長野まゆみさん、『左近の桜』

 桃は、熟してしまえば傷むのがとても早い。それもまたこの果物の、愛おしい特徴ではある。
 指で上手に剥けた皮の下から、驚くほど潤いを秘めた果肉の柔肌があらわれる。目で存分に愛でてから、舌で味わう。ふふふ。読み終えたばかりの作品の世界を、もう一度呼び寄せ楽しむように…と言ってしまうと、いささか問題があるだろうか(変態…)。

 いそいそと買い求め、いそいそとページを繰った。
 『左近の桜』、長野まゆみを読みました。


〔 「遠慮するなよ。舐めれば、すぐに肌合いも知れる。丹念に化粧をした肌は、利きがいいからさ。」
 どうすればこのやっかいからのがれられるのか、桜蔵は頭を悩ませた。 〕 129頁

 連載中に文面をささっと斜め読みしたことがあって、あららら…これは…と思っていたのであった…。 
 しかし、情景の一つ一つの、まさに桜の精が悪戯に見せる宵夢のように、浮世離れて美しいことと言ったらどうだ。この世のものとも思えぬ妖と美は、現にこの世のものでない者たちが持ち込んでくるのであったりするから、当然と言えば当然か。
 そんなあやかしの怪しからぬ輩どもに、やたらとモテモテなのが主人公の桜蔵。敷地内に幾種もの桜(緋寒桜、豆桜、江戸彼岸、染井吉野…)を植えた、風流な宿屋「左近」の長男である。…と言ってもこの「左近」は、知る人ぞ知る忍びごとや逢瀬のための宿なのだが。 

 あられもなくあらわになったかと思えば、ついと隠れる。隠されたかと油断していると、またもあらわに見せつけられている…。そこのところの駆け引きのような絶妙の塩梅は、これはもう長野作品でしか味わえない色気である。はう…。桜蔵、あやうし…。
 その桜蔵を取り巻く渋くていけない大人たちが、父親の柾や常連客の浜尾だ。さらに、その正体がなかなか掴めない学校の教師・羽ノ浦の存在も絡みつつ、その気がないはずの桜蔵がどんどん追い詰められていく可憐な様を、読み手は固唾を呑んで楽しむ、もとい読み進んでいくわけである。ふふ。
 
 湯に浮かぶ花だまり、蝶捕り師の鱗粉の転写、質屋での雨宿り、人の体を乗っ取る紙魚の雲母蟲(きらむし)、初雪に埋める白雪糕…。随所に散りばめられたアイテムと情事のお膳立てでも、長野作品ならではの品と粋が堪能できる。桜で始まり、桜で締めくくられる。

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