あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

統帥權と帷幄上奏

2021年10月10日 14時54分15秒 | ロンドン條約問題

統帥權と帷幄上奏
( 金子 子爵 陳述 )

統帥權と帷幄上奏
浜口首相は議会に於て
兵力量即定備兵額に付ては軍部の意見を斟酌しんしゃくして
政府に於て之を決定したり
と 答弁したり 
其論拠とする所は
或る学者が当時頻りに昌道する所説
即ち
憲法第十一條は天皇は大元帥として陸海の軍を統帥する
ものにして
同第十二條は天皇は陸海軍の編成及び常備兵額を定む
と あれども
是は国務にして政府に於て定むべきもの
との説に左右せられたるが如し
是れ全く憲法の精神を誤解したるより生じたる議論なり
 草案
今 玆に明治二十一年憲法制定当時の事情と記録に依り之を説明せん
憲法の原案には
第十二條  天皇は陸海軍を統帥す
                陸海軍の編制は勅令を以て之を定む
とありたるが
同二十一年六月二十二日の枢密院の御前会議に於て
大山陸軍大臣発議し 山形内務大臣賛成し
「 勅令 」 を修正して 「 勅裁 」 とする動議を提出せられたり
其理由は
旧来陸海軍の編成に関しては
勅裁を以て定めらるるものと
勅令を以て定めらるるもの
との二種あり故に
若し一概に勅令を以て定むるものとすれば彼是扞挌して 現行の取扱上に意外の変更を来すべしと
尚ほ其旨趣を敷衍すれば勅令は内閣に於て自由に之を決定することを得るものなれども
陸海軍の編制に至りては天皇の大権に属し 帷幄上奏案の親裁に依り定むべきものなり
決して普通の勅令の如く政府に於て自由に決定すること能はざるものなり
加之当時井上書記官長が本條起草の旨趣を説明したる所に依れば
第十二條は第一項第二項に分割したれども均しく天皇の大権に属するものなりと
而して此修正案は可決せられて憲法全体と共に議定せられたり
然れども国家の大典を鄭重にする為め 更に内閣の再調査に付せられ
黒田総理大臣は勅令を奉して已むを得ざる修正を加へ
上奏裁可を得て同二十二年一月十六日 再び枢密院の審査会議を開かれ
陛下臨御ありて伊藤議長は左の修正案を朗読す
第十一條    天皇は陸海軍を統帥す
第十二條    天皇は陸海軍の編制を定む
此の二條は前の第十二條
を別条に分割して
「 陸海軍の編制は勅裁を以て之を定む 」
とありしを
「 天皇は陸海軍の編制
を定む 」
と 修正して陸海軍の編制に関する天皇の大権を明確に列記したるものなり
然れども其旨趣に於ては少しも差異軽重あることなし
況んや 陸海軍の編制に付ては
当初より政府に於て決定するが如き意味は毫も論及せられたることなし
此会議に於て内閣より提出したる修正案は異議なく決定せられたれども
伊東議長は尚ほ深思熟考し 同二十二年一月二十九日 更に会議を開き左の宣言をなしたり
憲法再度の修正案は過日既に議決を経たけれども 未だ上奏せず
よく憲法を制定するは国家の為に容易ならざる大事たり
最も慎重にせざるべからず 則ち既に再応の審議を経て決定したる案を取て之を洋文に翻訳し
又 内見を許されたる法律専門家の学者にも示して 更に研究を尽したるに尚ほ不備の点あることを発見したり
今若し単に会議の式に拘泥して之を不問に置かば後日に向つて勅定の憲法に瑕瑾かきんを胎するものなり
依て重て修正の案を提出す
憲法に一たび発布せられたる上は固より多少の議論は免れざるべし
唯不用意にして欠点を胎すが如きは慎て 之を避けざるべからず
憲法は他の法律と同じからず
一国の表面に顕はるる所にして 最も学者の論議を容れ易し
其学説は反射して国民の上に大なる影響を及ぼすべく戦々兢々たらざるべからず
即ち玆に再議を煩わずらはさんとする所以にして 又憲法制定の事を鄭重にする所以なり
よりて再議の諸修正案を可決したる後 議長は左の修正案を朗読せり

第十二條  天皇は陸海軍の編制及び常備兵額を定む
議長其理由を説明して曰く
常備兵額は編制中に包含せざるが為め之を明記して後日の争議を絶つの意なり
現に英国の如きは其の兵額を毎年議するの例なり
本邦に於ては之を天皇の大権に帰して国会に其権を与へざるの意なり
故に明に之を本条に示す
仍て本條は異議なく可決せられたり
是に依て之を見れば日本憲法は
陸海軍の編制及び常備兵額 即ち兵力量の決定は
明かに天皇の大権に属して
政府に於て決定するものにあらざることを確定せり
是れ神武天皇以来の国体にして万世に渉り変換せらるべきものにあらざるなり
然るに源頼朝が幕府を鎌倉に創設して兵馬の権を占有せし以来
7百年間天皇の大権は幕府に移りて徳川氏の末期に至る
是れ勤皇の公卿諸侯士民が王政復古を絶叫し終に明治の維新に於て日本の国体を恢復し
天皇の大権を再び皇室に帰せしめ
次て明治二十二年二月十一日の紀元節に憲法発布の聖代を見るに至りたり
是を以て我帝国の憲法は
彼の欧州君主国に於て人民が君主に迫りて憲法を制定せしめたるものと同一に論ずべきものにあらざるなり
余が明治二十三年官命を奉じ 欧米立憲国の制度を視察したる時
英国オックスフォード大学に於て憲法学の泰斗たいとダイセー、アンソンの両教授と会合し
日本憲法を論議したる時 彼両人は第十一條 第十二條の如き規定は日本の如き歴史ある国に於て
こう斯く帝王の兵馬の大権を完全に確定することを得たるなりとて賞讃したり
英国オックスフォード大学憲法教授 「 ダイセー 」 の意見
君主政体を永く維持せんと欲せば 帝王の大権をして強大ならしめざるを得ず
同大学憲法教授 「 アンソン 」 の意見
日本国憲法の精神は天皇の大権をして悉く天皇に帰せしめ 君主をして万機を統宰せしむるに在り
是れ独逸 英国の憲法の精神も亦 此の主義より外ならざるなり
さて 陸海軍に関する天皇の大権は玆其原則確定し
其実施遂行の機関として参謀本部、海軍軍令部、軍事参議院制定せられたり
今其規定に依れば参謀本部は国防及用兵の事を掌り
参謀総長は天皇に直隷して帷幄の軍務に参画し 国防及用兵に関する計画を掌る
又 軍令部は国防及用兵の事を掌り
軍令部長は天皇に直隷して帷幄機務に参ず
又 軍事参議院は帷幄の下に在りて 重要軍務の諮問に応ずとあり
是に依て 之を見れば
国防及用兵の軍務は天皇の直轄する所にして 国務と分割画定せられたり
尚ほ之を詳かに説明すれば
天皇の大権の下に国家重要の機関二つあり
一つは 国務輔弼の内閣にして
他の一つは 国防用兵を掌る参謀本部、海軍軍令部なり
此の二つの機関が両立対峙したる結果、
或は軍部は国防及用兵の事を計画し 帷幄上奏に依り親裁を経たる後
之を内閣総理大臣に移牒し 其遂行を要求する場合ありて
内閣と衝突し終に内閣と軍部との確執を惹起するやも計り難し
是を以て海軍大臣武官制度を設け 軍人たる大臣は常に参謀総長 軍令部長と強調し
軍事の機務に付ては意見の一致を得て帷幄上奏をなす慣例を実行し来りたり
是れ文武のニ機関が分立対峙したるにも係らず 円満協調して軍務を遂行することは
泰西立憲君主国に見ることは能はざる良慣例なり
今 其例証は数多くあれども 尤も重要なるものを挙ぐれば

明治四十年二月一日 山県元帥の伏奏により
参謀総長 軍令部長が国防方針、所要兵力の件を策案して上奏し
同時に
「 国防方針は政策に関係あるを以て総理大臣に御下問審議せしめられ
尚ほ所要兵力の件を之を閲覧せしめられ度 」
旨を上奏したり依て
西園寺総理大臣は聖旨を奉し 審議して
国防の完成は国家必要の事なれば財源に鑒かんがみて 之が遂行に努めんと覆奏したり
於是 陛下は山県、大山、野津、伊藤の元帥に御諮詢しじゅんありて
其奉答の後 親裁あらせられ
侍従武官長を以て其旨を総長及部長 竝に 陸海軍大臣に伝達せしめられたり

又 大正七年五月国防方針補修、国防に要する兵力改定に関する件は参謀総長 及 軍令部長に於て策定し
陸海軍大臣と協議し 陸海軍の元帥に内示して総長 及 部長より上奏し
且つ口頭を以て
「 帝国の国防方針、補修は
政策に密接の関係を有するを以て
内閣総理大臣に御下問ありて審議せしめられ度
尚ほ 国防に要する兵力は総理大臣に閲覧せしめられ度 」
と 上奏したり
依て寺内総理大臣は聖旨を奉し 審議して覆奏す
是 陛下は元帥府に御諮問あり
其覆奏の後 総長及部長を召し裁可あらせられて
其旨を総理大臣に御沙汰あり
又 陸海軍大臣に伝達せしめられたり

又 大正十一年十二月 国防方針、国防に要する兵力及用兵綱領に関する改定の件は
参謀総長及軍令部長に於て策案し 陸海軍大臣と協議し 陸海軍の元帥に内示して
総長及軍令部長より上奏し 
且つ
「 元帥府に御諮問、国防方針は内閣総理大臣に御下問、
審議せしめられ、兵力改定は総理大臣に閲覧せしめられ度 」
と 上奏したり
於是 陛下は元帥府に御諮問ありて其覆奏の後 加藤総理大臣 ( 友三郎 ) に 御下問あり
又 閲覧せしめらる
而して総理大臣覆奏の後 総長及部長を召して裁可あらせられ
其旨を総理大臣に御沙汰あり
又 総長及部長より 陸海軍大臣に移牒す

是に依て之を見れば
国防及兵力量に関する件は参謀総長及軍令部長に於て策案し
帷幄上奏に依り親裁を仰ぐを常例とす
然れども其政策に関するものは総長及部長の上奏により 総理大臣に御下問 又は閲覧を命ぜられ
其覆奏ありたる後 陛下に於て親裁あらせらるること数十年来の慣例にして
未だ曾て政府に於て兵力量を決定したることなく
若し之れありとせば 憲法の精神に背き 又 天皇の大権を干犯するものと断定せざるを得ざるなり

是れ明治二十三年の憲法実施以来の慣例にして
内閣と軍部の間に於て未だ曾て扞挌衝突したることなかりしが
偶々今年の特別議会に於て浜口総理大臣が議員の質問に倫敦条約に調印したる兵力量は
「 軍部の意見を斟酌しんしゃくし 政府に於て決定したり 」
と 答弁したることにより 端なく議論喧囂、終に天皇大権の干犯問題を惹起するに至りたり
是れ全く 浜口総理大臣が憲法制定当時の事実と憲法の精神を知らざるの致す所なり
然るに其後 六月に至り海軍の参議官会議に於て
「 海軍兵力に関する事項は従来の慣行に依り 之を処理すべく
此の場合に於ては海軍大臣 軍令部長 間に意見一致しあるべきものとす 」
と決議し 上奏裁可を得て海軍大臣より 内閣総理大臣に通知したり
於是 浜口総理大臣は議会に於ける態度 及 答弁を一変し 枢密院に於て委員の質問に対し
「 兵力量の決定に付ては軍令部長の同意を得たり 」
と 強弁して 参議官会議の決定に齟齬せざる様努めたり
然るに意見の斟酌と同意とは其意味に於て大なる差異あることを質問せられたるに対しては
不得要領の答弁をなし
又 然らば何が故に議会に於て斟酌と云はず 軍令部長の同意を得たりと答弁せざるかと詰問せらるれば
同意を得たりと答弁せば軍機に関するが故に之を避けたり と曖昧なる答弁をなしたり
あわし 浜口首相が議会と枢密院との答弁に於て善後矛盾したることは何人も疑はざる所にして
是れ 全く浜口首相が大権干犯の罪を惧おそれたるに依るならん
今 仮りに 軍令部長の同意を得たりとしても政府は兵力量を決定する機能なきことは
憲法第十二條 及 軍令部条例の正文に明記せられたり
而して 其規定 及 従来の慣例に依れば
兵力量に関する件は部長の帷幄上奏に依り
陛下の御親裁ありたる後
内閣総理大臣に御沙汰ありて
政府に於て決定すべきものにあらざるなり

昭和五年九月十七日 葉山に於て
金子堅太郎識

現代史資料 5  国家主義運動 2  から

参考資料

大日本帝国憲法

1~8条                             6~10条                           11~18条

19~26条                         27~32条                          33~40条


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