嶋津隆文オフィシャルブログ

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原爆の日に想うコッチNY市長の露骨発言

2009年08月06日 | Weblog

今日は広島の原爆記念日です。オバマ大統領の核廃絶発言があっただけに、広島、長崎では例年になく核廃絶への動きが活発だと報道されています。無差別に14万人もが焼殺された残酷さを思うと、この行為への嫌悪感を改めて抱かないわけにはいきません。
毎年、この広島の記念日が来ると必ず思い起こされることがあります。もう20年も前になりましょうが、私が東京都の駐在代表として姉妹都市ニューヨークの市役所に赴任した時のことです。着任挨拶にいった当時のコッチ市長は大いに歓迎してくれたものの、その部屋から出る際、前任者がこう教えてくれました。
先日、あのコッチ市長に広島の市長が会いに来たんだよ。しかし市長室に入った広島市長はコッチさんに握手を求めたんだが、何とコッチは握手を拒みこう言ったんだ。

「貴殿(広島市長)は核廃絶を主張しているというが、イスラエルが核を持つことにも反対なのか。納得できる理由を聞けない限り、私はあなたの表敬を受けるつもりはない」。いやあ、びっくりしてしまったな。
コッチ市長は強烈な個性を持つユダヤ人として有名でした。イスラエルがアラブとの対立の中で自己防衛のため核保有することは当然であり、日本人の凡庸な平和主義というものの甘さが許せなかったというのです。しかし表敬訪問の場での突然のこのシビアな発言に、広島市長はしどろもどろするばかりだったというのです。
最近の新聞によると、米国でのアンケートではいまだに原爆投下は当然でという人々が61%(必要なかった20%)もいるとありました。多くの日本人も、悪いのは戦争であり、その戦争を起こした日本側であって、原爆は戦争終結のためにやむを得ないものであった。そういった雰囲気が長いこと醸成されてきていることは否めません。
しかし参戦というソ連の介入を回避させる戦略的視点や、原爆の効果を実戦で試したかった軍事的視点が、米国の原爆の投下理由だと今日では定説的です。かように責任は米国にあるにも拘わらず優しい日本人は、被爆責任は日本にあると責め続けているのです。その主客転倒した曖昧さが、漠然とした平和主義を日本に蔓延させ、現実主義者のユダヤ人市長に冷笑される事態を生んでいるのです。8月6日が来ると、いつもこうして苦々しい気持ちになるのです。

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