あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

朝日新聞社襲撃 ・緒方竹虎

2019年09月16日 10時18分47秒 | 栗原部隊

日劇前の布陣
二 ・二六事件当時の想い出話はよく聞かれることだが、
事件後に聞くと色々その気配はあったらしいが、実は我々は全然予感を持たなかった。
ところが当日朝、社会部にいた磯部記者が朝早く 七時頃僕の所に電話をかけて来て、
今暁 軍のクーデターがあって、高橋蔵相、斎藤内大臣、岡田総理等が殺された。
戒厳令が出るかも知れぬから、すぐ来てくださいという。
その時の僕の受けた衝撃は、五 ・一五の時より小さかった。
五 ・一五の時は白昼に総理官邸で総理大臣が銃殺されたということを聞いた時は、
これはえらいことが起こったと思った。
いくらかこういう事件に馴らされていたのだろう。
自動車が来て、新聞社に行ったが、
憲兵司令部の前なんか交通止めで自動車が通れないためにずっと神田の南の方を迂回して社に行った。
行ってすぐ僕は、当時主筆であったが、編集局長室に入って編集幹部と話をしていると、
そこへ何か兵隊が外で非常な大声でがたがたやっているというので、
ベランダに出てみると、日劇の前で円陣を作って、
日比谷の方に銃口を向けて伏射の姿勢をしている。
八時五十分だったと記憶する。
これは何か市街戦が始まって朝日新聞を守ってくれるのじゃないかという気がした。
すると社の守衛の一人が飛んでやって来て、
今、下に反乱軍の将校がやって来て 代表とここで会見したいといっている。
どうしましょうかという。
僕が代表者だから、僕が会おうということになり、同時に大阪に電話をかけた気がする。
「 こういうことで残念だが、これが最後の電話になるかも知れぬ 」
というようなことを大阪側に対していった。はっきりは憶えはないが・・・・。
それからエレベーターで下りて行こうとすると鳥越君が追っかけて来て、大丈夫ですかという。
大丈夫だといって下りて行った。
下りて行くと、エレベーターを出たすぐ前の一段低くなった所に、一人の青年将校が立っている。
目が血走って疲れたような恰好。
右手にピストルを持ち、左に紙を持っている。
僕は初め 前述の磯部君の電話で社に呼び出された時に、
社へ来るまでの自動車の中で
新聞社にもし反乱軍が来て何か書かせようというのなら拒絶しなければならない。
新聞社を破壊するというのなら人命だけは何とか保護せねばならぬ。
しかし出会い頭に やられれば しようがないじゃないか
というようなことを考えておったのであるが、
目の前に立った将校は手に書類を持っているので、
これは何か新聞に宣言書でも強要するのかと思った。
ピストルが危ないから、なるべく身体を近接させた方が無事だと思って、
ほとんど顔がつく位に立って名刺を出して、僕が代表者のこういうものだといった。

朝日につけつけた銃口
そうすると、その若い将校は ひよっと目をそらしてしまって、物をいわないのだ。
僕がそういった時に、ちょっと何というか、会釈したような感じがしたので、
これは大丈夫だなというように感じたことを記憶している。
これを新聞に載せてくれというのかとも予期して行ったところが、そういうこともいわない。
その間に非常に長い沈黙が続いたような気がするが、恐らく十秒か二十秒だろう。
すると急にピストルを上に向けて国賊朝日新聞を叩き壊すのだと叫んだ。
それで射ったかと思ったが、弾が出ない。
そこでちょっと待ってくれ、中には女も子供もいる。
そういうものを一応出すから、待ってくれ、といって、三階に上って行くと、
久野印刷局長や鳥越君が死んだ者が上がって来るとでも思ったか、
びっくりした顔をして、よかったよかったと寄って来た。
それから皆一応近くのニュー・グランドに退避させようじゃないか、
怪我しても詰らぬから、なるべく慌てぬように急がぬように
ニュー・グランドに一つ退避してくれということにして、
大阪にも電話をかけ、こうこうこういう訳だと報告して、
それで社員一同は外へ出てしまった。
僕の部屋は四階にあったが、一番後から僕が下りようとすると、剣付鉄砲の兵隊が上がって来た。
その間を抜けて面に出たが、表は静かだった。
ところが、暫く玄関に立って中の様子を見ている内に 三々五々兵隊が社内から外へ出て来る。
この調子では大したことはないと思っていると、やがてその連中はトラックに乗って行ってしまった。
それから早速僕は社の階段を駈けあがって見ると、電話の机の上に蹶起趣意書が貼りつけてあった。

あとで聞いた話だがこの連中は前の日に朝日新聞に見学に来ているのだ。
しかも屋上で写真を写している。
それから見ると これはただ気紛れに来たのではなく、計画的に来たものと見る外はない。
撮った写真で見て、その将校が中橋基明という中尉であったことがわかった。

それからずっと後になるが、
田中軍吉という大尉が私を訪問して来たことがある。
何かと思って会った所が、
自分も奉勅命令を知っておったということから気違いにされて
代々木の軍刑務所に入れられておったが、今日出て来た。
刑務所の中で 中橋基明中尉に便所で会った時に、
「 お前 いずれ出るんだろうが、
 出たら、朝日新聞に行って緒方という人に はなはだ無作法をしたが、宜しくと言ってくれ 」

という言伝を受けたから来たということであった。
この田中軍吉も大東亜戦争の後で支那戦犯になって南支で銃殺されたと聞いている。
(文芸春秋 / S ・ 30 ・ 10 ・ 5 臨時増刊 )

目撃者が語る昭和史  2・26事件

新人物往来社
当時朝日新聞主筆  緒方竹虎  著  反乱将校との対決  から