写真:「時間の流れをじっと見つめる」(宮島にて本人撮影)
一周遅れの亭主の狼狽を嗤うか団塊世代女性
月刊「地方財務」(ぎょうせい)の2月号での、シリーズ連載【もうひとつの団塊世代論⑧】のテーマは「団塊世代女性」です。苦手の女性論を以下のようにしたためてみました。ご笑覧下さい。
「男は仕事、女は家庭」に反発した団塊女性?
70年代に中ピ連というウーマンリブ運動があった。中絶禁止に反対しピル(経口避妊薬)の自由化を主張する女性グループである。生む、生まないは女性が決めるという姿勢は、男性社会を否定するものとされた。マスコミは彼女らを大いに喧伝し、また彼女たちも大いにマスコミを活用した。それだけに自壊も早く、最後は選挙に女性党を立て惨敗して消えた。違和感はあるものの、これも団塊世代の女性たちの姿の1つであったことは間違いない。
当時、大学改革を主張し社会変革を唱えるデモの列の中には多くの女性がいた。彼女らは「男は仕事、女は家庭」という伝統的な思考に反発し、旧弊とされた戦前の「イエ」制度の打破を戦後民主主義の向かうべき目的としていた。男女の平等、女性の権利の容認といった変革を、学園闘争と連動させて運動の軸としていたのである。そして学園を離れ就職した団塊女性の人たちの中には、職場での男女差別に反発し、寿(ことぶき)退職に反対したり育児休暇を求め、組合結成などを展開していった人も少なくない。
団塊女性は結婚で「団塊世代」を終えた
ところがその団塊女性も20代の半ばになると一斉に職場を離れ、家庭に入っていったのである。もちろん子どもが出来て、育児のために不本意ながら職場を去った人も多い。だが今にして思えば、もし「団塊世代」というものが“改革”をトレードマークとする世代だとしたら、この段階で「団塊世代」としての存在性を彼女たちは終えていったといえるだろう。
ちなみに「出産で勤めをやめ、子供が大きくなったら再び勤める」という考え方が当時の過半数であった(昭和46年労働省「既婚婦人の就労に関する調査」)。「団塊世代女性の労働力率は20代前半から20代後半にかけて70・6%から42.6%に減る。この減り方は他のどの世代と比べても最も著しい。団塊世代女性は、25歳までに結婚して、子供を産んで、専業主婦となるというライフコースを最も忠実に歩んだのだ」」(三浦展「団塊世代の戦後史」)などと指摘される。
そして後日、上記調査の通り、子育てを終えた団塊世代主婦たちは、再び職場に出始めるのだ。女子のパートタイム雇用者数は、1970年は130万人だったが団塊世代が40才近くとなる85年は333万人と2.5倍増となっている。大半の女性たちは結婚で家庭に入り、やがて子供に手がかからなくなって再び職に就くというパターンをとったのである。変革志向の世代的な特長をもつと思われがちな団塊世代女性ではあるが、実は結婚後は「男は仕事、女は家庭」と棲み分ける、スタンダードな存在となっていたのである。もっともこのパターンは、何も団塊世代だけの特長ではなく、我が国女性の一般的な就労形態である「M字カーブ」そのものに外ならないが。
一足早かった団塊世代女性の「定年」
しかし注目すべきは、団塊女性たちが50代前後になっての行動である。彼女らは社会変革ではなく、それ以後の自分の暮らし方をそれぞれ自由に選択し始めたということである。ここ10年に団塊女性は、パートタイムを軸に働くことを選ぶ一方、趣味や社会活動を心置きなく探し始めている。グルメを楽しみ、韓ドラブームに浸り、又おりしも発効したNPO等を媒介に社会貢献活動を大きく拡大させてきたのである。「2007年問題」などといって、男たちの定年問題を騒ぎ始める何年も前に、団塊女性たちはしっかり一人で生きる人生後半の方向性を選択していたのである。
だがいわば一周遅れとなっていた男たちは、それにも関わらず、自分たちが団塊世代全部であるかのように「昔はこうだった」等と改革幻想を語り続けていたのである。あるいは一人で生きる警戒感のないまま定年後も妻と一緒に過ごしたいとの期待感を募らせ続けていたのである。日経産業消費研究所の調査(平成17年)によると、定年後に余暇を楽しむ相手を配偶者とするのは、男性は67.8%、女性は52.2%であった。15%も差をつけて、男は女(妻)に期待をしているのである。男と女のギャップは大きい。
いつまでも口先だけの改革幻想と配偶者との生活幻想を持つ団塊男性。他方で理想主義や変革意識を捨て、しっかり「世間と老後の常識」をもって一人で生きている団塊女性。そんな女性たちからみれば、定年コーナーで狼狽する男の姿は恐らく冷笑ものなのだろう。こうなると、まことに気乗りのしないところではあるが(笑)、団塊男性は確実に先達者たる団塊女性に学ぶ外ないというものである。