらは起つ。
----義憤に活きようとするわれらは起つ
(二五八二、三、二三)

病症駄語

三月二十三日軍医の診斷があった。
結果はよくないらしい。
そしてあまりうれしくない判決を与えられたのである。その大要は入院當初のと同じい。
余の病は輕くない。
といって、命に直接影響はしない、休養を長くせねば駄目だ、というのである。
しかしその間にどんなことが起るかそれはわからない。
五十年の人生から考えると大切な活動時期の大部分を休養のために費うのが惜しいのであるが、
人生のはかなさを考えるとそんなことは起らずに、
ただただ一瞬一瞬を生きていくのだということのみが心に起って來る考えである。
そうすれば別に惜しくもないような氣も起る。
すべて物というものは考えひとつだ。
余は先輩や同僚や後輩の諸氏から
いつも懇切なそして嬉しい見舞や激励の言葉をいただいている。
來島大尉からも 新妻中尉からも手紙で見舞と激励の言葉とが來た。
中隊長も區隊長も (幼年校時代の區隊長も) その他面識の區隊長らの訪問をも受けた。
同僚や後輩からはつねに訪問と手紙とで慰められ励まされた。
余はこれらの知遇に對しては全く感激せざるを得なかった。
嬉しきに泣いた。そして余の平生のいまだ至らなかった言動を恥じた。
これまでに余を思ってくれるのか---余はみずから平生を顧みて恥じざるを得ないのである。
あるいは
「本春は兄が病床にあるを知り同情にたえず謹慎禁欲してもっぱら兄の御全快を祈りおり候・・・・」
といい、
あるいは
「君が災はわが炎なり、天はいまやこの好士をして病に臥せしむ・・・・」
といい、
あるいは 休日ごとに病床を訪いて余の無聊を慰めてくれるもの、
手紙と訪問によって同僚および後輩諸子が余を思うの友情を寄与せらるること深厚なるには、
余たるものどうして心を動かさずにいられようぞ。
余はいつも知遇に泣いた。感激の涙は熱涙は我しらず痩せた双頬をながれたのである。
余はどうしてもこのまま土に埋れない。期待の大なれば大なるだけそこには奮闘が必要である。
余はもと一介の狂愚頑鈍児に過ぎない。
智もなく才もなく術もなく技を持たぬ。
いわんや---徳をや---それをどうして多數の期待に背かぬようにせよというのか。
ああ余たるもの自奮せねばならぬ。

ただただこの上は余が生來發露し來った余の眞意氣をますます流露せしむるのみである。
そして天朝のため國民のため父母のために極力盡瘁して忠孝の道に活くるのみが
余がすべてに對する責務である、義務である。
そして余が理想に義憤を濺ぎかけて死んだとき、
初めて余はすべてに報いることができたというものである。

まぼろしのごとくに・・・・未來が浮む。
いずれ永くない生命を今更に執着するのは愚の骨頂だ。
やがて美しく世界革命の前に日本を彩って死すべき身だ。
----つまらない人生の享楽や 「架空的の人間」、むしろこれがいいかもしれぬ。
抹消して差支えない、この男は。----

金持を見て「なりたい」と思い、政治家に心酔し、虚榮を逐い名利を希い、
さては同性を愛し異性を戀いうるような幻影的な妄想に襲われたのは已に已にむかしである。
今日の余はとにかく何も頭に響かぬ愚鈍である。容貌からしてそうだ。
( 愛ということにおいても熱烈である、しなければならぬ
----感激と義憤の混合體の一部かもしれぬけれども、
余は戀愛なるものは通り抜けたのだ。
煩悩が起らぬか?てか---
いや起るとしても現在の余としてはそんなことにかかわっていられないのだ。
たといあっても間違いを起こすようなことはしないつもりだが )

尠なくも宇宙人生に對して曲りなりにも一家見をもっているという自信だけかも知れぬが、
自身があり信仰をもった余ではないか、
私欲よりも公欲を先にせねばならぬ。
そして余は私欲に到らぬ中に公欲中に一生を終わりたいと思う。

享楽に耽るということは
すべてを滅亡に導く最大原因だとしている余に、享楽はないはずだ。
繁累は余の活動を妨碍する最大原因であるとしている余に、
家庭を持ち子孫をもつというようなことは無理ではなかろうが、
自分としては考えられないことである。
状況は刻々變化する。
理想のために奮闘する余がかえって四十七義士のごとくに、
あるいは孝道のために享楽に耽り家を持つという風な場合を生ずるやも知れぬ。
---余はこんなことは考えない、それはその時だ。
そして熱血を濺ぎかけて、
日本のために 世界のために
腐敗せる現実を破摧して新しく美しい世界を建設すべく活動しようというのだ。
障碍、困厄、危險、すべての誘惑は余に集まるだろう。
そして余もあるいは民衆に伍して社会へ
---あるいは孤影飄然として人知れぬ山野に
---あるいはさらに血の思い天涯異郷の空に
---さまよはねばならず、またきまってこんなことは生れて來るに違いないのである。
爆弾で死ぬるか劍でやるか、行き倒れるか。
執着はない、
ただただ理想に猛進あるのみだ。
××××××
永い春の日の無聊さに妄想がそれからそれへと回る回る・・・・・・、もうやめよう。
                                
(二五二八、三、二三)

男と女と

「女は戀するものである。そして男は戀せられるものである」
これが自然らしい。
近ごろ女権尊重の聲が高くなり、また女そのものが威張りだしてから
----男も次第に移ってかえって女のようになった奴が多いが----
この標語がヒックリ歸るようになった。
これが男女間のすべての問題を紛糾させる根本原因である。

女は依頼すべく男はせらるるものである。
そして女が依頼せんとするものにその全き愛を捧ぐるのに対し、
男は全力をあげてこれを庇護してやるということが必要でありかつ十分なことである。
男女同權はあり得ない。

ここに男女を混同する理由は一つもない----ただただ同じきはその愛情のみだろう。
今日のようにこんがらがってはいけない、國家は保たない。

見給え、かかあ天下の家や國が保てた例しなしだ。
男は社會的である。ここに活動の基礎がある。
れが家庭的な内的女と化し去った日にはどうじゃ?
日本の現實はこの誹りを免れ得まい。
男性的な、いかにも英傑らしい、
天下國家でも負って起とうという風な意氣な男は女から好かれる。
一心をぶち込むような戀を投げかけられる、・・・・女もまたそうなくてはならぬ。
これが眞の男たる本領である。
※ 意氣と粋とは大分違う 諸君誤るなかれ
女のように装ってめかしてそして女に惚れられよう----とかいう男や、
またこんな男ばかりを狙っている女など、
これじゃ現在の國家社會を滅ぼすのみならず全くろくな子孫ができやしない、
----日本をよくよく御覧じろ。

性じゃ愛じゃ、それ心中じゃ何じゃと騒ぎ回っている、
若い男女の群れ----にはそのほかのことは頭にはいらない、
ひどいのになると弄びものにしている手輩もあるらしい、博士もある、----性欲博士が。
またひどいのは
「社交です、運動です」 と ぬかしくさって、
夜明けまで異性相抱擁して
お互いに臭い肉體を嗅ぎまわし捻りまわしておどり狂う
いわゆる若い紳士淑女がある。
もうこのくらいまでゆくと恋愛の神聖もない、男性的もなければ女性的もない。
これが男女相抱擁して滅亡するというものじゃ。
いやこれで國家が心中の憂目に逢うというものじゃ。
大きな拳骨でもお見舞い申そうか。

「男は戀せられるべく女は戀すべきものである」
----ただしこれは乃公自作の眞理でござる。
あまり世の中が騒々しいからちょっと御紹介申し上げます。

わが悲痛哲学の一端
逢ひしより心親しく語りつゝ別れの日こむ
かなしびありき
さらばいざ別れ別れの身とはなるもまさきくあれや懐かしの友
來るべき日の來しなりきいたずらに女々しくはわれ君と別れじ
このえにし直ぐならぬ身のゆく末に何処か君と逢はざらめやは
一樹の下同じ流の縁しなれど汲みし誠の尽きざるよ君
事象は一瞬にして消えます、もう歸ってきません。
私はここにこの事象----永遠性をもたない----に對して感激の涙を濺ぎます、
哀涙を濺ぐのであります。
滅びゆくものの悲哀----これであります。
私はすべて永遠性をもたないものに對して無限の哀感に打たれるのであります。
世の中のことはほとんど皆がこれであります。
ふとしたことから君を知り私を知っていただきました。
しかし別れる日は來ます----現に來たのであります。
豫期した悲しみの來た日、
それは私にとってどれだけ心を痛ましむるか、私は言うことができません。
しかし有縁の生であります、思わぬ所でまたお目にかかることもあり得ます。
私は再び孤影悄然として放浪の旅に出かけるのであります。
そして到る処滅びゆく悲哀に感激の涙を濺ぎつつ、
みずからは永遠に活きようと努力するのであります。
御健康を祈って止みません。
(義憤は消極的にしてかくのごとき一斑をもっているのであります)
(二五八二、三、二三)

我等の理想
大日本帝國をして世界革命の急先鋒たらしむべき結構と理想とを具存せしむる事
即ち道義的世界統一を促進せしむべく選ばれたる國家としての完全を實現するといふのである
今や二十世紀は世界革命の時代たらむとしつつある
而して世界革命は第一に旧き利己主義に取つて代るに義憤を以てして
第二に近世的資本主義に對するに徹底的國家主義を以てし
第三に 白禍、アングロサクソン世界制覇に對するに革命的日本の徹底的正義貫徹を要する
而して徹底的國家主義に生くるに当つては徹底的に遂行すべき三つのものがある
一般普通徴兵、一般普通教育、一般普通選擧がそれである。

日本を主位にしたる世界革命。

心の経路
讀書に溺れ、任侠に溺れ、遂に聖賢の道を慕ふ。

至大至微至広
茫焉 ぼうえん として窮 きわま りなく漠乎として極りなきは まこと宇宙にあらずや
吾等常に地に俯し 天を仰ぎ 而して常に宇宙の窮りなき思ふ
然も爾來二十有二年 心境獲たるもの果して何ぞ、
吾等は茲に宇宙を思ひ人生を思ひ 以て一脈の哲理に触れ得たり。
一管の本理を探り得たる喜びを有す。

天の蒼々たる 地の広獏たる 人の生々たる 木石の蔟々として
地の自然界を彩れる尽く宇宙哲理の表現にあらざるなし。

天眞
宇宙間に存在する總ての物象は果たして何の爲に出來てき如何にして存在し得るか
吾等はその如何にして出來て來たかに就いては言へない。
延いて人間は何が故にその生を得たか。
何故に存在するか。
更に死とは何ぞや。
果して何の爲に何をなさねばならぬか
總て是等の問題はどうしても一度は吾々の心に起る疑問であらねばならぬ。
然り 必ず吾々が遭遇すべきものである
そして苦しむ問題である----否らざる人生は虚僞の人生である。
無益の人生である。
畢竟 ひっきょう 人生の価値は
是等の問題を適當に解釋して 之れを功に使用してゆくか否かにあるのだ。
吾等が所謂天眞とは 吾等が宇宙観より生ずる産物で
吾等が根本の原理----之れを宇宙の哲理といふ----とする所のものである。
然らば 天眞とは如何。
天の蒼漠たる。地の広くして草木の青々たる。水の清く流れゆく様。
總て宇宙の抱擁する自然 ( 精神 ) 發露に外ならぬのである。

自分の心は丁度晩秋の荒涼として涯しない曠原の中を逍遙 しょうよう つて居る旅人の様である。
頼むべき友もいない。
私を見て呉れるものもない。
冷たい夕暮の風は私の袂を吹く
食ふべきものもない
唯々一人野原の一本道を何物かを求むる如く。
何物かにある期待を持つ如くにとぼとぼと歩み續けてゆく旅人である。

然し私は決して失望も落胆もしない。
冬枯れむとする曠原にもやがて緑なす春の彩りを見る如く私の心にもある光明を認めて居るから。
私は唯々今迄私が潜心探り得た心の誠によつて進むことを知るのみである
誠なき人----光明を認めていない人の境涯は如何に安穏な平和な生活にあつても
恐らくその心裡には決して平和も安穏もないに違ひない
誠のないのは感激のないことである----即ち光明を認めないから感激もなければ誠もないのだ。
だから心は常に動揺する。從て不安を生ずる。
況んや荒涼たる寂寞の曠原に立つて唯々一人逍遥ふとき彼れ等の心は果して何処迄その平靜を保ち
その人間としての眞価値を發揮し得るだらうか。
私は蓋し思半ばに過ぐるものあるを思はざるを得ない。
寧ろこんな人間は憐れである。
私は思うた。現代の人々は果して如何かと。
殆ど大部分の人は私の憐みを寄与する様な人々ではないか。
ああ彼等が如何に装つても飾つても駄目である。
一朝の事に當つてどれだけ彼等が血迷はないかといふことが問題である。
いや 唯々それはもう時機の問題である。

國内は今や不安の巷である。
擾々の巷である。
決して安寧な幸福な平和な國ではなくなつた。
爲政者の妄動。----之等の多くの原因は凡てこれである。
彼等は尠 すくな くも國民のために爲政の道を辿らなかつたし 又 現に辿りつつありはしないのである
小我の満足----大きくとも党のためである。
そして因循姑息。維新革新の趾を認め得ない。
唯々己れの所有を固持して他の術なきが如くである。
失政を見よ。そして平生のそのやり方を見よ。議會の醜態をみよ。
實に之れが世界に対する祖宗の經論を扶翼してゆき 又 國民の良治を望むべき狀態であるか。
三大列強中の一としての日本であるか

國民の現狀。在野有志識者の現狀。
これが世界の優秀國民であるか。
お上の御意圖を彼等は實践しつつあるか。

彼等は全く我等の期待に背馳して居る。

私はあまり具體的に亙つて言ひたくない。
唯々私は軍人である。否軍人で生涯を終へなければならぬ位置にある。
然し私は本來軍人よりも寧ろ政治家を好むのである。
又 性質も後者に適して居る様だ。

私はこの現狀に對して憂憤の情 禁じ難く報効の涙に咽ぶのである。
----軍人としてではなくて一個神州の臣民として----
そして爲政の失敗を認める。
故に蓋し境遇を憶ふのである。

或時は フィヒテ を想ふ。
彼れが雄弁火の如く柏林の廢墟に立ちて愛國の激辭を發するとき。
彼は眞に偉大であつた。

或時は クレマンソー を想ふ。
彼が熱烈の如き語に愛国治民の意気を見するとき 彼 亦 一世の雄児である。

或時は議會を想ふ。
巨彈の如き舌端の鋭き。
木堂や咢堂や更に雄幸や中野正剛、永井柳太郎が振ふ熱弁。
さては山王台に芝に上野に民衆を激励する幾多の少壯志士が面影。

四十の初年兵を諄々として説き去り教へ來り
以て良民を作るといふ青年將校。----劣れるにあらず。
寧ろ眞に敬すべきのみ
唯々 吾が性との合致點を見出し得ざるのみ。

私の素志は大日本主義である。
大亜細亜主義である。
日本をして世界の宗國たらしむるにある。
神代の古へに復するにある。 要は之れである。
決して現代の如き悖道を肯しとするものではない。

腕はなる。血は躍る。
堕落せる政党政治を目撃しつつ第四十五議會を迎へ
且つは素志の一端を實現しつつ更に心の戰きを感ずるのである。

迷はぬでもない

大正十一年一月二十四日

次頁  無眼私論 5 「 真人 」  に続く