あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

無眼私論 1 「 今仆れるのは 不忠、不孝である 」

2017年04月05日 04時59分34秒 | 西田税 ・ 無眼私論


無眼私論

病間録

無眼
大正十一年三月十一日より筆をとりしも二十三日に至り白紙数なき景況となり
又 肺尖炎のため筆をとるの苦痛なるを感ずること大となりしを以て一先
づ筆を描かんとす。
遂に病には克てざるなり。 嗟呼。
大正十一年春
無眼記

新生に活きむ    雑詩
雑詩                病中愁辞
月と心              友に与ふ
( 西田税 )

窮天私記に補せしむとて     ひがみ根性
人類の現實を見よ              病みて  ( 詩 )
大正維新                         世界革命
雑詩                                病床駄語
日本亡國論                      男と女
与同志唱 ( 詩 )                 吾悲痛哲学の一端
普通選挙                         吾等の理想

題す

    * 研究中である故に誤まれる所も多からう。
    然し僕はそれを決して固守はしない。改めるに何等憚からぬのである。
思想というべきものでもない。
筆の障るところ 是れ字となり文となるといふ奴である。
一つの文でも薩張り文體をなしてない。
然しこれ丈けでは大根の切りつばしの様なもので僕の眞正なる考へが何邊にあるかがわからぬのである。
----多分そうだらうと思ふ。

今迄に僕が書きなぐつたものには大概次の様なものがある。
見なければ聯繋がないから駄目だらう。
曰く、半生回顧錄。曰く、罵声錄。曰く、祖國に訣るるの記。
曰く、無眼西田税論。曰く、劍影秘話。曰く、手錄。曰く、窮天私記。曰く、光尖
曰く、江都客遊中詩思。其他の手記所感。
病中
無眼

新生に活きむ
大正十一年二月二十二日夕、何となく不快を覺へた余は就寝の許可を得て自習室を去った。
暗い寝室の寝台に潜り込んだのが丁度夜の第二自習の開始頃である。
グラグラする様な頭の気分を押へていろいろ妄想に耽つた。・・・・・・
騒々しい跫音 あしおと に氣が附いたとき余は今迄夢を浅く辿って居たのを知つた。
其時余は多少發熱して居るのを覺へた。
間もなく消燈だと寝室の學友は云つた。
「 大分熱があるのー 」
Sは余の額に掌をあてて言った
皆はよつて來た。
そして口々に大事にせよと余に告げた。
それからウツラウツラして居るとやがて消燈の喇叭は暗を破って長く長く余の耳朶を衝いたのであつた
あくる朝、余は日朝點呼に立ち得なかつた。
身體頗る倦怠を感じ頭痛を覺へ、ハッキリした意識は殊更に余の心を悩した。
終日余は黙々として寝室に天井を眺めて暮らした。
嗟呼 余はかくして體的苦悩のために起つ能はざるに至つたのである。

診斷を受けた。
「 こりゃー----入院ぢや。右胸部の打診の音をきけ、明瞭なもんぢや 」
軍医の叫びの異様さと右胸部の打診の気味わるきひびき。
余は胸膜炎の比較的甚いのに犯されて居るのだった。
爾來四日間、余は陰惨な医務室の一隅にある休養室に籠らざるを得なかつた。
動けない。熱は平生も三十八度を超し 脈博搏は百を越して居た。

二月二十八日  入院
極度に疲労した身體をしつかりと強い意識で維持しつつ電車を半蔵門で乗りすてた。
眞青な、痩せ衰へた余の姿は電車の同乗客の眼を牽いた。
----軍服をつけた哀れな人間であつた。
病院の受附で十二番室といふことをきいて幾棟かの建物を抜けた。
病室に這入って病衣に換へ床に潜り込んだのはまるで夢の様だ。
今から考へるとそれをハッキリ思出すことが出來ない。
身體の極度の衰弱は實に誠心にも影響して居るのであつた。
夕方軍医の診斷を受けた。
三年の休養----それも巷間に生命に絶大の危険を伴つていると云ふ。
肺尖、胸膜の支障と之れに伴ふ衰弱----これは余の病を推した無理から來たのであつた。
絶對安静
これ丈けを宣告せられ更に身體は自分のものだ。
少しは之れと相談して物事をせねば駄目だといふ訓戒を頂戴した。
余は今更別に驚かなかつたが 「 駄目か知ら、永劫に沈黙すべき秋を迎へつつあるのぢやないか?」
といふことを疑つた。
余は幾度か迷つた。
前途を抛棄 ほうき せよと言はむばかりの軍医の言を繰返し繰返し思ふのだつた。
三月は來た。春は來た。窓外庭の青みは日毎に大きくなつてゆく。
余は毎日妄想に日を送つた。
熱も漸次下つた。
診斷の度に様子を尋ねたが軍医は脅しつける様なことのみ余に語つた。
----十字街道に立てる子は我ながら哀れを感じたのであつた。----迷ふた。
日曜日の友の訪れの如何に嬉しかりしよ。
學校では余の重態を伝へた相だ。
そして多くの人々の憂を生じたといふことであつた。
檢痰もやつた。
しかし何でもなかつた。
故山の老父からは 「 精神堅確に信仰に活きよ 」 と訓へて來た
----朝夕神仏に平癒を祈願して居るといふ老父の御愛情には病床人知れず泣いたのである。

ああどうしても活きねばならぬ。
忠孝の道に名をなさねばならぬ。今仆れるのは不忠であり不孝である。
余は茲に大勇猛心を起した。
そして一切の迷妄を棄てて新しく理想に活きるべく信仰の確立を思ふた。
----余には理想に基く現實の大使命がある。
一切の迷は去る。
そして茲に平生求め得來たつた信仰は再び光明を余の心に投げかけた。

旧區隊長である來島大尉、新妻中尉其他の朋友からは毎日の様に見舞と慰安との音信に接した。
余はこの好意に泣かざるを得なかつた。
「 何を以て報いやうか?」 余は再び思つた。
忠孝に活きよう。
これが凡てに対する報酬の最も高価なるものである。
----理想の表現である。
余はどうしても今仆れてはならぬといふ事を考へた。

天は余をこの試練に遭はしめたのである。
そして余はこの苦難に打克たねばならない----余は茲に於て絶大の感謝を天に捧ぐるのである。

余は静かに過去を辿つた。
平生余が探得した眞理は余自身之に対して十全の柔順をいたしたか?
哲理に對して余は十全の誠を発露したか?
理想に十全の誠を濺ぎ懸けたか?
主義は純眞なる余を認め得しめたか?
茲の間に對する余の答へはまこと十全ではない。
それは自ら認めるのである。

「 眞に哲理的合理的美的人生に活きよう 」  とは余が衷心の叫びである
而して過去はあの様である。
今度のこと----それは余の不良なる過去の終焉であつて新しき生の發程であらねばならぬ。
天は余のこの時機を寄与したものである。

新しく眞の理想的人生に活きよう。
信仰は更に確立したのである。
余は今や天心を見て居る。
庭青 いよいよ大きくなりて春は將に酣ならむとするのである。
身體の苦悩已去つて胸患獨り癒ゆるに至らず

恍然として和煕たる春光に對し三界の想華はまこと美しくも懐かしいのである。
詩的人生の新しき大道を往かむ
( 二五八二、三、一一 )

与同志
一自病臥辭塵寰心懐不滞自悠然休憂同感同士志癒來捲土遂腐塵
暁想
夜來狂風荒病軀不爲夢不覺想世紛床焦々懐
遊子吟
遊子自辭郷爾來七春秋今朝異夫病孤心臝軀擁

月と心
今宵は円かである。而して朧ろである。
水の様に淡い月の光りは茲病窓の玻璃を漏れて余の白い病衣を照らして居る
臝弱の軀に胸痛を悩むで病褥に仰臥した儘、起つことの出來ない余が今宵中宵に朧ろな月を仰ぎ
玻璃窓を
漏れて泌む水の様なその光を浴びて多感多涙な本性に立帰つた今
この胸裡の感懐は實に表はし難いのである。
訳知らず涙は頬を流れる・・・・・・熱い涙が

幾多の障碍を突破し幾多の煩悶 はんもん を打破し幾多の困苦に堪へて來た二十二年の過去
そして其変化の多かった丈に追憶も又一人の感慨を伴ふのである
ましてやこの月の色を添ふる今宵の心。
人を愛し、人を憎み 山を慕ひ 水を喜びたりし過去。
世を憂ひ 國を慨げき 熱烈の意氣に紅涙を濺ぎたりし過去。
道を求め 哲理を探り 詩的人生を想ひ 天に歸せむこと希ひたりし過去。
而して幾年の漂泊ぞ----心の漂泊は固より肉體の誉めたりし幾年放浪の旅の思出。
まこと深刻なる追憶は忘れ難く又となく慕はしいのである。

月の色は殊更に今宵物を思はせる。
ああ今宵この月を仰ぐものは獨り余のみではあるまい。
  骨肉が故山に仰ぐ月。
  知友が仰ぐ月。
  十七億の有生が仰ぐ月。
而も十億の同族が涙ににじむ今宵の月。
眞理は今宵この月に永劫の光りを投げて居るのであらう----みよこの月の色を
哲人は心理を思ひ 志士は義憤を濺ぎ 遊子は哀感に泣き 弱者は零丁を嘆かむ。

眞理を求め理想を望むで進む戰士は月に想を練るだらう。
國を憂ひ 世を泣く志士はその孤心に月を仰いで感慨に耽けるだらう。
遊子は遣る瀬なき回憶の涙に咽ぶだらう。
そして疲れたる弱者は泣くだらう。

眞理に徹し哲人を思ひ 現實に理想を望み 義憤の血潮に正義の確立を期する士が幾年流離、
孤心飄然として異端の天に月を仰いだ時 その感慨は奈邊を馳するぞ
  ----病軀仰臥して今宵の月に対する余がかかる境涯に流れ入らぬとは期せられぬのだ。

長い長い夢だ。----幻想の中に轉變した夢だ。そしてこの長い夢は覺めようとして居る。

迎月書懐
病弱臥褥復値春  今宵月輪仰朧円
欲起不能懐更悩  獨撫痩腕見天眞


時喃艱滞心不爲見眠  焦慮床中幾轉々
三更獨仰幽窓月  月隔暗雲影凄然

与同志
概世憂國幾春秋  盟誓報効一毫誠
已棄栄辱把天心  勿因環境負理想

病中愁時
笑はむか狂に--近し 泣かむ 又 愚に--近かれ 吾れ如何にせむ。
感慨の憂國の意氣寂しくも病衣臥せるなりけり。
經世の大志今果た何かせむ敗れゆく身は寂しかりけり。
眞白なる病衣悲しも装ひて敗れゆく身を唄ふなりけり。
世を人を國を民族を今は果た消ゆべき夢か其上思ふ。

潑刺の意氣に大陸の士を踏みし昔想ほゆ病中のわれ。

春なれや庭の青みに和けゆく南より來し風そよぐなり。
麗けき春の日影を窓越の病軀に浴びて庭の青みる
  終日の炊事場の煙出しを眺めて人生観を思ふ
煙の如く流れて消えてあとかたのなかるべき身の運命 さだめ に泣くを。

病床吟
幾年來濺憂國涙  平生常説尊皇道
可憾今日在病褥  何時奮起清汚世

春日在褥 ( 示楠美子 )
病弱白衣容  黙々倚牀頭
無聊見庭青  春日何遅々
( 二五八、三、一四 集録 )

友に与ふ
現時の青年學生の脳中より利己と虚榮と恋愛とを除きて残るもの何ぞ。
虚飾醜行を感ぜしめ、方言汚穢醜陋を感ぜしめ頭中些の知見を有せず
胸裡熱烈の意氣なく腹中平静不動の信念なし
堕落----堕落、眼中國家なく 人類なく 勃々たる氣運亦望むべきにあらず
以て天下を次代に託する能はず 以て國家社會----民族----人類の發展を期する能はざるなり
嗚、現時の日本青年----何ぞ思はざるの甚しきや。
方今字内人類の中に在りて最も重大なる使命を負ふものは實に汝等にあらずや。
鐵血宰相ビスマルク曰く 「 汝の青年を示せ 然らば汝の將來を卜 ぼく せむ 」 と宣なる哉言や
熱血燃ゆる意氣と乾坤を呑まむ氣概と熾烈なる忠君愛國の誠とに凝れる青年は出でずや
而して理想の大旆を掲げて天下の大道を邁進せよ
是くして初めて茲に価値ある美しき人生の輝きを認むべく
生存の意義を知るべく幽源の哲理に触るるを得べきのみ
利己と享楽----更に自覺なき生活は哲理に背くのみならず
實に自己 及 人類を滅亡せしむる因子なることを思はざるべからず。
( 二五八、三、一五 )

次頁 無眼私論 2 「クーデッタ、不浄を清めよ 」  に 続く


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