昨日の日曜の雨の中、田原市の総合体育館で安藤忠雄特別講演会がもたれました。会場は1000人を超える入場者です。地元の三河田原駅の設計者であり、いまもっとも旬な建築家であれば当然でしょうか。
テーマは「地方都市の生き残りをかけて」と重いもの。しかし例のよってのあのだみ声と笑いを取り続ける語り口です。ほとんど田中角栄を彷彿とさせる歯切れのよい安藤節に、会場は大いに盛り上がったというものです。
「時代の変化にこそ対応しなくてはいけない」
「自分自身で考えねばならない」
「あきらめてはならない」
「自由に前を向いて歩くこと」
昨年すい臓ガンなどを摘出した後であるにもかかわらず、立ったままの一時間余の講演をこう話し続け、その前後では長蛇のサイン会までこなしたのです。元気の“気”をもらったと誰もが感じたに違いありません。
帰り際、そんな安藤先生の後ろ姿に、私はふと思い立って声を掛けました。「お疲れさまでした。実は私は東京都庁でスポーツ部長をしておりました。東京五輪についてその節は…」と話した途端、憤然としてこう言われたのです。
「僕のところにいっぱい電話がかかってくるんだよ。(文句があるんだったら)五輪スタジアムは基本設計から直すとしなきゃあおかしいんだよ」。
突然の反応に驚きました。要はあの女性建築家ザハの案を基本設計として認めているんだから、それを前提とすべきだと言うことなのでしょう。それにしてもその言葉づかいに、かなり批判にナーバスになっているものと感じました。
「いやいやかくいう私も現役役人ではありませんので、何も申し上げることは…」と答えるのが精いっぱいです。かまびすしい昨今の五輪のスタジアム騒動。しかしこの騒動は設計的にも、財政的にもどうやら20年や30年は消えることはないようです。