嶋津隆文オフィシャルブログ

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懐かしく想い出す黒川紀章さんからの一言

2009年04月13日 | Weblog

12日の日曜の夕方、六本木の国立新美術館へ足を運びました。2年前に完成したこの美術館は、波打つユニークな形状と柔らかい色遣いで、共生の思想を体現しようとする黒川紀章の新たな代表作と話題を呼んだものです。

直接の目的は、親しい都庁時代の友人の入選作「ブタペストの朝」(示現会、南雲栄一・80号)を見るためでした。しかしもう一つ目的がありました。それは一昨年の秋に、黒川紀章さんから、「嶋津さん、ぜひ新美術館の別館に行って下さい。近衛兵舎(昭和3年建築)を少しでも残したいとした、自分のこだわりを見て欲しいのですよ」との、話しを受けていたからです。

そもそも黒川さんとは、ひょんなことから知り合いました。彼の講演会で、私が最後に質問したのです。「あなたに絶対に答えて欲しい質問があります。私は昔から若尾文子の大ファンでした。その大事な人をあなたは奪ってしまった。それだけに、今も彼女を大切にしているか、頗る気になっています。それをお答えいただきたい」と。

どっと笑いが走る場内で、しかし黒川さんはまともにこう答えたのです。「僕は妻には結婚当初に金銭サポートでずいぶんお世話になった。とても感謝している。その後、一番気を遣ってきたのは女優たる若尾文子には余分なことをさせず、女優業だけに専念できるように配慮してきたことだ。妻のことはとても愛している。文句ありますか」と。

その後、会場から出ようとする私の所へ黒川さんが来てこう言ったのです。「妻のファンというなら、どうでしょう。一度3人で食事をしませんか。私がセットしますから」。耳を疑いました。「えっ、いやあ、それはそれは楽しみです」。「じゃあ、これからモスクワのプロジェクトでしばらく日本を離れますが、帰国したらやりましょう」。

ところが帰国するや黒川さんは都知事選に立候補し、参院選に立候補し、半年間を掛けずり回り、そしてあっというまに逝ってしまったのです。3人での食事の約束も消えてしまいました。しかし黒川さんから、一通の素晴らしい手紙が届けられたことを記さない訳にはいきません。私が国立の市長選に出馬するに際しての応援メッセージです。

「嶋津さんは国立の街がとても好きだという。しかし僕が妻若尾文子を愛する度合いを比べたら、かないっこないでしょう。ハハハ」。このユーモア溢れる天才建築家の一言は、消えた3人での食事代わりの、彼からの贈り物ではなかったかと思うのです。こう呟きながら、天から明るく光の注ぐ新美術館を、しばらく行き来していたものでした


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