嶋津隆文オフィシャルブログ

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「伊良湖岬村長物語」がやっと脱稿しました

2009年12月21日 | Weblog

1年半前から執筆にとりかかった「伊良湖岬村長物語」(仮題)。この年末まで来て、やっと完成の段となりました。約10万字ですからそんな大作でもないのですが、何せ資料集めと当時の事を知る人たちのヒアリングに、思いのほか時間がかかったのです。

副題は「日本人と地方自治」と大きく構えました。が、幕末明治から終戦に至るの、戦前の我が国の地方自治の姿を、故郷渥美半島を舞台にその地域史として追ったものです。主人公には自分の祖父を含め数人の個性的な人物たちを登場させました。

それにしてもこの作業を通じて、幾つもの焦燥感と悲哀感を味わうこととなりました。
時間がたつということの残酷さを、幾度も味わわされ続けてきたのです。

一つは関連資料の散逸と古い人たちの死亡などに因るものです。明治の事を聞くためには、少なくとも大正生まれか昭和初めの人達でなくてはいけません。そうなると、死亡とまで至らなくとも、発声困難や記憶混乱といった人も多く、ヒアリングはなかなかはかどりませんでした。そうこうしているうちに、一度聞いた人が次に行くと亡くなっていたということも二、三回ではありません。

ついで、この著作が完成したら、ぜひ見て欲しいと思っていた人達が、次々に逝ってしまうことでした。東京から疎開してきた中学の時の音楽の先生、戦艦大和の建造に関わっていた叔父、そしていつも温かく見守ってくれていた同郷の恩師。完成したらすぐに見せたい。そう考えて居た人達の訃報に接するのは、執筆作業の意味そのものが失われていくようで、ひどく落胆したものでした。

そういえば、過日自殺した友人の墓参りに八王子の上川霊園を訪れました。彼の墓のすぐ傍には劇作家菊田一夫の墓があり、そこにあの「君の名は」の一節、「忘却とは忘れ去ることなり 忘れえずして忘却を誓う 心の哀しさよ」が刻まれていました。

人は死に際し、何を残したと納得して逝くのだろうか。菊田一夫ほどの大きな足跡は残せないまでも、せめて親しい知人や友人には早々と忘却されたくはない。そう思って非才を顧みず、焦りながら著作作業を重ねている昨今なのです。「伊良湖岬村長物語」の発刊まであと数カ月です。その時間が今の自分には、長すぎて長すぎてたまらないのです。

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