写真:「森鴎外」
先週末に秋葉原でのFJK(フォーラム自治研究)セミナーに参加しました。講師は20年来の知人、ベルリン出身のA.シュタインベルグ氏(現在トアスホールディングス代表取締役)です。
彼は、私が東京都とベルリン市の姉妹都市提携を進めた際の、ベルリン側のカウンターパートであり、埼玉県と姉妹自治体であるブランデンブルグ州の顧問でもありました。一時ダイムラーベンツ日本法人に籍を置いた後、今は太陽光発電などの再生可能エネルギー事業を展開しています。
その彼は、ベルリンの壁が崩壊した1990年頃には、フンボルト大学の日本学科に在籍しており、私にはひときわ強く歴史と日独の縁を感じさせる人物なのです。
ところで氏が学んだ日本学科の研究室がベルリンのどこにあったのか。何とかつて森鴎外が明治20年にベルリンに軍医研究生として留学していた折の、まさにそのアパートの一室だったというのです。
その部屋は現在フンボルト大学が管理し、森鴎外記念館ともなっています。ブランデンブルク門北側の町並みの一角にあり、建物の壁には大きく漢字で“鴎外”の文字が記されています。
鴎外とその代表作「舞姫」の原点になったのが、A.シュタインベルグ氏らの研究室の中であったというのです。氏に会うたびに、時空を超えて明治の日本人と往時のベルリンの風を直に味わう気分になるのも当然というものでしょう。