皆川博子さん、『蝶』

 あえかな声たちが、確かに届く。 
 見えない力に押しひしがれながら、誰に向って何を嘆くでもない、あえかな声が聴こえてくる。これは、そんな一冊だった。
 
 装丁がとても美しいので、なお更に沁みてくるものがある。
 『蝶』、皆川博子を読みました。

 完璧な世界など楽園など、どこにもない。時は移れども人の棲む世とは、理不尽を孕み矛盾を抱え、そして集団が無自覚なままに溜めこんだ悪意は、常により弱き者へと向かいながらその首をゆっくり締め上げていくのだろう…。
 一話目の「空の色さえ」を読んですぐに気が付いた。“教科書で教わった歴史なんて、本当の歴史の上っ面でしかない。スポットライトが当てられた局面の裏側には、暗くて長~い影があって、その影の方へ追いやられた市井の人々の内にこそ、深い悲しみや苦しみがあったはず…ということを、私は随分と皆川さんの作品から教えられたように思っています”…というのは、先日書いた講演会レポからの引用であるが、そんな長篇の代表作が『総統の子ら』であるとすれば、この一冊は日本とドイツで背中合わせになっている短篇集かな…と、思ったのである。

 「蝶」で描かれる復員兵の男は、家に残っていた妻と、親指を切断したことで召集を免れたという妻の情人に拳銃を向ける。そして本当の話は、ここから始まる。戦中内地にいた人々が、自分たちの為に戦って戻ってきた復員兵に対して、如何に酷くあたっていたかという話も講演会でされていたことを思い出しつつ読んでいた。子供心に胸が痛んだという話を。
 そして圧巻のラスト。男が背中を押される場面の圧倒的な説得力に、ただただ打ちのめされた。

 「想ひ出すなよ」は、語り手がとても本好きな少女なので、その早熟ぶりに皆川さんの面影を探しつつ読んでいたのに、どんどん不穏な雰囲気になっていく。この少女を取り巻く遊び仲間の子供たちにしろ、彼女の両親を始めとする大人たちにしろ、普通なのに何だか嫌な人たち…という感じが凄くリアルだった。 
 少女の小さな社会に少しずつ、目には見えない悪意の糸が蜘蛛の巣のように張りめぐらされていくのが、何とも息詰まるような作品だけれど、見事なラストによって忘れがたくなった。

 それぞれの作品に詩や俳句が使われていて、それがまた味わい深いので嬉しい。特に「想ひ出すなよ」や「妙に清らの」「遺し文」でそれらをしみじみと読んだときには、愕然とした。

 そそがれた視線は、湿度が高くて分かりやすい同情に充ちたものでは決してない。ただ、為す術もなく大きな流れに巻き込まれた挙句に、世間から差別を受け、その存在を踏みにじられるような運命を背負った人たちが、歴史の裏側にはいつもいたという事実を忘れ去らせまいという思い。人の都合のよい忘却によって、道端で黙って踏みしだかれる草花のように慎ましく儚く散っていった人々のことが、誰も知らない過去に葬られていくのを冷徹に眺める、静かな哀しみをたたえた眼差しを感じた。
 もちろん、妖しの幻想美も存分に堪能した。夢幻の美しさと悲哀が溶けあった、素晴らしい作品集だった。

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