嶋津隆文オフィシャルブログ

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音羽ゆりかご会の可愛い歌声に浸る

2009年05月10日 | Weblog

この連休は、出版社から頼まれた辞典ものの原稿作りに集中しました。朝から晩まで連日、パソコンに向かってキーを叩いていると、目がくぼんで来そうです。ただでさえ、たるみ始めた眼の下が、三国連太郎のようになりはしないかと怯えていました(笑)。

そんななかで一日だけ、浅草の公会堂に足を運びました。音羽ゆりかご会の記念コンサートに招待されていたからです。招待してくれたゆりかご会の海沼美智子さんとは、20年前にNYのカーネギーホールで公演があったとき、現地に駐在してそのお手伝いさせてもらったことが機縁で付き合いが始まりました。戦後のラジオ歌唱で一世を風靡した川田3姉妹の一番下の妹さんで、その彼女に会えることも楽しみでした。

「みかんの花咲く頃」、「里の秋」あるいは「赤とんぼ」といった、私たち日本人の細胞に染み付いた童謡の数々が、次から次へとメドレーで唄われていきます。懐かしい歌詞と音律に浸り、心の底から癒しの一時をもてたと感謝したものでした。

しかしそれ以上に私が魅入ってしまったものがありました。小さな口を目いっぱいに大きく開けて歌う、子供たちのきらきら光る肌でした。小学校の1、2年生でしょうか、その生命を輝かせているような、みずみずしい子供たちの皮膚に、思わず食べてしまいそうな衝動が湧いたことを告白しなければなりません。

こうした衝動の所以は何でしょうか。加齢や老齢に伴う回帰現象であるかも知れません。生物(いきもの)としての種の保存を求める、次世代への期待感覚なのかも知れません。いやいや、わが国は少子化の進行の中で、民族の滅亡が懸念されています。そんな兆候に対して、日本民族としての生物集団が発信する危機メッセージではないか。そう思えてしまったのです。

それにしては、世の中、情けない風潮があります。例えば先日のこんな騒動がありました。「私は子どもを二人作り育てました。義務を果たしました」。この当たり前の表現を答弁したどこぞの首相に、「子作りを“義務”化した」と噛みついたマスコミ等の姿勢です。失言をハイエナのように探し求めるマスコミのさもしさもさることながら、「すべての“義務”を軽視することこそ民主国家なのだ」といわんばかりの戦後民主主義の危うさを、ここにも感ずるというものです。

音羽ゆりかご会のコンサートでは、小さな子供たちによって、「仰げば尊し」がうたわれました。その時、会場を満席に埋めた親や祖父母たちの目が潤んでいたことを、私は忘れることが出来ません。大事なものは大事に伝えていきたいものです。生命も歌も伝統もです。

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