J・G・バラード、『溺れた巨人』

 今日はほぼ一日雨。そして風もつよかった。 
 川の水の流れがごっそりと、桜の花びらをあまさず運び去ってしまうビジョンが胸を離れなくて、さびしい気分で家にいた一日。帰ってきただーさんに「次は新緑だよ」と言われ、「それはそうだけれどー」と少し気を取り直した。

 さて、これはタイトル買いの1冊。
 J・G・バラード、『溺れた巨人』を読みました。


 去年の復刊フェアの本は3冊目。帯をはずして吃驚した。顔があったのか!

 収められているのは、「溺れた巨人」「爬虫類園」「たそがれのデルタ」「あらしの鳥、あらしの夢」「スクリーン・ゲーム」「永遠の一日」「うつろいの時」「薄明の真昼のジョコンダ」「ありえない人間」、の9篇である。
 どの作品もかなり変。変だ変だどうしてこんなに…と思いながら読んでいたけれど、あの『クラッシュ』を書いた作家だったのね。得心。

 表題作を読みだしてすぐ、ガルシア=マルケスの『エレンディラ』を読んだばかりなので、中に収められていた「この世でいちばん美しい水死人」を思い出したが、あまりにも真逆な展開にのけ反った。何て言うか、巨人の溺死体に対する人々の反応とその後の行動が、いささか淡々とし過ぎていて不気味なのだ。何なの、巨人の身元(?)とかどうでもいいのかよ…とつっこみたくなってしまうのね。
 でも、凄く面白かった。語り手の意識の変化をたどっていくと、だんだんそれがとてもリアルに感じられてくるところも、巨人の溺死体の行末も、忘れがたい作品になった。気持ち悪いけれど、そこが堪らなくいい。

 あんまり作品が風変りでそちらに気を取られ勝ちだったが、文章はとても美しい。そして、その文章の美しさと幻想的なイメージが相まって、かなり奇妙な設定ながらも不思議な魅力をかもしていたのが「スクリーン・ゲーム」や「永遠の一日」だった。
 「スクリーン・ゲーム」の舞台は、アマチュア・プロダクションを所有する富豪が、映画の撮影のために訪れたラグーン・ウエスト(リゾート地)。そして語り手でもある主人公は、書割の仕事に就いた絵描き。なのだが、その肝心な映画の主演女優が…。そもそも映画の製作の本当の目的とはいったい…。 
 エメレルダという印象的な女性の、宝石を象嵌させた昆虫を身にまとう姿の非現実感が作品全体を覆い、いわく言い難い退廃美を漂わせている。大変に好みな逸品だった。

 凄い!と思ったのは、人間の時間が逆行していく「うつろいの時」。これ、着想だけじゃここまで書けないと思う。辻褄の合わせ方とか。
 変だ変だ…と思いつつ、隅々まで楽しんだ。  


 チョキチョキチョキ…。
 今日の朝ご飯は、近くのパンやさんのパンとスープ。
 フロマージュフォカッチャと、杏とピスタチオのリュスティック”の半分。美味なり。このパンやさん、同じ商品になかなか出会えないので通わされてしまう。

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