藤野可織さん、『いやしい鳥』

 ううむ、面白かった。でも、相当に気持ち悪かった(特に表題作が…)。  
 もっと幻想的な作風かと思っていたらば、不条理感が前面に押し出されたごっつい作品だったのでいささかのけ反りつつ。

 『いやしい鳥』、藤野可織を読みました。


 句読点の使い方が、時折ちょっと変わっている。だんだんそれに慣れてくると、文章全体が独特なうねりを持ちながら迫ってくるようで面白かった。でも、その分酔いやすいかも知れない。
(今、“とり”を変換する度に、“鳥”より先に“鶏”が出てしまうのが少し辛い。だって、いやでも食べる方を連想してしまうから。私、“鶏”肉は食べられるけれど、“鳥”肉はちょっと…。うっぷ。)

 隣人同士の、内田百合と高木成一。平凡かつ相応に詮索好きな主婦内田の視点から描かれる章と、かなり冴えない非常勤講師である高木の独り語りの章が交互にあらわれる。 
 内田側の奇数章で描かれるのは、ありふれた家庭のありふれた日常だ。内田が隣人の高木を勝手に怪しんで、その家を胡散臭げにのぞき見たりする行為も、いかにも普通のオバサンぽくて、何だかなぁ…という感じ。すぐ隣の家の中で、どんなにおぞましいことが起きているか露も知らず、呑気なことだなぁ…と苦笑しつつ、よくよく考えてみればそれはそれでぞくっと怖かったりする。高木の身に降りかかり進行中の、信じがたい惨劇とのコントラストがお見事過ぎるのだ。
 そして、読み進めばわかってくるのだが、希数章と偶数章とでは時系列にずれがあり、それがまた面白く読める仕掛けになっている。

 で、高木の独り語りの偶数章。これはもう…。 
 最初はたどたどしく感じられる高木の語り口が、己の身に降りかかったことを振り返りながら喋っている内に、次第に言葉が追いつかないほどの勢いを帯びてくる辺りとか、トリウチを徹底的に気持ち悪く描写しきっている箇所とか(変身の場面が圧巻)、凄い筆力である。
 受講生たちとの飲み会の帰り、教え子でもない(しかも感じが悪い)酔っ払いの学生を、自宅に連れ帰る破目になってしまった高木。だがその青年の正体は、“ただの凶悪な生き物”であった。 
 そう言えば、飲み会では周りの学生たちから“堀内”と呼ばれていた青年が、なぜか自分では“トリウチ”だと名乗るところから、既に不吉な展開の予兆はあって、高木の現実はゆがみ始めていたのかも知れない。

 高木のオカメインコを食べた(!)トリウチは、巨大な鳥に変身し、さらに高木を喰わんとしてその鋭いくちばしで襲いかかる。攻防と惨劇の始まりである。
 信じていた現実が目の前でこなごなに壊れる瞬間。その衝撃の深さや不条理感は、絶対に当人にしかわからないものだ。その実感は、他人には決して測れない。でも小説ならばこんな風に、読み手の前に突きつけることも出来るのだ…と思った。あえてリアルを描かないことから得られるリアルさ、とでも言おうか。そういう意味で、非常にインパクトの強い作品だった。

 あと、変身するのが“鳥”というのもミソだと思う。人が鳥類を見て、自分たちとはひどくかけ離れた存在だと感じずにはいられないあの感覚。上まぶたのないまん丸な目や、仕組みのわからない無機的な首の動きには、よく見れば人の自然な感覚との相容れなさや不気味さがある、と言っていいだろう。人間が変身するのがよりによって、その、“鳥”であるという気持ち悪さと言ったらもうもう。 
 あとの二作、「溶けない」と「胡蝶蘭」も良かった。読みやすかったのは「胡蝶蘭」。 

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コメント
 
 
 
このまま作家業で突っ走ってほしい (冬民)
2012-04-27 17:52:01
相当キモチワルイですけど、相当オモシロイですね。
新作の『パトロネ』も同じ方向性です。

しかし不思議な作品の方向性ですが、
http://www.birthday-energy.co.jp/
に、藤野さんを解説する記事が載っていて、
まぁ気持ち悪さにはふれてないですが、
作家業が適職らしいです。

さてさて、久しぶりに再読してみようかと思います。
 
 
 
Unknown (りなっこ)
2012-04-30 20:04:44
はじめまして。
気持ち悪いけれど、そこがいいですね。
『パトロネ』はこれから読みます。
 
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