嶋津隆文オフィシャルブログ

嶋津隆文オフィシャルブログ

テロという現実と無防備という思考・・朝霞の自衛隊観閲式に参加して

2007年10月24日 | Weblog

朝霞の自衛隊基地での観閲式(予行)に先日(10月21日)招待され、4000人余の部隊と戦車隊の行進、F15戦闘機の飛行パーフォーマンスなどを目の当たりにしてきました。

率直に言って軍隊の存在はどことなく気持ちを重くするものです。まして開催日の10月21日といえば、かつては国際反戦デーとして私たち団塊の世代にはベトナム反戦の諸行動での象徴的な日でした。それだけに10/21自衛隊ショーという取み合わせは、特異の響きを持つものでした。

それにしても反戦平和というフレーズを、青空を見上げるように爽やかに叫ぶことにできたのはいつの頃までだったでしょう。あれから半世紀、無邪気に無防備を主張するには、余りに複雑で根深い「業」のような民族や宗教の対立を数多く見てきた気がします。善意に期待するという一方的な思い入れで、何とも多くの不幸が生まれてきた現実も思い知らされたものでした。

初めてカンボジアを訪れた時、アンコールワットの遺跡の近くでみた、赤いクメールに虐殺された千人近い頭骸骨の山に息をのみました。もっとも経費のかからない方法、すなわち実弾やガスなどでなく、撲殺、飢餓、生き埋めという3方法で無防備の民衆は何十万人も殺されたといわれます。私が訪れたのは、骨の大きく窪んだ無抵抗の民衆の撲殺の痕でした。

決定的に国際社会の残酷さを突きつけられたのはやはりニューヨークでの9/11でした。東京都庁のNYオフィスはあのワールドトレードセンターの79階にありました。NYに駐在していた私が開設準備をした、まさにそのオフィスです。その81階にイスラム原理主義は民間飛行機でのテロ攻撃をしかけたのです。米国の友人が山ほどいました。

9/11テロの翌日、NYの知人から泣きながら電話が入りました。「みんな死んでしまった。ロッシーさん夫婦も、ナンシーも、グラハムさんも・・」。超高層のビルの窓から、パラパラと地上に落ちていくテレビ映像を見、その一人一人が友人の姿であるかのように思え、胸をかきむしられたものでした。全く無抵抗のままに、焼死や圧死させられた市民4000人余。

平和の大切さを訴える余り、日本は無防備であらねばならない、無抵抗でなくてはいけないという人たちがいます。そして無防備自治体化を条例化しようという自治体さえありました。平和=無防備と短絡させるのは、余りに楽天的ではないでしょうか。軍隊の存在は確かに重いのもがあります。がしかし、国際社会の現実から目をそらし、無抵抗のままに生命を奪われるしくみを制度化しようとするのは無責任であり、時として利敵行為となりえます。こうした動きはやはり容認することはできないといわねばなりません。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする